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バス車掌の'''服装検査制度'''(ふくそうけんさせいど、通称: '''身検制度''')は、日本において女子バス車掌に対して昭和初期から昭和30年代まで行われていた全裸[[マンコ|性器]][[肛門]]検査を正当化するもので、車掌は仕事で現金を扱うために料金着服防止目的の身体検査が義務付けられていた。正木鞘彦『バス車掌の時代』(現代書林)には、女子バス車掌は終業時に必ず入浴する習慣があって、その時に脱衣所で脱いだ服や下着や生理用品に金を隠していないか調べられたと記述されており、また同書には、バスに乗る前に自分の所持金は事務所に申請して預けておいて売上金とは区別するルールだったのに家族のための金の申請を忘れたばかりに後で自分の所持金だった金が認められず、それを主張したことで売上金を着服しようと嘘をついていると疑われて差別を受け、絶望して歩道橋から飛び降りて自殺した娘の話、当時車掌は運転手の助手としての仕事もあり、狭い道の誘導の際にバスと電信柱の間に挟まれて死亡した娘の話などが書かれている。こうしたことは、戦前1930年代後半から1960年代(昭和40年代初め頃)にかけて実際にあった事件で、同書はそれから40年あまりたった1992年に刊行され、基本は1950年代末に刊行された別の書である。その『紺の制服 - バスの女子車掌たち』は改版される度に内容が削られ、最後の方の版になると「とても書けないようなことが行われていた」などとお茶を濁して薄いものとなっている。SM雑誌『裏窓』や当時の婦人雑誌には身検についての凄まじい内容が多く掲載されていた。これは女工哀史以上に酷い戦前からの女性労働問題でもあった。1960年7月には車掌服装検査制度は人権侵害であるとして大阪交通の1車掌が法務局に訴えていたが、1963年6月2日に神戸交通局の女子車掌が料金着服の嫌疑を受けて自殺した事件<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0320/04306070320032a.html 衆議院会議録情報 第043回国会 地方行政委員会 第32号] - 昭和38年6月7日(金曜日)午前10時47分開議</ref>を機に廃止の要求が高まり、この制度は1965年5月16日になって全廃に至った<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1965/1965_22.html 車掌服装検査制度全廃[労]1965. 5. 16]</ref>。
 
バス車掌の'''服装検査制度'''(ふくそうけんさせいど、通称: '''身検制度''')は、日本において女子バス車掌に対して昭和初期から昭和30年代まで行われていた全裸[[マンコ|性器]][[肛門]]検査を正当化するもので、車掌は仕事で現金を扱うために料金着服防止目的の身体検査が義務付けられていた。正木鞘彦『バス車掌の時代』(現代書林)には、女子バス車掌は終業時に必ず入浴する習慣があって、その時に脱衣所で脱いだ服や下着や生理用品に金を隠していないか調べられたと記述されており、また同書には、バスに乗る前に自分の所持金は事務所に申請して預けておいて売上金とは区別するルールだったのに家族のための金の申請を忘れたばかりに後で自分の所持金だった金が認められず、それを主張したことで売上金を着服しようと嘘をついていると疑われて差別を受け、絶望して歩道橋から飛び降りて自殺した娘の話、当時車掌は運転手の助手としての仕事もあり、狭い道の誘導の際にバスと電信柱の間に挟まれて死亡した娘の話などが書かれている。こうしたことは、戦前1930年代後半から1960年代(昭和40年代初め頃)にかけて実際にあった事件で、同書はそれから40年あまりたった1992年に刊行され、基本は1950年代末に刊行された別の書である。その『紺の制服 - バスの女子車掌たち』は改版される度に内容が削られ、最後の方の版になると「とても書けないようなことが行われていた」などとお茶を濁して薄いものとなっている。SM雑誌『裏窓』や当時の婦人雑誌には身検についての凄まじい内容が多く掲載されていた。これは女工哀史以上に酷い戦前からの女性労働問題でもあった。1960年7月には車掌服装検査制度は人権侵害であるとして大阪交通の1車掌が法務局に訴えていたが、1963年6月2日に神戸交通局の女子車掌が料金着服の嫌疑を受けて自殺した事件<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/043/0320/04306070320032a.html 衆議院会議録情報 第043回国会 地方行政委員会 第32号] - 昭和38年6月7日(金曜日)午前10時47分開議</ref>を機に廃止の要求が高まり、この制度は1965年5月16日になって全廃に至った<ref>[http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1965/1965_22.html 車掌服装検査制度全廃[労]1965. 5. 16]</ref>。
  

2011年1月13日 (木) 23:04時点における版

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犬!
日本における1941年(昭和16年)頃の徴兵検査

バス車掌の服装検査制度(ふくそうけんさせいど、通称: 身検制度)は、日本において女子バス車掌に対して昭和初期から昭和30年代まで行われていた全裸性器肛門検査を正当化するもので、車掌は仕事で現金を扱うために料金着服防止目的の身体検査が義務付けられていた。正木鞘彦『バス車掌の時代』(現代書林)には、女子バス車掌は終業時に必ず入浴する習慣があって、その時に脱衣所で脱いだ服や下着や生理用品に金を隠していないか調べられたと記述されており、また同書には、バスに乗る前に自分の所持金は事務所に申請して預けておいて売上金とは区別するルールだったのに家族のための金の申請を忘れたばかりに後で自分の所持金だった金が認められず、それを主張したことで売上金を着服しようと嘘をついていると疑われて差別を受け、絶望して歩道橋から飛び降りて自殺した娘の話、当時車掌は運転手の助手としての仕事もあり、狭い道の誘導の際にバスと電信柱の間に挟まれて死亡した娘の話などが書かれている。こうしたことは、戦前1930年代後半から1960年代(昭和40年代初め頃)にかけて実際にあった事件で、同書はそれから40年あまりたった1992年に刊行され、基本は1950年代末に刊行された別の書である。その『紺の制服 - バスの女子車掌たち』は改版される度に内容が削られ、最後の方の版になると「とても書けないようなことが行われていた」などとお茶を濁して薄いものとなっている。SM雑誌『裏窓』や当時の婦人雑誌には身検についての凄まじい内容が多く掲載されていた。これは女工哀史以上に酷い戦前からの女性労働問題でもあった。1960年7月には車掌服装検査制度は人権侵害であるとして大阪交通の1車掌が法務局に訴えていたが、1963年6月2日に神戸交通局の女子車掌が料金着服の嫌疑を受けて自殺した事件[1]を機に廃止の要求が高まり、この制度は1965年5月16日になって全廃に至った[2]

制度の始まりと実態

昭和30年代まで、バスには運転手のほかに切符を切って料金を客から徴収する女子の車掌が必ず乗っていたが、一日の仕事が終わった後、彼女たちには男性検査官による身体検査が行われていた。当初のバス車掌は中卒女子の花形職業であり、中卒で女子車掌に応募した16、17歳から高校を卒業した20代後半くらいまでが大半だった。最初は花形職業だったが「バスガール」と呼ばれる頃になると、当の車掌本人達は軽蔑され見下されている気がしたといい、高校に通っている中学時代の同級生が通学客としてバスに乗ってくると劣等感を感じたりもしたという。それでも中卒で就職できる職業にしては給料が良かったため、数年後には貧困で弟や妹が多い家庭事情の娘や高校に行けない不良娘が就く仕事になった。バス女子車掌がいなくなったのは、料金着服や集団売春などの様々な問題を起こしたため、世間の評判が悪くなって真面目な少女は集まらなくなり、不良娘ばかりで集団売春などの問題を多発、会社が閉口してやめたというのが真相である。中学校の進路相談でバス会社と面談の際、立ったまま揺れるバスに一日中乗務する仕事なので採用試験の身体検査では裸になって子宮と痔の検査をすると言われただけで真面目な娘なら泣き出す時代であり、検査を受け入れるのはほとんどが不良娘だった。女性車掌深夜業務が禁止になり、追ってワンマン化が進行すると女性車掌は配置転換されたり、退職したりして姿を消した。2008年9月30日の新聞には岩手の岩手交通で乗り合いバスの女子車掌が廃止されたとある。

昭和37年、東京の私鉄系大手バス会社はバス女子車掌1,400人のうち50人あまりを料金着服で摘発したと報告している。チャージといって金の着服を行い、警察に捕まる者も多かった。そこでバス会社は、身検制度に基づいて厳しい検査を行い、昭和38 - 39年の国会でも取り上げられ[3][4]、当時の雑誌などに頻繁に掲載された。まだ観光バスバイドが一般的でなかった頃、バス会社は女子車掌に対して着服の事実がなくても陥れたり、無理やり自供させたり、毎日あるいは定期的に集団あるいは1人だけでズロース1枚で検査室へ入れ、中で鍵を閉めると全裸にして性器肛門まで調べ、性的拷問も行った。身検室や懲罰室からは、いつも女子車掌の泣き声が聞こえた。

昭和20年代の『裏窓』にはバス会社ごとの裸体検査方法の違いや、そこで裸や性行為を人に見られる快感に目覚めたというマゾ奴隷モデルの緊縛写真などが掲載されていた。昭和29年の調査ではバス女子車掌が即日解雇される率は200人に1人だったが、これは料金着服が身体検査で発見された結果、かなり悪質と認められた者で、即日解雇は私鉄系に多く、公営の場合は懲罰を与えるが即日解雇はしない所が多かった。市バスなどの公営交通が一時期、身検室や懲罰室を設置して女子車掌に全裸性器肛門検査を実施していたのに比べて、私鉄系では更衣室や休息室でのホールドアップ検査が主流で、着衣のまま大きく口を開けて舌を突き出し、両手を高く上げるホールドアップの姿勢をとり、防犯検査係が着衣のボタンを外し、ベルトをとって下着をずり下ろして局部を検査した。懲罰も臀部殴打などよりも、性器や肛門に刺激物を塗布や挿入して一定時間苦しい姿勢を長時間強制して晒し者にする羞恥刑が多かった。プロレタリア文学では女浪花節語りのようだと評された女子車掌の声だが、裸体検査の際に平均20分間も舌を突き出していたためにそのような声になったのである。

バスの女子車掌の料金着服防止の防犯検査の前に、造幣局や有価証券を印刷している工場の女子職員が作業場を出入りする度に丸裸で青竹を跨がされるなどの全裸身体検査が世間に広く知られており、造幣局で行われていた裸体検査の方法が女子車掌の防犯検査にも取り入れられた。造幣局では出勤すると全裸になり、ポケットのない独特の制服に着替える。下着の着用、私物の携帯は厳禁で、退勤時は全裸で行列して検査係の前の床にペンキで描かれた手型、足型に手足を置き、大きく足を開いて膝を付けずに四つん這いになり、検査係は全身を撫で回し、髪の中、口中も改めた上で、圧舌子に似た金属のヘラを2枚使って、性器肛門をこじ開けて内部を改めた。性器はともかく、肛門を開かれるのは慣れるまで随分と痛かったという。これが終わると、よし!という声と共に尻をバシッと叩かれ、さらに高いハードルを跨がされ、梯子を昇らせて下から股座を観察、ようやく朝脱いで検査された私服に着替えて帰ることが許された。造幣局では大正末年頃から少しずつ検査方法が緩和されたが、終戦後の混乱で盗難が続発するとさらに厳しい検査が強制されるようになった。バス女子車掌の全裸性器肛門検査はまさにこの時期に始まり、当初の検査方法はそっくりで、女子車掌を尾行しての路上、下宿、自宅での性器肛門検査制度も戦後の混乱期対策としてほぼ同時に始まった。造幣局の女子職員は明治の初めに紙幣、貨幣を国産化するために招聘されたお雇い外国人キヨソネによって、日本最初の裸体モデルとして原版制作の技官達の前で全裸を晒した。これは美術学校での裸体デッサンよりも早く、造幣局何年史などの分厚い書に裸モデルになった造幣女子職員の写真が掲載されている。男の裸モデルには工部局の線路の労働者が使用された。

戦後の混乱期は若い女性も裸を恥かしがらない風潮が強かったので、バス女子車掌が運行係に行う乗務点呼がシミーズ姿でもさほど恥かしくはなかったらしく、「〇〇〇子、18番線朝勤乗務します。防犯検査御願いします」と申告し、防犯係にシミーズの上から撫で回され、すそをまくってズロースの中を探られ、パシッと尻を叩かれて「点検終わり。異常なし」と告げられると制服と車掌鞄などの受取り札を持って車掌乗降口に廻り、服装を整えて乗務した。朝夕の乗務点呼で運行管理者に申告する順番を待つ時、女子車掌は両手を高く上げたホールドアップの姿勢で大きく口を開けて舌を突き出し、壁に向かってぴったりくっついた状態で行列させられ、この際の服装は軽い場合には制服のシャツのボタンを外してズボンかスカートのバンドとボタンを外した状態、厳しい場合にはズロース1丁かシミーズ1枚だった、顔をギリギリに近づけている壁にはチョークが塗ってあり、寝不足などで体がふら付いて舌にチョークが付くと勤務過怠で臀部殴打や全裸倒立などの刑罰が義務付けられていた。バス会社ではバス女子車掌の日ごろの操行を調べるために公職追放された特高上がりなどを雇い、料金着服をしそうな女子車掌の尾行させていた、これを密行と呼んでおり、分不相応な派手な買い物をしたりするのを見つけると、ちょっと来いと物陰に連れ込んで、両手を大きく上げるホールドアップの姿勢をとらせ、大きく口を開けて舌を突き出させ、声を出せないようにしておいて容赦なくシャツのボタンを外し、ズロースを剥ぎ取って検査した。これは密行検査と呼ばれ、どんな場所で命じられても女子車掌は検査を受ける義務があった。乗務を終えて運行事務所に戻り精算が済むとすぐに料金と残切符の入った車掌鞄を精算係に提出し、制服、制帽、車掌靴を返納して、ハンカチ、ちり紙など私物は制帽に入れて同時に渡し、下着姿になると車庫にある運行事務所で乗務下番の申告をし、防犯係の前で福引きの機械に似た防犯検査器を回して身検の種類を決め、青玉なら通常検査(そのままシミーズの上から撫で回して検査)、黄玉なら特別検査(シミーズを脱いでズロースに手を突っ込んで検査)、赤玉なら精密検査の別を大声で申告させられ、特に精密検査の場合は「女子車掌〇〇〇子、防犯検査器で赤玉が出ました、防犯検査は裸体です」と申告し、決定した検査を記した札を首に掛けられてズロース1丁になりシミーズを抱えて乳房を隠して身検室へ入り、検査されない高卒の女子事務員が忙しく働いている机の間を通って身検室に入る。この間も事務所の静粛を保つために女子車掌は大きく口を開けて舌を突き出していなければならず、十分に舌が出ていなかったり不用意に舌を引っ込めたりすれば「あんた! 通声罪よ」と言われ、臀部殴打30発などの刑罰を与えられた。

身検室では指や検査棒、婦人科器具、浣腸器を使って、屈辱の極みである性器肛門を容赦なくこね回す検査が義務付けられていた。「そぉれ、裸ン坊だよ!」と大きな声で命令されて事務所の奥のカーテンの奥に連れ込まれ、ズロースを脱がされ、「それ、カンカン踊り! 早くする!」とフレンチカンカンの動作を丸裸で口を大きく開けて、舌を思い切り突き出した格好でやらされた。最後は両手で両足首を握って尻を突き出すように強制され、大股を開いた格好で静止し、「女子車掌、〇子、検査準備整いました」と大声で申告し、「よし、ブスッといくぞ」と言われて陰部と肛門にワセリンを塗られ、ゴムサックをはめた防犯係の指と検査棒で性器肛門をつつき回された。身検室では「四つん這いになれ! 挙臀(きょでん)! 早くせんか!」と号令がかけられた。「挙臀」は軍隊用語で徴兵検査の肛門検査や伝染病防疫の直接採便で、丸裸の四つん這いで待機している被験者に顔と肩を床につけて、尻を思いきり突き出して肛門検査の体勢をとらせるための号令である。終戦直後のバス会社では女子車掌が身検室に入れられて脱衣を命じられ、検査用意で四つん這いにされた後、さらに一際高く「挙臀」の号令が響き渡った。身体検査をやるのは古手の車掌上がりの年増女だったが、料金着服の証拠が見つかってからは全裸のままの女子車掌を男の幹部が取り調べることもあった。この恥かしい検査のことを会社では「女の兵隊検査」と呼んでいた。バスの女子車掌は不良娘が多く、丸裸で性器肛門を探られるくらいで恥かしがることはなかった。検査終了後、懲罰を受けるものは懲罰室へ、身体検査、懲罰を終了した者は入浴許可証を持って浴室へ、入浴している間に返納した着衣、私物の検査が行われているので異常がなければ私物を受け取って帰宅が許される。回収した料金と残切符に多額の違算が発生すれば警察に引き渡すがいいかとか脅されさらに懲罰検査が行われた。精算で300円以上の過金を出すと、懲罰として尻の亀の尾という一番熱い場所に親指ほどもあるモグサでお灸をすえられる。意地の悪い担当者はギュッと固めてすえるので非常に熱く、思わず尻を振ってしまうので、この懲罰には「フラダンス」という名前が付いていた。会計係から「こら、〇〇、お前、また計算合わんぞ。懲罰室でフラダンス踊らされて来い」と怒鳴られると、その熱さと恥かしい格好を思い出して、バスの車掌はみな泣き出したという。女子車掌の身検室に「顔抜き看板」が設けられている車庫では、全裸にされ性器肛門を検査されている間、女子車掌は大きく口を開けて舌を思い切り突き出した顔を、身検室の衝立に空けた顔型の穴から出し、両手はパーの形に開いて衝立の上に出していなければならなかった。中腰になって思い切り突き出した尻の側から、検査員が性器や肛門を指や検査棒で突き回し、屈辱と激痛とで異常な性的昂奮に陥った恥辱の淫的表情を事務所内に晒して嘲笑が巻き起こる中で、女子車掌は涙と涎、鼻水を垂れ流した情けない表情で苦悶し、さらに検査終了後に送り込まれる懲罰室での惨い折檻を思って身悶えた。丸裸で身検台に昇って犬のチンチンの格好で舌を突き出し、涎を垂らして秘所を探られるチンチン検査を車庫の近所の子供達が覗いて「バスの車掌のチンチン検査、チンチンないけどチンチン検査、台に登って丸裸、犬の格好でチンチン検査」と、裸検査を済ませて半泣きで退社する女子車掌を囃し立てたりした。派手に声が聞こえるとまずいので、風呂の脱衣場にカーテンなどで囲った所があってそこで腸の中まで調べたり、刑務所と一緒で車庫の倉庫などで口を開けて舌をヒラヒラさせながら、万歳して足を上げて裸踊りをさせ、その後で梯子を昇らせて上から跳ばせるが、それだけでは陰部からも肛門からも隠したものが飛び出すとは限らないのでクスコなどの婦人科の器具や棒で広げ、両方とも中を指で探った。

検査の後は入浴が義務付けられており、脱衣所で衣服を検査係に渡した後、浴場の入り口に置かれた甘字架という磔(はりつけ)台に上り、所定の位置に手足を乗せると自然に性器肛門がぱっくりと開くような姿勢になるので、指や検査棒を突っ込みやすくなるのだが、これに必ず登ってさらし者にならなければ風呂に入れない構造になっていた。料金着服の疑いをかけられている車掌はここでも衆人環視の中で性器肛門の中身を容赦なく点検された。甘字架は漢字の「甘」に似た形の木製の責具で、吉村昭の小説「赤い人」など昔の監獄を描いた小説に登場し、英仏などの監獄で性器肛門検査に使われていた検査台であり、江戸時代の刑務所で全裸性器肛門検査用の拷問台として使われ、「赤い人」では北海道の樺戸集治監で屋外作業の政治犯達の肛門検査台として使用される。現在ではSMのスパンキング台としてM女をベルトで縛り付けて尻を突き出させて鞭打つ台として広く使われているが、下の四角の部分に裸の尻を落として上の出張りの部分の外側に膝を掛けると、婦人科診察台で股を全開した形となり身動きできなくなる。産婦人科というよりも蹲踞位でいきませ脱肛などないか診る肛門科の診察のようなものだった。

当時、車掌は裸踊りも仕事の一部だとされており、乗務中の車内でも痴漢に「どうせ、会社に帰れば泥棒の疑いで丸裸の四つん這いにされて、肛門までつつき回されるんだろう。これくらい平気だろう!」とからかわれながら、いろいろないたずらをされた。会社からは客に失礼のないよう、どんなことにも我慢するように言われていたため、抵抗も口応えもできず、火照る体と屈辱に身を震わせながら悔し泣きするだけだった。最終バスに乗務した女子車掌は始発に乗務するために営業所に泊まりこむが、幹部が運転手と女子車掌が別々の部屋で寝たことを確認する巡検後に帰宅すると、運転手が女子車掌を起こして散々弄んだ。

バス女子車掌の裸体検身を写した有名な写真には、事務所の衝立の陰の検身台の上で素っ裸の性器肛門丸出しで四つん這いにさせられている女子車掌の横を忙しそうに立ち歩く女子事務員の姿と脱がされた衣服を点検する防犯係、そして衝立の向こうではごく普通の事務所で伝票整理したり窓際で談笑したりする人の姿が映っている。当時のグラフ雑誌には日課作業として全裸性器肛門検査を受けた後で出発前の注意をされる毎日の女子車掌が脱いだシミーズで乳を隠したズロース1丁の格好で乗車前の注意事項を聞いている写真などが掲載されている。やや恥かしそうな表情で髪が掻き回されたように乱れていたり、ズロースが脱がされた後で雑に引き上げた状態で斜めになって割れた尻が見える。当時の雑誌では女の裸の商売としてストリッパー、裸海女とともにバスの女車掌が取り上げられ、バスの古タイヤの上に素っ裸で腹ばいになって肛門を弄ばれる様子が紹介されたりした。

女子車掌が弁当を食べる時は乗務中に小便したくなると困るのでお茶は湯飲みの底に少しだけ、そして弁当箱は出社時に預けて検査された上で渡されるので、おかずやごはんが掻き回されて情けない状態になったものを5分ほどで立ち食いした。座ると足や腰がよけいに辛くなるからである。車掌休憩室に入る時に下着だけになり、上から撫で回されて検査、食べ終わって出る時に下着に手を入れて検査、脱いだ制服は検査して返される。この時に割り箸の先に色が付いた物を筒に入れてガラガラ回しながら1本引く様に言われ、赤い色を引くと「帰ったらポンポンの中の検査だよ」と乗務終了後の浣腸検査の引導を渡される(婦人雑誌の告白欄、昭和35年)。女子車掌は朝礼で「小便禁止! 大便禁止! 両便禁止!」と3回叫んでから乗務するほど排泄行為を厳しく制限されており、万一バス乗務中に便意を我慢しきれなくなった折はバス会社が契約してある停留所近くの民家や商店など(大抵は古手の車掌の嫁ぎ先など)に駆け込んで排便させてもらうが便所を使うことは許されず、ここでは下半身裸にされて女主人などに監視されながら最上で土間に置かれた洗面器に排泄するか、普通は庭で犬のように四つん這いにさせられて片足を上げた格好で排泄させられ、大便にはコンドームに包んだ着服料金が混ざっていないか割り箸で検査し、意地の悪い者はその便のついた箸の先を女子車掌に舐めさせた。用便に掛かった時間を尻に書かれて、排泄した印に舌が真っ赤になる紙を舐めさせられ、女子車掌が乗務終了後、車庫に帰ってから裸体身体検査のために事務所に整列させられる時は、事務所の静粛を保つために必ず大きく口を開けて思い切り舌を突き出していなければならないので、途中で排泄したことはすぐにばれてしまい「しまりの悪い陰部に刑罰だ。犬のションベン3時間だね。洗車場で素っ裸の四つん這いで片足上げてろ。ズルしたら半殺しだよ」などと命令され、衆人環視の整備工場の洗車場で真っ裸の恥かしい四つん這いを晒し、さらに高圧ホースで性器肛門に水を噴射されて弄りものにされ、懲罰室に押し込まれて所定の厳罰を下された。このため女子車掌にはワンワン娘とか犬のションベンとか洗面器という蔑称もあった。またバスの営業所では女子車掌用の便所は鍵が掛けられない構造になっており、用便中にぱっと扉を開けられて「そのまま小便をこけ」と命令され衆人環視の中で放尿させられるのが当たり前だった。バスの女子車掌にはいろいろな名前の付いた懲罰があり、「物干し竿」は乗務中に小便を我慢しきれずにズロースを濡らした時に下される刑罰で、「ただ今より刑罰を与える。懲罰は物干し竿だ。腕にズロースを通して乾くまで素っ裸でそこに立ってろ」と命令され、誰が通るともわからない階段の踊り場などに1時間も2時間も立たされ、寒いのと恥かしいのとで女子車掌は大いに泣かされた。ズロースが乾けばそのまま解放されたわけではなく、所定の回数だけ尻を鞭で叩かれ派手に悲鳴を上げた。

沿線で大規模な祭りなどがあるとバス会社は大忙しで、いちいち指や棒を肛門に突っ込んで検査できず、片っ端から浣腸して中身を調べたために「女車掌の浣腸祭り」などと言われた。バケツを並べてグリセリン液を作っておき、降車してきた順番が偶数回の者は全員素っ裸の四つん這いにして浣腸器をぶち込み洗面器に下痢便をひり出させて検査した。日に何度も浣腸されて便に血が混じるようになると肛門に木栓をねじ込まれて下痢止めさせられ、マゾ趣味に目覚めた女子車掌たちはバスの揺れで尻栓に肛門を刺激されて大変によがったという。女子車掌は糞舐め女と呼ばれて軽蔑されていたが、これは全裸性器肛門検査の時に愛液や糞便、時には裂けた性器肛門の血が付着した検査係の指や検査棒を検査終了後に「ほれ、舐めて綺麗にするんだよ。早くする!」と号令を掛けられて舐めて綺麗にさせられていたことや、泊まり番の時の運転手との雑魚寝、乱交で肛門リップサービスを強要されていたことが世間に知れ渡っていたためだ。当時のバスの運転手は大陸の戦線などで退廃的な風俗嬢を体験しているので、泊まり番で女子車掌と雑魚寝する時には尻穴リップを強要し、女子車掌には不良娘が多かったためプレイ感覚でまんざら嫌がらずにやった。バス女子車掌の裸体身体検査では服従心を植えつけるために、身検室で全裸になるとすぐに犬の首輪を付けられて「さあ、3遍廻ってワン、早くする!」と命令され膝を付けずに四つん這いの姿勢をとらされ、尻を鞭で打たれながら、床を這いずり回ってワンワンと鳴かされ、挙句の果ては「そーれ、犬畜生らしく片足上げてションベンこいてみろ!」などと命令されて洗面器に放尿させられた上に、床にこぼれた小便は舌で舐めて掃除させられ、それから過酷な性器肛門に加えて腸の中身までの精密検査が行われた。

特に恥かしいのが「さあ、ポンポン検査用のイチヂク浣腸、持ってくだよ」とポケットに2つ3つと突っ込まれ、物資不足の中で新品のイチヂクなどはなく、何度も使った容器にグリセリン液を注入してマチ針を刺して松脂で封をしたもので、ポコポコとポケットが膨らむと、女子車掌を車内でいたぶる常習痴漢には事情がわかってしまい、尻やもっと恥かしい所を揉みながら、耳元で「おい、今日は帰ったら洗面器に下痢便ぶっこいて犬みたいな四つん這いで、こいた下痢便を舐めさせられるんだろう。おい、どうだ。下痢便ってどんな味だ」などと言われると、全身が真っ赤になって痙攣しながら淫汁をとめどなく垂れ流す者もあった(婦人雑誌の告白欄、昭和35年)。

こうした検査は「熱い浣腸も 鞭もある 身検室から 懲罰室へ シミ付きズロース 口に咥えて 私は東京の 穴ガール 尻穴検査願います 涙流して よがるのよ/昨日突かれた 肛門 今日もヒリヒリするけれど 処女膜検査で 破れても 肛門点検受けなきゃいけない 穴ガール おまんこ点検御願いします 泣いて悶えて よがるのよ」(昭和30年代にバスの女子車掌をからかってバス営業所で歌われた流行歌の替え歌)などと揶揄された。

処罰の種類

女子車掌の懲罰には直接に体を痛めつけるものと羞恥心を刺激して屈辱を与えるものが併用されていたが、「汽車、汽車シュッシュポッポ」などは両方を兼ね備えた刑罰で広く行われていた。膝を付けずに四つん這いにさせた女子車掌の肛門に発炎筒を突っ込んで火をつけると尖端から勢いよく煙が出るだけでなく肛門内にも熱を帯びた煙の一部が逆流するので、熱さに耐えかねた女子車掌は「汽車、汽車シュッシュポッポ」と言わされながら恥も外聞もかまっていられなくなり、表の洗車場まで丸裸のままで這って行って肛門に突っ込まれた発炎筒を消さなければならなかったが、許可を得ないと消せないので、大泣きして震えながら「肛門からハラワタまで焼けちまうだよー。水掛けさせてくんろー」とお国訛り丸出しで哀願した。赤ん坊の体温を精密に測る時は肛門に体温計を挿入するが、女子車掌に料金着服を自白させる拷問に「体温計」という方法があり、体に拷問をした傷が付かないので広く行われた。これには厳冬期の車庫でバスの潤滑油を余熱するために使われる湯煎棒を用いる。湯煎棒はすりこ木ほどの太さの金属製で内部を熱湯が循環する構造だが、湯温をヒーターで自在に調節できるために、丸裸の四つん這いにした女子車掌を動けないように検査係の股座に首を挟んで押さえつけ、肛門に湯煎棒を突っ込んで段々と温度を上げていくと女子車掌は腸を焼かれるような苦痛に襲われ、どんな無茶な罪でも認めて自白した。

「蝿取り線香」という刑罰は、昔、魚屋の店頭などで使われていた直径2センチあまり長さ30センチほどの褐色の虫除け線香を素っ裸で大きく口を開けて舌を突き出してまんぐり返しの格好をさせた全裸の女子車掌の肛門に突っ込み、豚の蚊遣りよろしく事務所や懲罰室、車庫などの床に放置し、「過金200円も出したら今日は家に帰るのは遅くなるぞ。蝿取り線香、肛門に突っ込んで、線香は3本だ」などと命令され、線香が燃え尽きて肛門を焼き始めるとまんぐり返しさせられている女子車掌はたまらず悲鳴を上げて尻を振り立て、「通声罪よ。鞭200発だね」などとさらに惨い刑罰を下された。バスに常備されていた蝋マッチを使ったおしおきでは、悪いことをした女子車掌が口に刑罰の数だけ蝋マッチを咥えさせられて便所に立たされ、入って来る者に蝋マッチを擦って陰毛を焼いてくれるように頼まなくてはならない。蝋マッチは体で擦って点火されるので痛くて熱い。陰毛が全部焼けると「もう禿山だよ。覚悟はいいね! ほれ、自分の指で開きな」と命令され、燃えているマッチを膣口に突っ込まれた。

女子車掌は運転手の所有物である印を陰毛を剃った跡に入れ墨されていた。これは当時の不良少女に流行していた悪戯で、車掌になって初めての泊まり番の時に裸体検査を済ませて雑魚寝部屋に入ってきた新入り車掌を運転手や古参車掌が押し倒して無理矢理に陰毛を剃ると昔の男の名前や不良グループのマークが沢山入れ墨されており、「なーんだ。ネエチャンもけっこう遊んでどるやんけー。ほれ、もひとつおまけに彫ってやるよ」といったことが多かった。またバスの女子車掌の大陰唇にピアスを付けて紐を通し、泊まり番の時は起床のベルが鳴ると同時に紐を引っ張って起こしていたバスの営業所もあった。このピアス装着は懲罰として行われ、3回以上起床に遅れた女子車掌に局部輪っか装着の刑罰が下され、床机に仰向けに押さえつけた女子車掌の大陰唇に衛生兵上がりの運行管理者がヨードチンキで消毒して真赤に焼いた針金で穴を開けた上でステンレスの釘を加工したピアスを装着して「さあ、これでお前も一生嫁にいけなくなったな。車掌辞めたらこれ見せて裸踊りでもやるか」と大勢で笑って引導を渡した。

兵隊検査は素っ裸で陰茎をしごかれ四つん這いになって肛門を突かれる恥かしい検査で、紡績の女子職員も寮に入るには素っ裸で肛門から大便を抜かれる直接採便をされた時代である。裸検査はバスの車掌だけのものではなく、最初の子宮と痔の検査は学校の教室で受け、バス会社から来た医者に陰部と肛門を検査され、幹部数人にその様子を見られた。医者の診察は特に恥かしくなかったが、幹部に肛門に指を入れられて筋肉の様子を見るからと何遍も肛門で指を締め付けたり緩めたりさせられたのは恥かしく、役得なのか肛門に指を突っ込みながらクリトリスに触れたりするので気持ちよくなって声を上げて笑われる者もあった(婦人雑誌の告白欄、昭和35年)。身体検査といえば三重県の真珠の養殖所や加工場でも小さな1粒が数万円の値が付くため終業後の検査室では丸裸で四つん這いにさせられ、紙縒りで肛門をつつかれ、髪の中や体中の穴という穴をほじくられた。この裸体身体検査は外国人観光客限定で公開し、肛門や性器の内部を探らせるのを観光の目玉にしていた。養殖技術の変遷に伴い、戦後になってからは真珠の生産に海女は不可欠ではなくなっていたが、それでも一種のショーとして外貨獲得に寄与した。以前は刑務所の中でも小さな工具などによる牢破りを防ぐために毎日、作業所から房に戻る時などに全員全裸にして穴の中まで調べた。

終戦直後は極端な食糧不足に陥り、女学校出の銀行員まで進駐軍相手に売春したが、英語のわかるインテリ女性は米軍将校などを相手にオンリーさんと呼ばれ、街頭で性交したりはしないからパンパン狩りで検挙はされなかったが、深夜早朝に出勤退勤するバス車掌は網を張っている警官や衛生局に捕まって手錠を掛けられ腰縄で数珠繋ぎにされて連行され、全裸に剥かれて強制検黴された。皮膚症状を診た上で性器の粘膜を採取して培養、結果が出るまで1週間拘留された。普通の女性なら全裸で性器をいじられたら大泣きするが、バスの女子車掌にとっては毎日やっている性器肛門検査より楽なため、鼻唄交じりに尻を突き出して顰蹙をかったりした。進駐軍の命令でバスの女子車掌が強制性病検査の対象職種に指定されていた時期もあった。進駐軍の兵隊に性病が蔓延すると若い女性が集まる職場に米軍の軍医と衛生兵が来て、まずアトランダムに10人ほどの処女検査をし、処女率が極端に低いと女性全員を全裸にして行列させ、性病の強制検診をした。全裸にするのは性病を血液検査で診断する方法が未発達だったため薔薇疹などの皮膚症状で診断したからで、ここで多数の性病患者が見つかると抗生物質を大量に投与して無料で治療してもらえるので性病に罹っている娘はむしろ助かるが、無関係な娘で非処女だった娘までが売春していたと見なされ、衛生対象者としてカードが発行され、定期的に米軍所定の病院に出頭して性病検査を受診するよう命令された。女子車掌は終バスに乗務して、始発に乗る場合は、宿直室で運転手と雑魚寝するため処女率が低く、車掌区ぐるみで衛生対象者に指定される場合が多く、当時、売春婦とされた事実が戸籍謄本に暗号で記載されると言われており、指定されるとお嫁にいけなくなったと泣き崩れる女子車掌が多かった。

女子車掌に常習的な着服を白状させる拷問に「砂」があり、料金着服が疑われる女子車掌を並べて「今日はお前達に砂を食わせてやる。でんぐり返しになれ」と号令を掛けると大抵の女子車掌は泣いて嫌がったが、陰茎の形をした巨大な検査棒の先に砂を付けて陰部に突っ込み激しくピストン運動させると激痛が走り、5分と耐えられずに「盗っ人しただよー。堪忍だべよー」と涙と鼻水と涎を垂れ流して白状した。また女子車掌の膣内に蛙を入れる懲罰もあり、これは夜這いテクとしても名高いため懲罰ともプレイともつかないが、衆人環視の中で全裸でやらされると昂奮度は高かった。中卒のバス車掌の中で容姿の優れた者は選抜されて本来は高卒の観光バスのバスガイドに昇進出来たが、「御説明」という制裁は会社から指名されて運転手や車掌の控え室に帰ってきた女子車掌に科される、下半身裸で秘部を指で開いてバスガイドの口調で御説明させられる刑罰だった。終戦直後に大型バスの運転ができたのは戦車兵や輜重兵捜索連隊で装甲車に乗っていた者や野戦帰りの古参兵ばかりであり、陸軍内務班や海兵団で行われた私的制裁がそのまま持ち込まれてさらに陰湿な方法で行われた。女子車掌の尻を海軍精神注入棒で殴打して子宮を飛び出させたり子供を産めなくさせたりしたため、後には女子車掌の折檻にはゴムホースを短く切ったものを鞭として使用するよう改善された。若い娘が全裸で長時間、柱や木にしがみつかされる刑罰は「蝉」と呼ばれ、軍隊では単にミーンミーンと蝉の鳴き真似をさせるだけだったが、女子車掌は「おめこ、おめこ、ちんこ、ちんこ」などと大声で卑語を叫ぶように強要された。例えば「さあ、〇〇。お前の喚呼の声は蚊の鳴くようじゃから、ちょいと鍛えてやる。素っ裸になって蝉になれ。その柱にしがみ付け。それ、鳴いてみい。なんじゃ、ミーンミーンとは。蝉はのー、メスがオスを呼ぶのに鳴いとるんじゃあ。もっと色気出して鳴かんかい。よし、おめこー、おめこー、チンチン、チンチンと鳴かんかい。もっとでっかい声を出さんかい。それからのー、蝉みたいに尻を振らんかい。よーし、それを100回やったら許してやるぞ。おー、もう1つ足らんか。最後にその格好のままでションベンぶっこいて柱から飛ぶんじゃ。それ、やってみい!」などと命令されたり、ある女子車掌は裸のまま道路に面した楠によじ登って塀の上に顔だけ出し、許されるまでミーンミーンと鳴いていなければならなかった。バス会社側のこうした検査・制裁が女子車掌の労働運動を先鋭化させて左翼が絡み、これを解決しようとして会社側が特高上がりを防犯係として雇い、拷問同様の裸体身体検査を課し、野戦帰りの運転手が女車掌に陸軍内務班仕込みの私的制裁を加え、ますます女子車掌を辱めていった。

バスの女子車掌は不良娘ばかりでSMプレイの感覚でやっていたためにどんどんエスカレートし、「ズリズリ」とか「人間芋虫」と呼ばれた刑罰では、月に2、3度の励行日で全員精密検査という日に大勢の女子車掌が身検室前の廊下に並ばされる時、肩を床につけて四つん這いになって突き立てた尻に両手を回して大陰唇を開き、事務所の静粛を保つために大きく口を開いて舌を思い切り突き出して、「それそれ、前へ進め」「さあ、早くしねぇと寒いよ。全部脱いで指でめくって行くんだよ。それ、景気つけてやらぁな」と検査補助の高校出たての女事務員にゴムホースを短く切った鞭で尻を打たれながら前進させられ、バシーンという音とともに事務所には卑猥な笑い声が上がり、両手の人差し指で陰部を開いて身検場に向かって進んだ。たまに来客があまりの光景に驚いたりしていると女子車掌たちはさらに昂奮して、検査終了後には「今日は若いメンタの客だったばい、よけい昂奮したとよ」などと淫汁を拭きながら猥談を楽しんだ(婦人雑誌掲載「人間芋虫の行列、ズリズリと音を立てて行進する丸裸四つん這い娘の尻に鞭が飛ぶ、今日の車庫は励行日」より)。この励行日には防犯係だけでは手が足りないので女子事務員も裸検査を手伝い、「だるま落とし」という遊びで女子車掌をいたぶった。全裸にされた女子車掌を3人くらいずつ木製の床机の上に犬のチンチンの格好で並ばせ、性器検査をしておいて、陰部をこね回されて勃起した陰核を牛殺しの要領で指で弾くと、あまりの痛さに悲鳴を上げて女子車掌は床机から転落する。転落した者は居残りで何度でも陰核に牛殺しを受けねばならず、陰核は紫色に腫れ上がった。さらに床机から転落した数を背中にチョークで書かれて懲罰室送りにされ、鞭で尻を嫌というほど叩かれた。

性器検査で指や検査棒でこね回されて、特に大きく陰核が勃起した女子車掌に科せられた刑罰では「オサネの長いのが交番署に知れて、これから3日間のサネ削り、さりとは淫売は辛いね♪」と猥歌を歌わされながら、自分の指で大きく性器を展開して、勃起した陰核を検査係につままれ、検査係の周りをぐるぐると回らされた。だんだん回る速度を上げさせられるため終いには歌うどころではなくなり「ヒィー! オサネが千切れるー!」と悲鳴を上げながらいつまでもいたぶられた。

女子車掌が裸体検査をどのように思っていたかを示す婦人雑誌の記事に、中学の進路指導でバスの女子車掌採用試験の内容を兵隊検査と説明され、受験を希望して帰宅したところ、小学生の弟から「ネェちゃん、肛門に指突っ込まれんのんか」と聞かれ、恥かしい噂は近所中に広がっていたと書かれている。この少女が度胸を決めて臨んだ身体検査会場は町の商工会館の2階会議室で、ズロース1丁で衝立の前に整列させられ、1人ずつ呼び込まれるのを待つ間に「ズロース脱いで。早くする。両手両足を印のところに置け」と指示されているのが聞こえ、四つん這いにされるんだと思って名前を呼ばれて中に入ると、試験官のお偉いさん達の位置から丸見えになっているのがわかり、全身が羞恥で真っ赤になるのを感じながら、言われるままに全裸になり、大きく股を開いて膝を付けずに四つん這いになって思い切り尻を突き立てると「ブスッといくぞ」の声が掛かり、まず性器を2本指でこね回してから肛門に指を突き立てられ、前後にピストン運動された後、すっと指が引き出されパシッと尻を叩かれて、医者と看護婦、一部始終を見ていたお偉いさんに「有難う御座いました」と挨拶した。帰宅してからは父母にも検査の様子を聞かれ、「なんもなかった。ちょっと見られただけじゃけん」と答えたが、床についてから肛門に突っ込まれた指の感触を思い出して、きゅうりを突っ込んで散々オナニーしたという。

当時の運転手は柄の悪いダンプカー上がりが多かったが彼らは新人の中卒バスガイドなど奴隷のように扱い、寒い冬でも大きなバスの清掃は外も内側もバスガイドの仕事で、自分は暖かい詰め所で酒を飲んでいて、掃除の仕方が悪いとガイドを呼んで挙臀をさせ尻を叩いたりした。当時は不凍結水のエンジン冷却水などはなかったため、凍結による膨張でラジエーターに穴があくのを防ぐために冬の終業時は車庫に戻ったバスの冷却水を抜いて帰り、翌朝はまだ暗く寒い冬の明け方にバケツに水を汲んで水道からバスまで何度も往復し、エンジンに冷却水を入れなければならなかったが、これは中学を卒後したばかりの女子には厳しい仕事だった(正木鞘彦『バス車掌の時代』現代書林)。

あれは肛門まで覗かれている女と言われて縁談が壊れる者もあった。1月に1人や2人は、どこそこ車庫の女子車掌〇〇〇子、料金着服により即日解雇と貼り紙される職場では裸の身体検査も必要だった。特に恥かしいのは乗務前の申告、ズロース1枚でシミーズを抱えて乳を隠し事務所に入って髪やズロースの中を探られ、検査札を受け取らないといけないのだが、時には素行や勤務の説教をされた上に、尻に鞭を受ける。事務員たちにそんな様子を笑われ、さらに弁当の前後や乗務中、乗務後と裸の検査は何度もあった(婦人雑誌の告白欄、昭和35年)。

懲罰を揶揄する「ちょうちょう言うても虫ちゃうでー、ゆぅーびでぇえー開いて見てもらう、検ん査係の目が光る、泥棒したゆて腸を見る、女の車掌のハラワタ検査、開いたオメコがちょと臭い、ちんぽ臭いか、金臭い、そらまた大変どないしょお、ポンポン中まで見なならん、馬の浣腸、5リットル、血が出て尻穴裂けるまで洗面器にまたがって、ブリブリ下痢便ひりだして、どーんな懲罰されよるか、おもろい、おもろい半殺し、おーんな車掌のおしおきはなーんぼ泣いてもしゃーない、泣いて懲罰丸裸、車庫に繋がれ赤っ恥、近所の子供が覗いてる、悪いことをしたなら懲罰されねばなりませぬ、正直良い子のお手本に女車掌は半殺し」(バスの女車掌の懲罰を覗いていた子供が歌った戯れ歌)のような歌もあった。

戦前終戦後の一時期、百貨店はステッキガールと称する派遣型の売春婦を売っていた。ステッキガールは元々銀座などのオシャレな盛り場で紳士と時間決めでデートと売春をする女のことだが、百貨店でもこの種の女を置く部門があって、写真で選んで百貨店のティールームなどで待っていると、素人らしく作っていてもそれとなく淫靡な感じの娘が現われる仕掛けになっていた。そして、これらの女の有力な供給源がバスガールだった。百貨店のステッキガールになったバスガールの告白によると、全裸身体検査準備で丸裸で床に描かれた手型足型の上に両手両足を乗せ、思い切り尻を突き出して口を開けて舌を吐いたいつもの格好で検査係が性器肛門を探るのを待っていると2、3人の背広の男が身検室に入ってきた。バス会社が役人とか有力取引先に接待としてバスガールの裸検査をさせるのはよくあることなのでそれかと思っていると、1人がすっと手を伸ばして陰部に指を突っ込んできた。あまりに慣れたやり方だったので本社の密行かと不安になった時、「大分、使いこんどるな。まあ、いいか」と言って3人は出て行き、いつも通りの性器肛門防犯検査が終わった後、事務所に呼ばれてステッキガールになれと言われた。金銭的な事情もあり承知して翌日、百貨店に行き、性病検査と「サバキ」という男根を受け入れやすくする膣切開の手術を受けた後、警察と娼婦性病検査の指定病院を廻って売春婦の登録を済ませ、翌日からステッキガールとしてデビューを飾ったという。

参考資料

関連資料

  • 「バス乗務員に対する身体・所持品検査の行きすぎ(神戸市バス女車掌自殺事件)」『日弁連 人権侵犯申立事件警告・勧告・要望例集』第1巻(1950〜1974年度)明石書店
  • 「バス車掌の身体検査」『裏窓』昭和37年1月号、久保書店
  • 「特別公務員の身体検査」『カルテ通信』vol.5、三和出版
  • 「バス車掌の肛門検査」『カルテ通信』vol.7、三和出版
  • 「車掌の肛門検査」『カルテ通信』vol.40、三和出版
  • 『紺の制服 - バスの女子車掌たち』三一書房、1959年(第1版)、274頁。
  • 【懐エロ】バスの車掌は裸も平気
    • 美空ひばり主演映画『青春はりきり娘』(1955年、東宝)に、バスの女子車掌の集団裸体身体検査の場面がある。一列に並べられた女子車掌が次々にホールドアップの姿勢で両手を上げさせられ、制服のボタンをはずされ、ズボンのベルトを抜かれてズボンが足下に落ち、ズロースを膝まで引きずり降ろされ、悲鳴を上げながら局部に指を突っ込まれて性器肛門の検査をされる。後ろからの描写で、直接、尻や性器は見えない。これは身検制度の全裸性器肛門検査をソフトな表現で映画用に再現したもので、実際は全裸にされて両手で両足首を握り、大きく脚を開いて尻を突き出し、ゴム手袋と検査棒で徹底的に性器肛門をつつき廻して検査された(参考:歌え! 青春はりきり娘)。
    • 日本人ボンドガールの浜美枝は、中学卒業と同時にバスの女車掌に身を落として、名状しがたいような屈辱的裸体身体検査を乗務前、昼食時、乗務終了後、外出先の抜き打ち屋外裸体検査と、涙が涸れ果ているほど受けてきたと『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ)で告白した。当時のエロ映画界には、バスの車掌は裸が平気で翌日から使えるという評判があり、浜は同じ身体検査を受けている車掌仲間と出かけたセクシー女優登用試験の面接で、堂々と裸体を披露した度胸を買われて『若い素肌』(1960年、東宝)でデビュー。ボンドガールになったきっかけも、この役が縄ふんどし1丁の裸海女の役だったため英語の達者な本格女優がみな断り、英語もしゃべれず泳げないという浜に裸度胸を見込んで仕事が舞い込んだ。浜は週刊プレイボーイで全裸で逆立ちするなど、当時としては破天荒なエロシーンに敢然と挑戦した。
  • 森繁久弥主演映画『続・警察日記』(1955年、日活)- 町会議員か何かの男性が警察署に女子車掌を連れてきて「バス会社が女子車掌を抜き打ちで身体検査するのは人権蹂躙だ。こんな若い女の尻の穴まで×××(音声不明瞭)する」と騒ぐ(参考:日活映画(1955年度分)- 華麗なる日活映画の世界)。
  • 映画『ユメノ銀河』(ケイエスエス、1997年。2003年にDVD化)- 主演のバス車掌・小嶺麗奈が苦痛に歪む表情を浮かべ、小刻みに震える足の指がクワッ!と拡がる(参考:【ユメノ銀河】- 横丁 DV Deliver)。
  • 片岡稔恵「チャージ」(第4回中央公論女流新人賞受賞、1961年)- 茨城のバス企業における車掌体験をもとに書かれた小説。
  • 山仲恭子「バスの中の青春」(横浜麦秋社、1988年)-「チャージ検査」を扱う。

外部リンク