都営バス江戸川営業所

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1972年10月15日:江東営業所の分車庫として誕生する(その後すぐに営業所に格上げ)。 2003年3月31日:境川操車場を廃止する。同時に、都07系統の大部分を江東営業所に移管する。 2004年4月1日:葛西営業所から江戸川営業所に名称を変更する。都07系統、亀23系統を江東に移管、秋26系統、両28系統などを臨海に移管、錦25系統などを臨海から移管される。 葛西営業所は江東区内の都電代替路線を受け持つために、当初境川に存在していた都電錦糸堀営業所境川分車庫の跡地を利用して「境川営業所」として開設される予定であった。しかし、地元住民の反対があったため、営業所は荒川の反対側の葛西地区に新設することになった。一方、境川は上記代替路線(その後の錦14系統→現在の都07系統)の待機スペースをメインとした操車場が開設され、反対していた住民への見返りとして定期券売り場が併設された。当初の葛西営業所が江東区の系統を主としていながら江戸川区に車庫ができたのはこのためである。なお、現在、境川操車場は閉鎖され、跡地には回転寿司の店舗が建っている。

2004年に臨海営業所での運行業務がはとバスに委託されることとなり、同営業所の担当している黒字系統と当時の葛西営業所で担当していた赤字路線を振り替えた結果、江東区内の系統が減少し、江戸川区内の系統の受け持ちが大幅に増えた。同時に、下記に写真で示した東小松川分駐所も引き継いだ。その結果、ターミナルである葛西駅・西葛西駅と至近距離に位置することから車両回送の距離とコストが大幅に削減できることになり、この地に車庫を作ったことが大きな利点へと変化した(回送距離を比較すると、葛西駅の場合は臨海3.1kmに対し江戸川1.0km、西葛西駅の場合は臨海2.5kmに対し江戸川1.7kmである。)。

[編集] 浦安への乗り入れ ここでは、都営バスの千葉県浦安地区への乗り入れの概要を紹介する。城東地区に位置する各営業所は営団地下鉄東西線開通まで、交通が非常に不便であったこの地域と国鉄線(京葉線がまだなかったのでこの場合は総武線)を結ぶ路線として重要な地位にあった路線を多く受け持っていた。当時は同じように陸の孤島と呼ばれていた千葉県浦安町(東西線開通まで鉄道は全く無かった)も同様であり、都外であるが都営バスが多数乗り入れ、新小岩駅・錦糸町駅・亀戸駅・東京駅(さらに短期間のみ平井駅)までの直通便が運行されていた。浦安での折り返しは2箇所あり、浦安橋を渡ってすぐの「浦安橋東詰」(付近に交通局の職員住宅がある。現在の浦安市猫実5-10付近)と、浦安駅から南下し、湾岸道路(現在の国道357号線と首都高速道路湾岸線)の近く(現在の浦安市北栄4-20付近)にあった「浦安終点」(旧名:浦安学校)が存在した。これらは東西線開通により、1978年11月に全て廃止され葛西駅までの路線に変わった。その後は、民営バスを含めて浦安橋を渡るバス路線もその後は設定されておらず、浦安市内の一般乗合バスについては、市内の運行、または市川市とまたぐものが主となっている。

なお、1975年当時の千葉県内の停留所は下記の通りである。なお、浦安橋以西は東京都内のため割愛している。

浦安終点 - 新仲宿 - 浦安駅 - 浦安橋東詰 - (浦安橋)以下都内のため省略