「靖国丸 (1930)」の版間の差分

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=== 乗船した著名人 ===
 
=== 乗船した著名人 ===
*[[宝塚歌劇団]] - [[1938年]]10月から翌年10月にかけて、最初の海外公演のためヨーロッパへ向かう往路で乗船した<ref>日本郵船(2004)p.22</ref>。
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*[[宝塚歌劇団]] - [[1938年]]10月から[[1939年]]3月にかけて、最初の海外公演のためヨーロッパへ向かう往路で乗船した<ref>日本郵船(2004)p.22</ref>。
 
*[[朝永振一郎]]・[[湯川秀樹]] - [[1939年]]の英国の対独宣戦布告([[第二次世界大戦]]の勃発)を前に、ドイツの[[ライプツィヒ大学]]に留学中だった朝永は、引き揚げ船として派遣された靖国丸に[[ハンブルク]]で乗船した。このとき朝永と高校・大学の同級生だった湯川も、[[ニューヨーク]]まで同乗していた。<ref>日本郵船(2004)p.23</ref>
 
*[[朝永振一郎]]・[[湯川秀樹]] - [[1939年]]の英国の対独宣戦布告([[第二次世界大戦]]の勃発)を前に、ドイツの[[ライプツィヒ大学]]に留学中だった朝永は、引き揚げ船として派遣された靖国丸に[[ハンブルク]]で乗船した。このとき朝永と高校・大学の同級生だった湯川も、[[ニューヨーク]]まで同乗していた。<ref>日本郵船(2004)p.23</ref>
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*[[野依良治]]の父 - 化学会社に勤めていたとき、年次不詳で、日本からヨーロッパへ研修へ行く際に湯川秀樹と同船し、1ヶ月の船旅の間、乗客が退屈しないように行われていた[[パブリックレクチャー]]、[[社交ダンス]]などを通じて親しくなり、そのときのことを家で度々話していたため、野依は湯川に憧れるようになったという。<ref>[https://scienceportal.jst.go.jp/archives/columns/kagakusha/20070000_04.html JST 科学コミュニケーションセンター サイエンスポータル アーカイブ コラム 科学者になる方法 野依良治 氏(理化学研究所 理事長)「湯川博士のノーベル賞受賞」と「ナイロン事件」] 2017年9月29日閲覧</ref>
  
 
== 戦没 ==
 
== 戦没 ==

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靖国丸(やすくにまる)は、日本郵船が所有していた貨客船。1930年に竣工し、欧州定期航路に就航。太平洋戦争中の1944年に沈没した。

建造[編集]

  • 欧州航路ロンドン線の船質改善を目的として建造が計画・発注され、三菱長崎造船所が建造、1930年8月に竣工した[1]

船主・船名[編集]

  • 日本郵船による新造船[2]
  • 船名は靖国神社に因んで付けられた[2]

性能[編集]

船種
貨客船[2]
総トン数
11,930トン[3]
最高速力
18ノット[2]
船客設備
計249名[2]

蒔絵装飾[編集]

1928年に漆芸家松田権六は欧州航路の貨客船の新造計画を聞いて内装に蒔絵の装飾を採用してほしいと日本郵船の経営陣に直談判し、照国丸と靖国丸の一等ベランダ出入口の扉一対に蒔絵が採用されることになった。蒔絵装飾は好評を博し、その後多くの船会社で内装に採用される契機となった。[4]

第二次世界大戦中に両船とも戦没してしまったため実物は遺されておらず、写真等の資料も残っていないとされている[4]

航路[編集]

  • 欧州定期航路に就航した[2]

乗船した著名人[編集]

戦没[編集]

姉妹船[編集]

  • 1930竣工の欧州航路ロンドン線用新造貨客船2隻[2]
照国丸 - 靖国丸

参考文献[編集]

  • 松井(2006) 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年、ISBN 4303123307
  • 日本郵船(2005) 日本郵船歴史博物館(編)『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船、2005年
  • 日本郵船(2004) 日本郵船株式会社広報グループ『航跡 日本郵船創業120周年記念』日本郵船、2004年

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. 松井(2006)pp.7,34。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 松井(2006)p.7
  3. 松井(2006)p.34
  4. 4.0 4.1 日本郵船(2004)p.66
  5. 日本郵船(2004)p.22
  6. 日本郵船(2004)p.23
  7. JST 科学コミュニケーションセンター サイエンスポータル アーカイブ コラム 科学者になる方法 野依良治 氏(理化学研究所 理事長)「湯川博士のノーベル賞受賞」と「ナイロン事件」 2017年9月29日閲覧
  8. 日本郵船(2005)p.69