テレビジョン放送局

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テレビジョン放送局とは、テレビ放送を行う放送局である。

俗に放送局の局舎を「(テレビ)局」と呼ぶことがあるが正確でなく、放送局の本社は放送電波を発しているところとは限らない。一般的に、番組を収録・編集したり番組を決められた順番に送り出す作業を行う施設を「演奏所」、演奏所で作られたビデオ信号を電波として送信する施設を「送信所」と称する。

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注記が無い限りは地上波テレビ局を指す。

止まらない視聴率低下・・・テレビ局はネットの普及によって圧倒的優位性を失った

テレビの総視聴率も低下するばかりだ。見る側がネットやスマホに時間を費やすようになったのだから、当たり前の現象である。1日に2~3時間もLINEに興じる中高生も珍しくない。

テレビ局側はまだ気付いていないフシがあるが、視聴率低下よりも大きな変化がある。テレビ局が視聴者に対して持っていた圧倒的な優位性の消失だ。ひとたび見る側の反発を買いそうな番組を流せば、たちまちネット上で批判され、下手をすると、番組の存続まで危うくなる。そんなとき、テレビ局側は圧倒的優位性を失ったことが分かっていないから、反発したり、うろたえたりする。

番組批判ばかりではない。インモラルな手段での収録が行われれば、それを知った人にネット上でたちまち告発される。もともとテレビ局と視聴者の関係は対等なのだが、視聴者が自分たちの声を発信する術を得たことにより、立場は完全にイーブンとなった。

ヤメ検の敏腕弁護士落合洋司氏が5月末、ツイッターTBSアッコにおまかせ』のスタッフの夜郎自大ぶりを辛辣に批判したが、これもスタッフが自分たちの圧倒的優位性が失われたことに気付いていない表れだろう。

「テレビには皆が協力すべきもの、という、傲慢、独善的な、ねじれた考えが染み付いているのだろう。 電話してくる奴も、頭も人間性も、いかにも低レベル。馬鹿丸出し」(落合弁護士の5月31日のツイートより)

ヤラセの問題も同じだ。2013年10月、フジテレビほこ×たて』のラジコン対決でヤラセがあったことが発覚し、番組は終了を余儀なくされたが、これも露見の端緒は対決に参加した人によるネット上での告発。しかし、テレビ局側はまだ自分たちに絶対的優位性があると思い込んでいるから、ヤラセ番組は後を絶たない。

ネット時代以前は、ヤラセは新聞や雑誌が暴くというのが通り相場だった。1992年郵政省(現総務省)が虚偽放送として厳重注意したドキュメンタリー『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』(NHK)のヤラセをスクープしたのも朝日新聞だ。外部の記者が察知し、記事化しなければ、ヤラセは露見しなかった。裏ではヤラセを暴こうとする記者と、隠そうとするテレビ局側の凄絶な攻防戦があった。

ところが、今や誰でも簡単にヤラセを告発できる。瞬く間にバレてしまう。それでもヤラセが一向になくならないのは、テレビ局側が視聴者側をいまだに侮っているからだろう。

テレビの現状を見つめているはずの民放各社の批評番組さえ、圧倒的優位性を消失に気付いていない。批評番組は自分たちで識者らを招き、主に自社番組を誉めてもらったり、あるいは辛口の言葉を投げ掛けてもらったりしているが、すでにネット上で視聴者側のジャッジは下されているのだから、現行のスタイルはほとんど意味を持たなくなっている。

低視聴率であっても良質の番組はネット上に賛辞の言葉が並び、どうしようもない番組はこき下ろされる。ところが、批評番組ではゲストが番組をボロクソに貶すのを見たことがない。

批評番組側が自分たちでゲストを選んでいるのだから無理もないが、これでは予定調和に過ぎず、残念ながらネット時代の視聴者の胸には響かない。

圧倒的優位性の消失をテレビ局側が認めていないから、テレビの最大の弱点である「一方通行性」も解消に至っていない。一方通行性とは、タイムテーブルに従っての番組視聴を義務付けていることだ。YouTubeやニコニコ動画、NTTドコモのdビデオなどと違い、テレビは見逃したらお終いである。

各局とも放送済み番組の動画配信を始めてはいるが、まだ利便性や料金面で難がある。PRも十分とは言えない。ラジオにおける「radiko」のようなネット上の同時配信も地上波にはない。ラジオは聴取率低下もあって、自分たちに優位性がないことを否応なしに気付かされている。

だから、テレビの動画配信より簡便なポッドキャストも導入して、リスナーの利便性を追求している。

パナソニックが2013年4月に発売した「スマートビエラ」のCMが、各局から締め出されたのもテレビ局側が自分たちに優位性があると思い込んでいる表れだ。スマートビエラはスイッチを入れた途端、番組画面とYouTubeなどのネットのコンテンツが並ぶ。これが、テレビ番組とネット情報の混同を招くとして問題視されたのだが、ネット普及率が9割の時代に両者の区別が付かないユーザーなどいない。

ましてスマートビエラを購入しようするくらいのユーザーが、商品特性が分からないとは思えない。これではテレビ局側が見る側の利便性を軽んじていると受け取られても仕方がない。

ネットをめぐる事件が起こると、報道・情報番組のキャスター、コメンテーターは競ってネットの危険性を訴える。まるでライバル叩きをしているように映る。

だが、手紙がコミュニケーション手段だった時代には文通を巡る事件が頻発していたのだ。技術の進化に罪はなく、ネットを責めているだけで事件を防げるはずがない。

テレビ局側が気付いてなかろうが、認めまいが、ネットの出現によってテレビの圧倒的優位性が消失したのは事実だ。時代には抗えない。これからは従来通りに番組の質が問われる一方で、不誠実な番組づくりは許されず、さらに見る側の利便性を優先的に考えることが迫られる。

テレビ局は免許事業である以外、ビールメーカーや自動車メーカーと変わらず、コンテンツ・メーカーに過ぎない。メーカーがユーザー本位で物事を考えず、成功を収められるはずがない。

参考文献

  • 『World Raido TV Handbook Billboard』

関連項目

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