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(コミュニティーの不在)
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門外不出の貴重な裏話でも、日本国内ではあまり知られていない話も、ウィキペディア日本語版に投稿した覚えは全くありませんね。ほぼ常識レヴェルのことばかりです。それを、常識ではないと判断しているキリカの責任は、何らかの形で問いたいですね。--[[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] 2007年5月11日 (金) 01:56 (JST)
 
門外不出の貴重な裏話でも、日本国内ではあまり知られていない話も、ウィキペディア日本語版に投稿した覚えは全くありませんね。ほぼ常識レヴェルのことばかりです。それを、常識ではないと判断しているキリカの責任は、何らかの形で問いたいですね。--[[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] 2007年5月11日 (金) 01:56 (JST)
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== コミュニティーの不在 ==
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日本語版では、目立ったコミュニティが存在しないので、著しく方針策定の機能が弱い。言論封殺とも言える程の破壊力で、コミュニティを消滅させてるので、議論すら起きていない。資料がないため、記述すらできないのである。
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削除が確認されたコミュニティは「バーンスター騎士団」「自警団」「包含主義」がある。削除された事で畏縮効果も及ぼしてる可能性もある。「あいさつ同好会」なるものが存在するのだが、英語版からのパクリと見られ、自発力に欠ける。「井戸端」も存在するが方針策定の場としての機能は弱い。
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言語を問わず、ウィキペディア編集哲学の、根本思想に「包含主義」と「削除主義」があります。陰陽の思想にも通じ、その他の思想は、この二つの思想の派生系です。
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日本語版では、一方の柱である「包含主義」の迫害を転機として、削除主義が優勢となります。管理者も削除主義に加担します。ここで、コミュニティの原理的なバランスを壊してしまいました。中途な記事作成は、いっさい認めず、過剰なまでの正確性、中立性、完成度を要求する様になります。極めつけとして、日本語版独自の方針である「管理者の解任」ができます。コミュニティ同士の牽制する力がなくなったので、矛先が管理者に向かうのは必然です。
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'''方針が翻訳されている'''という事実も注目に値する。方針とは「コミュニティの意志」である訳だが、翻訳による「意志のない文書」が生産され続けている。意志がない文書なので、拡大解釈がいくらでも利く奇妙な文書となっており、管理者裁量より、いくらでも方針が通用する。また、方針の策定者が不在なので、方針自体が暴走を引き起こす危険がある。
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この例を鑑み、方針の翻訳を積極的に行う、翻訳チームに対して、弊害を訴える声も一部ある。翻訳行為が有害とする声さえもある。
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管理者の解任を辞任に追い込んだ事例は少ないですが、コミュニティの心理状態が変化したのが、最大の変革と言えます。管理者を追いつめる行為に、正統性があるので、議論が活発となっています。しかし、管理者を解任させる為の議論なので、管理者の心理的負担は大きいです。[[利用者:キリカ|キリカ]] 2007年5月15日 (火) 02:20 (JST)

2007年5月15日 (火) 02:20時点における版

要出典タグなんかいっぱい貼って馬鹿なんじゃないかなあの人。--Noda,Kentaro 2007年5月10日 (木) 01:25 (JST)

一応お断りしておきますが、いかなるWEBサイトも出典の明示として掲載が可能です。こんなところに書いてあるから出典に値しない、などという詭弁がウィキペディア日本語版では見られますが、これは実は誤りです。わかっててBOTが誘導してます。はてなキーワードは執筆者が誰なのか、メールアドレスがどこなのか、必ず要求されます。--Noda,Kentaro 2007年5月10日 (木) 03:32 (JST)

門外不出の貴重な裏話でも、日本国内ではあまり知られていない話も、ウィキペディア日本語版に投稿した覚えは全くありませんね。ほぼ常識レヴェルのことばかりです。それを、常識ではないと判断しているキリカの責任は、何らかの形で問いたいですね。--Noda,Kentaro 2007年5月11日 (金) 01:56 (JST)

コミュニティーの不在

日本語版では、目立ったコミュニティが存在しないので、著しく方針策定の機能が弱い。言論封殺とも言える程の破壊力で、コミュニティを消滅させてるので、議論すら起きていない。資料がないため、記述すらできないのである。

削除が確認されたコミュニティは「バーンスター騎士団」「自警団」「包含主義」がある。削除された事で畏縮効果も及ぼしてる可能性もある。「あいさつ同好会」なるものが存在するのだが、英語版からのパクリと見られ、自発力に欠ける。「井戸端」も存在するが方針策定の場としての機能は弱い。

言語を問わず、ウィキペディア編集哲学の、根本思想に「包含主義」と「削除主義」があります。陰陽の思想にも通じ、その他の思想は、この二つの思想の派生系です。

日本語版では、一方の柱である「包含主義」の迫害を転機として、削除主義が優勢となります。管理者も削除主義に加担します。ここで、コミュニティの原理的なバランスを壊してしまいました。中途な記事作成は、いっさい認めず、過剰なまでの正確性、中立性、完成度を要求する様になります。極めつけとして、日本語版独自の方針である「管理者の解任」ができます。コミュニティ同士の牽制する力がなくなったので、矛先が管理者に向かうのは必然です。

方針が翻訳されているという事実も注目に値する。方針とは「コミュニティの意志」である訳だが、翻訳による「意志のない文書」が生産され続けている。意志がない文書なので、拡大解釈がいくらでも利く奇妙な文書となっており、管理者裁量より、いくらでも方針が通用する。また、方針の策定者が不在なので、方針自体が暴走を引き起こす危険がある。

この例を鑑み、方針の翻訳を積極的に行う、翻訳チームに対して、弊害を訴える声も一部ある。翻訳行為が有害とする声さえもある。

管理者の解任を辞任に追い込んだ事例は少ないですが、コミュニティの心理状態が変化したのが、最大の変革と言えます。管理者を追いつめる行為に、正統性があるので、議論が活発となっています。しかし、管理者を解任させる為の議論なので、管理者の心理的負担は大きいです。キリカ 2007年5月15日 (火) 02:20 (JST)