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(黎明期の共産主義思想)
(思想)
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共産主義のシンボルには、[[社会主義]]と同様に[[赤#国家・政治に関する赤|赤色]]や[[赤旗]]が広く使用されている。また特にマルクス・レーニン主義系の共産主義を表すシンボルには[[赤い星]]や[[鎌と槌]]なども使用されている。
 
共産主義のシンボルには、[[社会主義]]と同様に[[赤#国家・政治に関する赤|赤色]]や[[赤旗]]が広く使用されている。また特にマルクス・レーニン主義系の共産主義を表すシンボルには[[赤い星]]や[[鎌と槌]]なども使用されている。
  
== 思想 ==
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=== 黎明期の共産主義思想 ===
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コミュニズム(共産主義)という言葉の由来はラテン語の“communis”であり、[[共有]]、共通、共同 を意味する。歴史的に最も早い使用例はシルヴィ父子によって書かれた『理性の書』([[1706年]])である。私有財産の否定による完全平等の実現という現在使われる文脈とほぼ同じ意味でコミュニズム(共産主義)という語を用いた最初の人物はフランソワ・ノエル・バブーフである。バブーフは後に「共産主義の先駆」とも呼ばれ、また前衛分子による[[武装革命|武装蜂起]]や[[プロレタリア独裁|階級独裁]]などの[[革命]]思想の概念の先駆者の一人でもある。
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その後、[[フランス]]において[[社会主義]]や共産主義などの思想が広まった。[[19世紀]]のフランスにおける共産主義思想を[[ドイツ]]に紹介した人物は[[ローレンツ・フォン・シュタイン]]であった。[[カール・マルクス]]もシュタインの著作である『[[今日のフランスにおける社会主義と共産主義]]』([[1842年]])を読んだ。
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[[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]は『[[空想から科学へ]]』の中で次のように述べた。
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:「大きな[[ブルジョア]]運動がおこるたびごとに、近代的[[プロレタリアート]]の、多少とも発展した先駆者である[[社会階級|階級]]の、自主的な動きがいつも現われた。たとえば、ドイツの[[宗教改革]]と[[ドイツ農民戦争|農民戦争]]との時代における[[再洗礼派]]と[[トマス・ミュンツァー]]、[[清教徒革命|イギリス大革命]]における[[清教徒革命#議会派|平等派(レヴラーズ)]]、[[フランス革命|フランス大革命]]における[[フランソワ・ノエル・バブーフ|バブーフ]]がそれである。まだ一人前になっていなかった階級のこれらの革命的蜂起とならんで、それにふさわしい理論的表明がおこなわれた。一六、一七世紀には理想的社会状態の空想的な描写が、一八世紀にはすでにあからさまな共産主義理論(モレリーとマブリー)が現われた。」
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=== マルクス主義 ===
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[[マルクス主義]]参照
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マルクスとエンゲルスは、[[1847年]]6月に[[共産主義者同盟 (1847年)|共産主義者同盟]]の綱領的文書として執筆した『[[共産党宣言]](共産主義者宣言)』において、[[資本主義]]社会を[[ブルジョワジー]](資本家階級)と[[プロレタリアート]](労働者階級)の階級対立によって特徴づけ、ブルジョワ的所有を廃止するためのプロレタリアートによる[[権力]]奪取を共産主義者の目的とした。この[[革命]]によって階級対立の解消、[[国家権力]]の[[止揚]]へと向かい、各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件となるような協同社会を形成することが共産主義の目標であるとした。
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エンゲルスは、[[1880年]]に出版された『[[空想から科学へ]]』において、[[唯物史観]]と[[剰余価値|剰余価値説]]によって社会主義は[[科学]]となったとし、自らの立場を[[科学的社会主義]]と称した。共産主義社会の詳細な構想を語るのではなく、資本主義社会の科学的分析によって共産主義革命の歴史的必然性を示そうとするところにマルクス主義の大きな特徴がある。
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とはいえ、マルクスやエンゲルスが共産主義社会のイメージを語った例もいくつか存在する。前述の『共産党宣言』のほか、[[1873年]]に出版された『[[資本論]]』第一巻の第二版には、「共同の[[生産手段]]で労働し自分たちのたくさんの個人的労働力を自分で意識して一つの社会的労働力として支出する自由な人々の結合体(Assoziation)」についての言及がある。社会的分業の一環としての労働が私的な労働として行われる商品生産社会を乗り越えた社会についての記述であり、事実上の共産主義論と見なされている。また、直接言及した箇所には第一版の「共産主義社会では、機械は、ブルジョワ社会とはまったく異なった躍動範囲をもつ」、第二版の「共産主義社会は社会的再生産に支障が出ないようあらかじめきちんとした計算がなされるだろう。」がある。[[1875年]]、マルクスは『[[ゴータ綱領批判]]』の中で共産主義社会を低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた。
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その後の歴史的展開により、マルクス主義には様々なバリエーションが存在する。[[マルクス・レーニン主義]]、[[トロツキズム]]、[[毛沢東主義]]などである。
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=== 無政府共産主義 ===
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[[無政府共産主義]]は自由主義共産主義とも呼ばれ、[[国家]]や[[近代私法の三大原則|私的所有権]]や[[資本主義]]などの全廃を提唱し、[[生産手段]]の[[社会的所有]]、自主的な[[組合]]や生産現場における[[労働者評議会]]による[[直接民主主義]]や水平的なネットワーク、「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」との指導原理をベースとした消費、などに賛成する。
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[[ピョートル・クロポトキン]]や Murray Bookchin などの無政府共産主義者は、そのような社会のメンバーは公的企業や相互扶助の利益を認識しているために必要な労働を自発的に達成すると信じた。一方で、[[ネストル・マフノ]]や[[リカルド・フロレス・マゴン]]などは、無政府共産主義の社会では子供や老人、病人、弱者などを除いた全員は労働を義務とされるべきと確信していた。クロポトキンは、真の無政府共産主義社会では怠惰または[[破壊活動|サボタージュ]]は大きな問題になると考えなかったが、自由に関連した無政府共産主義では、担当した仕事を実行するという共通の合意を満たさないままで離脱する事を認めた。
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=== キリスト教共産主義 ===
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[[キリスト教共産主義]]参照
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[[キリスト教共産主義]]は、キリスト教を中心にした宗教的共産主義の形態の1つである。その理論的および政治的な理論は、[[イエス・キリスト]]が[[キリスト教徒]]に理想的な社会体制としての共産主義を論じた、という視点をベースとしている。キリスト教共産主義者は彼らの教義の実践の起源を、[[新約聖書]]の[[使徒行伝]]の2章の以下の節などに求めている。
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そして彼らは断固として使徒達の教義や団結を継続した ... そして互いに信じ、全ての物を共有した。そして彼らの所有物や品物を売り、彼らは全員の一部となり、全員が必要となった。
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キリスト教共産主義は、[[キリスト教社会主義]]の[[急進主義|急進的]]な形態と見ることもできる。また多くのキリスト教共産主義者は、過去に独立した、国家の無い共同体を形成したため、キリスト教共産主義と[[キリスト教無政府主義]]の間には関連がある。キリスト教共産主義者には、マルクス主義の色々な潮流に、賛成する者、賛成しない者などがいる。キリスト教共産主義者はまた、資本主義を社会主義に置換え、更に将来には共産主義に移行する、などの点では、マルクス主義者と政治的な目標を共有する。しかしキリスト教共産主義者は、社会主義者または共産主義者の社会が組織されなければならないとするマルクス主義や特に[[レーニン]]主義に対してはしばしば賛同しない。
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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==

2013年1月9日 (水) 11:06時点における版

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主にマルクス・レーニン主義系の共産主義のシンボルともされる赤い星

共産主義(きょうさんしゅぎ、)は、共産主義(きょうさんしゅぎ、英: Communism、露: Коммунизм)は、政治経済などにおける思想や運動や体制の類型のひとつ。

私有財産制を制限あるいは廃止して、財産の一部または全部を共同所有する搾取のない平等な社会をめざす思想や運動のこと。制限する財産の種類や共有化する財産の新たな所有形態に関しては、古くから様々な議論があり、それにより、「共産主義」の定義は多数存在している。政治学的類義語に「社会主義」、対義語に「資本主義」がある。

共産主義は、多数の異なった政治理論に基づく多数の形態が考えられてきている。共産主義の源流とされる思想の歴史は古く、プラトンの国家論、キリスト教共産主義などの宗教における財産の共有、空想的社会主義と呼ばれる潮流における財産の共有、フランス革命でのジャコバン派、一部のアナキズムによる無政府共産主義などがある。19世紀後半にカール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスが共産主義思想を体系化し、その集産主義的な「マルクス主義」が共産主義思想の有力な潮流となった。また十月革命の成功によるソビエト連邦の成立により、ウラジーミル・レーニンによる革命的な党の組織論などをマルクス主義に総合した「レーニン主義」が影響力を高め、後に「マルクス・レーニン主義」として定式化された。更にレフ・トロツキーによるマルクス主義の概念である「トロツキズム」、毛沢東による当時の中国の状況に適合させたマルクス主義の解釈である「毛沢東主義」など、多数の派生や解釈が存在する。ソ連崩壊以降は「正統派マルクス主義」の影響力は世界的に大きく低下したが、マルクス主義または非マルクス主義の、各種の共産主義の思想や運動が存在し続けている。

「共産主義」の用語は「共同の、共有の」の意味を持つ「ラテン語communis」が語源で、「共産主義の先駆」と呼ばれるフランソワ・ノエル・バブーフが現在の意味で最初に使用し、それをジョン・グッドウィン・バーンビー(en)が英語に紹介した。「共産主義」はしばしば「社会主義」の同義語と誤用されているが本来は、共産主義は私有財産制に対する財産の共有、社会主義は個人主義的自由主義に対する社会的解決を意味した用語である。なおマルクス・レーニン主義者による用語では、社会の発展段階のうち「資本主義(社会)」から「共産主義(社会)」へ移行する低い段階を「社会主義(社会)」と呼んでいる。また固有名詞の「共産主義」(Communismなど先頭が大文字)は、特にマルクス・レーニン主義の自称・他称である場合も多い。

共産主義のシンボルには、社会主義と同様に赤色赤旗が広く使用されている。また特にマルクス・レーニン主義系の共産主義を表すシンボルには赤い星鎌と槌なども使用されている。

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歴史

空想的社会主義

19世紀前半にはアンリ・ド・サン=シモンシャルル・フーリエロバート・オウエンといった思想家達が、ユートピア構想に基づく社会主義的理論と、共同体の運営実験を行った。ロッチデール先駆者協同組合ニュー・ラナークはその試みの例である。彼らの思想はマルクスやフリードリヒ・エンゲルスにも影響を与えた。エンゲルスは彼らの思想を「空想的社会主義」と特徴づけた。

共産主義者同盟

1834年、パリで君主主義に反対するドイツ人亡命者の秘密結社追放者同盟が結成された。1837年カール・シャッパーヴィルヘルム・ヴァイトリングらが分裂し、正義者同盟を結成した。1838年に同盟では共産主義的綱領が採択され、最初の共産主義団体となった。やがて合法活動に転じたシャッパーと武装蜂起路線をとるヴァイトリングの対立が表面化し、同盟は分裂状態に陥った。

1846年2月にマルクスとエンゲルスはブリュッセルでブリュッセル共産主義通信委員会を結成した。マルクスらとシャッパー派は連携し、正義者同盟の再編を行った。1847年6月に正義者同盟は共産主義者同盟と改称し、再スタートを切った。シャッパーはマルクスとエンゲルスに綱領的文書の作成を依頼し、シャッパーの校閲を経た上で発表された。これが『共産党宣言(共産主義者宣言)』である。

第一インターナショナル

第一インターナショナル参照

1866年、ジュネーブで社会主義者の国際組織第一インターナショナルが初開催された。この組織の中でマルクスの理論は次第に影響力を強めていくが、ピエール・ジョゼフ・プルードンミハイル・バクーニン等の無政府主義者と対立した。1872年にはマルクス派がバクーニンを除名し、第一インターナショナルは分裂した。

同じ頃ピョートル・クロポトキンは無政府主義の延長上にある無政府共産主義を唱え、幸徳秋水を始めとする世界の思想家に影響を与えた。

社会民主主義の成長と挫折

1889年にはマルクス主義派が中心となって第二インターナショナルが設立された。中心的な役割を果たしたのはドイツ社会民主党であり、カール・カウツキーが同党の中心的理論家として活躍し、マルクス主義の権威も高まった。しかし同党では1890年代プロレタリア独裁暴力革命を否定するエドゥアルト・ベルンシュタインらによる修正マルクス主義とカウツキーらの論争(修正主義論争)が勃発した。後に修正主義の路線は社会民主主義の思想を生み出すことになる。

マルクス主義はゲオルギー・プレハーノフによってロシアにも持ち込まれ、ロシア社会民主労働党のイデオロギーとなった。ロシア社会民主労働党のウラジミール・レーニンは、ボリシェヴィキと呼ばれる分派を形成し、マルクス・レーニン主義と呼ばれる思想を形成しつつあった。彼の思想に対する有力な反論者がドイツ社会民主党のローザ・ルクセンブルクであり、激しい論争が起こっている。

しかし1914年第一次世界大戦が始まると、加盟政党は国際主義的な戦争反対の主張を放棄してそれぞれ自国政府の戦争を支持し、第二インターナショナルはばらばらになった。戦争反対を貫いたのはボリシェヴィキのほかには、カウツキー、ベルンシュタイン、ルクセンブルクらが結成したドイツ独立社会民主党をはじめとするごく少数だった。

ロシア革命の成功と世界革命支援

ボリシェヴィキは1917年10月にロシアで武装蜂起を成功させ(十月革命)、権力を獲得した。1918年には党名をロシア共産党に変更し、ドイツとブレスト=リトフスク条約を結んで第一次世界大戦から離脱した。土地の社会化や労働者統制などの政策を実施した。

一方ドイツでは、1918年11月12日に皇帝ヴィルヘルム2世が退位すると、独立社会民主党のカール・リープクネヒトによって社会主義共和国の成立が企てられたが、戦争中から和平に転じた社会民主党が機先を制し、社会民主党主導の政府が成立した。同年12月、独立社会民主党から分裂したルクセンブルクとリープクネヒトによってドイツ共産党が成立し、ドイツ革命を目指したが翌年1月に鎮圧された(スパルタクス団蜂起)。

ロシア共産党は1919年コミンテルンを設立して世界各地の革命を支援した。この結果生まれたのがハンガリー・ソビエト共和国等であったが、大半が短期間のうちに消滅した(参照)。しかしコミンテルンの革命支援・共産党に対する指令の動きはその後も継続された。コミンテルン書記のカール・ラデックは、革命を起こすために各国の右派との連帯を目指すナショナル・ボルシェヴィズム路線を提唱し、ルール占領に反対するストライキなどで右派政党との協調路線をとらせた。

ペルーではホセ・カルロス・マリアテギペルー共産党を結成したが、彼の理論はコミンテルンに受け入れられず独自路線を歩むことになった。彼は原住民の復権を唱えたインディヘニスモ運動を起こし、センデロ・ルミノソトゥパク・アマル革命運動などのラテンアメリカ各地の左派運動に影響を与えることになる。

スターリン主義とトロツキー主義