団塊の世代

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'''団塊の世代'''(だんかいのせだい)は、[[日本]]において、第一次[[ベビーブーム]]が起きた時期に生まれた世代、または[[第二次世界大戦]]直後に生まれた文化的思想的に共通している世代のことである。'''第一次ベビーブーム世代'''とも呼ばれる。第二次世界大戦後の日本の歩み特に経済成長を共にしており、またその突出した人口構成ゆえに良くも悪くも日本社会のありように多大な影響を及ぼしている世代である。 == 定義 == 団塊の世代を指す定義は幾つかある。 [[人口論]]による厳密な定義としては、第一次[[ベビーブーム]]時代の'''[[1947年]]から[[1949年]]までの3年間'''に出生した世代を指す。この世代の年間出生数は250万人を超え、3年間の合計は約806万人にのぼる([[厚生労働省]]の統計)。人口面からの分類法であり、堺屋太一によるノジュールの訳語による語源の由来と密接に関係している。 == サービス三流懲りた新幹線 主婦(岐阜県 59歳) == 3月下旬、2泊3日の東京巡りをして、たくさんの楽しい思い出を胸に、東京発「ひかり」に飛び乗りました。 空席が多かったので荷物を右の座席に置いて腰を下ろしました。<br/> その時、車掌さんがけんさつに来ました。<br/> 私の切符を見て、4千円余りを支払って下さいとの事でした。<br/> [[グリーン車]]でした。 財布の中は2千円少々しか入っていませんでした。<br/> 自由席を3両歩きましたが、全部満席。<br/> 疲れが出て、それ以上空席を探す気になれません。<br/> 出入り口のドア近くにバッグを置いて腰掛け、足は対面の壁にくっつけて疲れを癒しながら考えました。<br/> 切符は、金券ショップの格安店3点を回って買った9,300円のものです。 車掌さんは横を通っても声をかけるでもなく、むなしい1時間50分でした。<br/> 180円の切符を買っても「ありがとうございます」という言葉をかけてくれる私鉄の駅員さんがいるかと思えば、JRは1万円近い切符でも空席の案内もありません。 二度とJR新幹線は利用したくありません。<br/> サービスは三流です。 朝日新聞2002年4月7日名古屋版 == 「年は見れば分かるだろ」コンビニで年齢確認ボタンに腹立てレジ壊す(2013年1月) == 大阪府立中非常勤講師(63)を現行犯逮捕 京都府警八幡署は2013年[[1月26日]]、コンビニのレジを壊したとして器物損壊の疑いで、大阪府枚方市立中学校の非常勤講師大櫃和好(63)を現行犯逮捕した。 26日午後4時35分ごろ、八幡市のコンビニで、女性店員にたばこ販売の年齢確認ボタンを押すよう求められたことに腹を立て、レジの液晶画面を素手で殴り破損させた。 大櫃は店員に「年は見れば分かるだろ」などとボタンを押すのを拒否。画面を壊したため店員が通報した。 == 私が団塊世代以上を狙わない理由 : 「手がかかる」「うるさい」「いずれいなくなる」--いすみ鉄道社長・鳥塚亮 == ※以下は『[[いすみ鉄道]]』(千葉県 http://www.isumirail.co.jp/)の社長・[[鳥塚亮]]氏のblogより 団塊の世代の人たちの需要が、今の日本の旅行産業を支えていると言われています。彼らは年金も社会保障制度も(すくなくともこれからの人たちよりは)充実していて、悠々自適のリタイア生活を送っていると思われているのがその所以です。 いすみ鉄道で、イタリアンランチクルーズ列車などという1万円以上もする高級商品を発売して、それが瞬間的に満席になるような状況を見て、取材に来た新聞社の人が、「やっぱり団塊の世代ねらいですか?」と私に聞いてきました。 その人は、私の口から、「今の時代、やっぱりお金を持っている(と言われている)団塊の世代の人をターゲットとするのは当然ですね。」という答えを期待していたようですし、そういう答えならば記事にもしやすいし、読者もうなずくと思っていたのでしょう。 でも、私の答えは、「NO」です。 [[JR]]が計画している超豪華列車の旅は、団塊の世代の人たちのようなお金を持った老人向けだとは思いますが、いすみ鉄道として私がやっている旅行商品は、団塊の世代の人たちやそれ以上の人たちに向けて情報を発信しているのではなく、ターゲットとしているものでもありません。 事実、イタリアンランチクルーズにお申込みいただくお客様を見ると、だいたい30代から40代のカップルや女性グループで、あとはお母さんと娘さんというような構成で、団塊の世代の人たちはほとんどいません。 その理由は、情報発信、告知から申し込み、決済まで自社のインターネットでやっていて、旅行会社では申し込みできないことが大きいのかもしれません。 テレビや雑誌で紹介されて、「じゃあ、いすみ鉄道に申し込もう。」と電話をかけると、「お電話では受け付けません。すべてインターネットで。」と言われるし、いざ、インターネットで調べてみるとすでに売り切れという状況ですから、中には再度電話をかけてきて、「次はいつなの?」と聞いてくる人もいます。 すると、対応に出たいすみ鉄道の職員の口からは、「次は多分10月ごろですね。」と言われ、「すべてホームページで発表します。」と取り付く島もない状況ですから、「何て不親切な会社なんだろう。」ということになります。 こういうお客様がだいたい60代後半から70代の人たちで、つまり、団塊の世代以上の人たちですから、商品告知、情報発信の段階で、すでに私が考えるお客様のターゲットには入っていないということなのです。 では、私がどうして団塊の世代以上の人たち、日本の中で一番お金を持っている人たちをターゲットとしていないのか、その理由をご説明いたしましょう。 === 理由その1 === とても手がかかるお客様です。前述のように、旅行会社の窓口で職員のアドバイスを受けながら商品を申し込むような方々をターゲットにするには、いすみ鉄道の体制ではできないからです。 === 理由その2 === いろいろ経験をされていて、経験の蓄積があるお客様だからです。イタリアン料理を召し上がれ、というと、[[ミラノ]]ではどうだとか、[[フィレンツェ]]ではこうだったとか、いちいちうるさい。 「あなたは知らないだろうから教えてあげるけど。」なんて始まるわけです。 私がヨーロッパの航空会社に長年勤務して、外国を知り尽くしているなんてことは、そういうお客様は知りませんから、料理がどうで、ワインがどうで、だいたいこの車両は何?こんな古い車両を使って・・・・とうんちくが始まるわけです。 私は、自分の経験で知っていますが、日本人はワインを価格で評価します。つまりブランド志向なわけですが、外国人はワインは味で評価しますから、いすみ鉄道の車内でサービスするワインも、「一番安くて一番おいしいワイン」なのですが、そういうことが理解できないのがこの世代の人たち。なぜなら、バブルを引き起こした人たちだからです。 === 理由その3 === いずれ居なくなる人たちだからです。団塊の世代の人たちは今60代後半です。ということは10年後には70代後半になります。毎日国会でこれからの医療費の増加をどうやりくりするかという議論がされていますが、つまり、団塊の世代の人たちが、今から10年15年でこの国を食いつぶすわけで、そういう人たちの旅行マーケットは、今後、年々縮小していくのは明らかなわけです。 今、観光地を闊歩している前期高齢者の人たちは、やがて後期高齢者となり、自分の足で歩くことも、おいしい料理を食べることもできなくなるわけですから、今からその年齢層を開拓する必要はないわけです。 さてさて、私の考えはどうも団塊の世代の人たちにとっては分が悪いようで、「お前は俺たちをなんだと思っているのか。」などと自分の先輩たちからも言われそうですが、別に団塊の世代以上の人たちを批判しているわけではありません。 彼らは、今後もしばらくの間、旅行需要を支えていくことは間違いないと思いますし、そこに大きなマーケットが存在しているのは事実ではありますが、「ここには何もないがあります。」と掲げているいすみ鉄道では、おそらく彼らを満足させることができないだろうから、簡単に 言えば、「うちのお客様にはならない方が良いですよ。」という私のメッセージなわけです。 で、私がローカル線のお客様の需要として開拓していこうと考えているのは40代以下の人たち。 その年代の人たちはバブルを知りませんから、変なうんちくを垂れることもなく、みんな素直で、ローカル線の楽しみ方を自分なりに見つけることができる人たちだからです。そして、そういう人たちに、「本物」を知ってもらうことが、私の役目だと考えているからです。 伊勢えびも、アワビも、スパゲティーもカレーもとんかつ弁当も、いすみ鉄道に乗って景色を見ながら、揺られながら食べればおいしいわけで、そういう楽しみを素直に自分に受け入れることができる人たちは、どこへ行っても、何を食べても幸せになれる。そういう生き方をいすみ鉄道で知っていただきたいと考えています。 かつて、地球の反対側へ行くことが目標だった団塊の世代の人たちには気づかないような「小さな幸せ」を見つけることができるのがローカル線の旅。 1万円ちょっとで、食堂車で高級食材を楽しめるのですから、東京からの交通費を考えても、おそらく日本で一番お手軽なレストランクルーズなんじゃないでしょうか。 さて皆様、イタリアンの次は、基本に戻って「船盛り」ですよ。大原漁港の素晴らしい食材をドーンを盛った船盛り列車がこの秋の「伊勢海老特急」です。 この商品は現在企画の最終段階に入っています。早ければ9月中にもスタートできそうです。 この船盛り「伊勢海老特急」は二人一組でのお申込みで、2人で2万円程度を予定しています。もちろん、全てパッケージですから地酒などのアルコール飲料も込の値段で安心です。 準備でき次第ご案内させていただきますので、どうぞご期待ください。 たった10組の募集で、すべてインターネットでのご案内となりますので、インターネットがわからないと言っている間に満席になります。 あしからずご了承ください。 == コーヒー入れるのを断ったコンビニ店員に頭突き、61歳アルバイト男を逮捕 == [[茨城県警]]土浦署は2014年10月5日、同県阿見町、アルバイトの男(61)を傷害容疑で現行犯逮捕した。 男は4日午後11時50分頃、同県土浦市木田余のコンビニ店で、セルフサービスとなっているアイスコーヒーを購入、男性店員(23)にコーヒーを入れるよう頼んだが、断られたことに腹を立て襟首をつかんで頭突きなどの暴行を加え、胸などに軽傷を負わせた。 「トラブルになったが、手は出していない」と供述している。 == 概説 == [[1940年]](昭和15年)からの戦時中から、終戦直後の[[1946年]](昭和21年)の期間には、「[[産めよ増やせよ運動]]」など日本政府によって人口増加政策が行われたが、以下の社会条件で出生人口が増加しなかった。 # 若い男性が徴兵によって軍事動員されていたため、[[婚姻]]数が減少したこと。 # 父親となる男性が不足していたこと。 # [[配給制度]]となり、食料が不足していたこと。 # [[日本本土空襲]]など戦災によって出産環境が悪化したこと。 第2次世界大戦中の社会条件の悪化で、出産による人口増加が抑制されていた。その反動として、この世代の父親となる明治末期生まれから大正生まれ([[大正世代]])が、第二次大戦終結に伴って[[復員]]したため、[[1940年代]]後半に婚姻をする男性が増加したことに伴い、出生人口の大幅な増加が発生した。 [[1948年]](昭和23年)までは、一部の例外([[強姦]]・[[姦通]])を除き、一般的に産婦人科での[[避妊]]・[[中絶]]・[[不妊]]手術などの行為は、[[刑法]]で[[堕胎罪]]となり禁止されていた。[[1948年]](昭和23年)に[[優生保護法]]によって限定的に容認して、さらに翌年の[[1949年]](昭和24年)に同法は改正されて、「経済的な理由」での中絶も容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり、[[1950年]](昭和25年度)以降は出生率が低下していった。団塊の世代の母親までは、[[産婆]]による出産が主流であったが、昭和30年代には[[産婦人科]]医療による出産が主流となった。 このため日本においては、[[1947年]](昭和22年)から[[1949年]](昭和24年)に生まれた人口が突出する結果となった。 作家の[[堺屋太一]]が通商産業省鉱山石炭局在籍時の1970年代前半に命名し、[[1976年]](昭和51年)に発表した小説『[[団塊の世代 (小説)|団塊の世代]]』で、「団塊の世代」が日本社会に及ぼす大きな影響が一般社会にも認識された。[[アメリカ合衆国]]でも同様の現象が見られており、こちらは「[[ベビーブーマー]]」と呼ばれている。 [[連合国軍占領下の日本]]で誕生し、実の父親が戦死して[[母子家庭]]となった例や、[[本土空襲]]などの[[戦災]]体験がない世代である。また、昭和40年代に[[ヒット曲]]となった「[[戦争を知らない子供たち]]」に象徴される「戦争を知らない世代」で「初の戦後([[第二次世界大戦]]後)生まれ」である。また、この世代は親世代の文化([[大日本帝国]]時代の[[戦前]]期の[[文化]])を否定する風潮があり、[[ステレオタイプ]]的な[[陸軍悪玉論]]の普及、「[[ジャズ]]は戦後文化」などの固定観念を持っているのも特徴である。 === 前後の世代 === ==== プレ団塊の世代 ==== 団塊の世代よりも数年前に生まれた世代を「'''プレ団塊の世代'''」と呼ぶ例がある。なお、[[1946年]](昭和21年)生まれについては、第二次世界大戦後であるがベビーブーム前であるため、団塊の世代に含める例と、[[焼け跡世代]]や戦中生まれ世代に含める例がある。 ==== ポスト団塊の世代 ==== {{see also|しらけ世代}} 団塊の世代よりも数年後('''1950年代前半''')に生まれた世代を「'''ポスト団塊の世代'''」と呼ぶ場合もある。[[ベビーブーム]]の余波は[[1950年代]]前半まで続いており、2007年10月1日時点の人口を見ると、[[朝鮮戦争]]が始まった年に生まれた[[2007年]](平成19年)に時点で57歳だった([[1950年]](昭和25年度生まれ))が209.2万人、[[連合国軍占領下の日本|連合国占領]]が終わった年に生まれた[[2007年]](平成19年)の時点で55歳だった([[1952年]](昭和27年度生まれ))が182.9万人となっている。 == 成長過程 == === 学齢期 === 団塊の世代はその膨大な人口のため、幼い頃から学校は1学年2桁のクラス数であり、50~60人学級で教室がすし詰め状態であってもなお教室不足を招くほどであった。また、その好むと好まざるにかかわらず、学校を主な舞台として競争を繰り広げた。 [[大学進学率]]は15%程度と低く、大半の高校卒業生は就職した。高校にさえ進学せず、中学卒業後すぐに就職する者も多かった。団塊の世代の大学受験事情について、経済的に貧しい時代で、裕福な家庭以外は地元の国公立大学進学を望む傾向が強く、国公立大学の競争率が高かった。また、団塊世代は人数が多いため「団塊の世代は受験戦争が激しかった」と評する者が多いが、大学進学率などから「それは必ずしも適切な評価とはいえない」とする者もいる。また女性の場合は、学力が高く経済的に余裕があっても「女に学問はいらない」という考え方が残っていた。教育的には[[1947年]](昭和21年)に[[日本教職員組合]]が設立され、その濃厚な影響を受けた世代である。 === 青年期 === 地方農村の中学校・高等学校卒の若者は、[[高度経済成長]]期で働き口が豊富だった[[東京]]や[[大阪]]などの大都市へ[[集団就職]]した。彼らは「'''[[金の卵 (労働者)|金の卵]]'''」と呼ばれ、工場や商店などといった[[中小企業|中小零細企業]]で大勢雇われ日本経済の底を支えた。 高校から大学へ進学したインテリの若者たちは、既存社会体制への反発から所謂[[学生運動]]と呼ばれた大学改革や、[[安保闘争]]、[[ベトナム戦争]]反対の反体制運動に身を投じた。こうした動きは、都市部大学から地方大学へも広がり、[[全学共闘会議|全共闘]]運動などで日本政府や既成秩序に反発する[[新左翼]]的な活動へと転じていった。 しかし、[[1969年]](昭和44年)に[[東大紛争]]が敗北に終わり、[[安保闘争#70年安保|70年安保]]闘争も不調に終わると、多くの若者が学生運動から離れていき、追い込まれた[[過激派]]の暴力行為がエスカレートしていった。更に[[あさま山荘事件]]や党派の分裂による[[内部ゲバルト|内ゲバ]]や[[私刑|リンチ]]の横行などで、それまで穏健な支持を与えていた世間の目が冷たくなると急速に学生運動離れが進み、[[1970年代]]半ばまでにほとんどの団塊若者は政治活動から距離を置くようになり、企業戦士に転向するものも多かった。 文化的側面から見れば、[[ファッション]]という概念が浸透し始めた世代であり、男性は[[ジーンズ]]、女性は[[ミニスカート]]を好んで装い、レジャーやドライブを好むなど、そのスタイルは現代に至るまで続く[[若者文化]]の基盤と呼べるものであった。この世代は、それまで絶対的なものとして意識されていた欧米(主にアメリカ合衆国)と東洋(日本)の文化の対立を相対化し、ごった煮にして双方を楽しもうとする多文化世代の先駆けとなった。 === 壮年期 === [[1970年代]](昭和45年)以降になると、結婚する男性(この時期は戦後の[[婚姻]]数の統計のピークだった)や子供を産む女性が徐々に増えてくる。第二次[[ベビーブーム]]時に生まれた子供のことが[[団塊ジュニア]]と呼ばれるため、団塊の世代の子供は'''真性団塊ジュニア'''と呼ばれている。真性団塊ジュニアという言葉を使うときは、団塊ジュニアのことを'''偽団塊ジュニア'''と呼ぶこともある。 従来の[[家制度]]の意識が薄れ、[[核家族]]による家庭指向が強く、[[見合い]]結婚と[[恋愛結婚]]が逆転した世代である(国立社会保障・人口問題研究所『第12回出生動向基本調査夫婦調査の結果概要』)。そのため、団塊の世代が親元から独立して家庭を持つようになると、著しい住宅不足となった。この対策として、大都市の近郊には数多くの核家族向けの近代的な[[団地]]が造成された。 また大手企業は、社員の福利厚生用に[[集合住宅]]タイプの[[社宅]]を構えた。その周辺に生活物資を売る商店が集まり、[[衛星都市]]と呼ばれる中都市ができた。これによって大都市を取り巻く[[都市圏]]は大きく広がり、それに伴う通勤通学のための交通網の整備が急がれ、鉄道の輸送力増強や新線建設、道路の新設や拡張が行われた。都市膨張の時代である。 結婚し、子供を儲けた後の団塊の世代はニューファミリー世代と呼ばれ、家庭に対してそれ以前の[[家父長]]的な価値観を持つ世代とは違う、自由な価値観を持っているとされた。 [[1986年]](昭和61年)から[[1990年]](平成2年)の[[バブル景気]]時代には、団塊の世代は40歳前後の働き盛りとして社会の中核を担っており、企業で仕事に没頭するあまり家庭を顧みなくなった団塊男性も少なからず存在した。 === 中年期 === [[昭和]]から[[平成]]に時代が変わった[[1991年]](平成3年)になると、[[バブル崩壊]]と[[ソ連崩壊]]に遭遇し、「[[社会主義]]の没落」「[[グローバル資本主義]]の席巻」の中で45歳から50代を迎えた。[[焼け跡世代]]を中心として[[アメリカナイゼーション|アメリカ型システム]]が無批判に礼賛された。しかし一方で、日本型[[年功序列]]制度に基づく中高年の高賃金が[[既得権益]]化していた影響で、バブル崩壊による[[就職氷河期]]に襲われていた[[ポスト団塊ジュニア|子供世代]]は、不安定雇用労働者([[プレカリアート]])が増加した。 === 引退期・老年期 === [[2007年]](平成19年)から[[2009年]](平成21年)にかけて、200万人以上と年齢人口の多い団塊の世代のサラリーマンが一斉に[[定年]]退職を迎えるため、社会に大きな影響をもたらす危険性が問題視され、[[2007年問題]]と呼ばれた。大量退職によるマンパワー不足を回避するため、[[2006年]]4月に「改正高齢者雇用安定法」で65歳までの継続雇用を促進する「高年齢者の安定した雇用の確保等を図るため措置」が施行された。これに併せて人材コストを抑えつつ技能を継承する目的で、多くの企業が継続雇用制度を導入することで団塊の世代を再雇用し、多数が就業または再就職している状態が続いた。[[2006年]](平成18年)では83万人いた60歳から64歳の労働者が[[2009年]](平成21年)には142万人にまで増え、さらに65歳以上の労働者も31万人から54万人にまで増加した。 彼らの蓄えた技術や能力、人脈を自社で生かすべく、団塊の世代の人材を獲得しようとする企業も現れている。しかし退職後は専門知識を生かし、技術指導者や[[シニア海外ボランティア]]として海外の[[発展途上国]]で活躍する者も少なくない。特に、製造業の分野においては、日本のメーカーが培ってきた製造技術を伝授すべく、団塊の世代の退職エンジニアが中国や韓国、台湾の企業に再就職した者もいる。 団塊の世代の人口が多い分、年金を受給し始めると大きな負担となることが考えられたため、1990年代から年金問題は発生まで時限性を持った社会問題となり、たびたび改革案が提示された。結果的に給付額の削減と納付額の引き上げが行われ、厚生年金は60歳から受け取れるものの、基礎年金は63歳から65歳受給と、一部の支給開始時期が先送りされた。 [[2006年]](平成18年)の「改正高齢者雇用安定法」が施行された当時の60歳前後の団塊の世代が6年後の[[2012年]](平成24年)に入ると65歳に到達しており、同世代が具体的に就業を終える可能性が高まる。このため[[2012年問題]]として、団塊世代の大量引退が再度話題に上がるようになり、労働力不足が懸念される。 == 政治との関連 == === 新左翼へのシンパシー === 団塊の世代の人々の人生は、日本の戦後史に符合するため、様々な戦後日本の事象に当てはめられる。[[1960年代]]後半における大学生やごく一部の高校生・浪人生らによる[[学生運動]]の隆盛に、団塊の世代が関連した事実は否定し得ない。しかし前述の通り、今日のように大学進学が一般的な選択肢ではなかった当時の大学進学率は15%弱に留まっており、当時の青年の多数派は高卒・中卒として学業より労働に従事していた人々である。 また、大学生も[[ノンポリ]]として学生運動から距離を置いていた者の方が多く、新左翼の攻撃対象だった[[日本共産党]]を支持していた者、[[体育会系]]などを主体に体制側に立った者も少なからず存在している。したがって、[[全共闘世代]]という別称に代表されるイメージは適切とは言い難い。 無論、運動に直接参加せずとも運動への理解を示す風潮があったことは否めないが、それは当時の世間全体の風潮であり、この世代に限定されたものではない。 == 経済との関連 == === 経済史 === 団塊の世代の就職時期は、中卒で[[1962年]](昭和37年)から[[1965年]](昭和40年)、高卒で[[1965年]](昭和40年)から[[1968年]](昭和43年)、大卒で[[1969年]](昭和44年)から[[1971年]](昭和46年)となる。団塊の世代の中卒のいわゆる「[[金の卵 (労働者)|金の卵]]」が労働推進力となった時期は、[[高度経済成長]]期と重なり、最も人数が多かった高卒就職者は高度経済成長中期・末期と重なる。日本の高度成長期は[[1960年]](昭和35年)-[[1990年]](平成2年)であるが、この時期は団塊世代などによる日本の[[人口ボーナス]]期(労働力人口割合が増える時期)と重なっている。 なお、高度経済成長期に企業や政治のトップにいた世代は、[[佐藤栄作]]や[[桜田武]]などの'''[[1900年代]]生まれ'''の世代である。 団塊の世代が中堅となって支えた時期は、世界の機関車時代と対米攻勢時代(30代)、[[バブル景気]]時代(40代初期)、[[バブル崩壊]]と[[失われた10年]](40代中期から50代中期)である。世界の機関車時代と対米攻勢時代の時に企業や政治のトップにいた世代は'''戦中派世代'''([[1920年代]]生まれ)であり、バブル景気の時代の時は'''[[焼け跡世代]]'''([[1930年代]]生まれ)である。 === 巨大な消費市場 === 大きな人口構成で日本の経済大国化を担った団塊世代は、生産者としても消費者としても突出しており、良くも悪くもそのパワーで日本を世界第2位の経済大国に押し上げた。団塊の世代がひとたびある商品を志向すれば、その商品はたちまち大きなマーケットを形成した。「クルマ」や「家電」然り、「住宅」然りである。 日本の製造業には[[トヨタ自動車|トヨタ]]や[[本田技研工業|ホンダ]]、[[ミサワホーム]]、[[ソニー]]、[[シャープ]]、[[日本電気|NEC]]など、団塊の世代の加齢とともに成長した企業も多い。流通業においては[[イトーヨーカ堂|イトーヨーカドー]]・[[セブン-イレブン|セブン-イレブン・ジャパン]]、[[ダイエー]]、[[セゾングループ]]、[[日本マクドナルド]]などの企業が、団塊の世代の加齢と歩調を合わせるように大きな成長を遂げ、その後の世代の消費生活にも大きな影響を及ぼした{{要出典|date=2012年11月}}。 ;消費活動の主体として :企業からは、退職給付等による消費や健康で旺盛な消費意欲に対して、「団塊ビジネス」に期待が寄せられている。 :[[2006年]](平成18年)の[[AOKIホールディングス|アオキ]]による[[フタタ]]の[[株式公開買い付け|TOB]]は、団塊の世代の退職により紳士服、特にスーツ市場が縮小することを予想した戦略ではないかといわれた。 ;地域の担い手として :[[2005年]](平成17年)頃から近年各地の[[地方自治体]]で、団塊の世代を呼び込もうとする動きが盛んになってきた。[[島根県]]において、[[島根県知事|県知事]]名で約2万人の出身者等を対象に帰郷を呼びかける手紙を送ったことはニュースになった。このほか、[[北海道]]においても移住促進活動が盛んに行われている。 しかし実際には、このような「団塊ビジネス」の多くはうまく進展しておらず、これについて後述するような偏った世代論に基づいてマーケティングを行っているためではないかとする意見がある。 === 年功序列・終身雇用 === 団塊の世代は[[年功序列]]、[[終身雇用]]が一般的だった時代を過ごし、これらの制度の下では上下関係や組織への忠誠心が重要視され、円滑な技能継承や[[離職率]]を低く抑える等、様々な面でうまく機能してきた。しかし[[冷戦]]終結後、[[グローバリズム]]競争に突入し、バブル崩壊後の年功序列、終身雇用制度の衰退に伴い、離職率の急上昇を引き起こし、若い世代は組織への忠誠心、年功序列、終身雇用という考えが少なくなり、上下関係の概念も自然と希薄になっている。 団塊以前の世代の中には、年功序列、終身雇用制度に守られ、立場と給与に見合った働きをしていない人間が多いとの指摘がある。出世コースから外れ、[[窓際族]]同然の立場でありながら、多忙な若手社員を遥かに上回る高給を得ている者も少なくないとされ、事務処理業務で1000万円程の収入がもらえるのは世界中でも過剰に保護された日本のこの世代だけ、との批判が根強い。 === 社会保障 === 団塊の世代の[[厚生年金]]の受給が[[2007年]](平成19年)から始まっており、[[基礎年金]]の受給も[[2010年]](平成22年)以降始まっている。さらに、[[2022年]]頃以降には後期高齢者となり、一定の部分は[[社会的入院]]や要介護者になり、年代とともにその比率は高まっていき、負担がさらに増えるだろうと考えられている。 また、現在の制度では年金給付水準の引き下げと保険料負担の引き上げが、長期にわたって毎年段階的に行われるため、団塊の世代の退職金・厚生年金はほぼ保障されるのに対して、[[2031年]]には厚生年金積立金が枯渇し、破綻するともいわれており、就職[[就職氷河期#氷河期世代|氷河期世代]]などからは先が見えないことから、現在の[[ゆとり世代]]などの若い世代からその世代間不公平について寄せられる批判も多い。 == 文化との関連 == 文化的には[[村上春樹]]・[[宮本輝]]などの[[純文学]]の担い手を生み、[[赤川次郎]]・[[荒俣宏]]・[[北方謙三]]・[[菊地秀行]]ら娯楽的な小説の大家を輩出した。[[かわぐちかいじ]]・[[武論尊]]・[[本宮ひろ志]]・[[弘兼憲史]]・[[小山ゆう]]・[[植田まさし]]・[[聖悠紀]]・[[石川賢 (漫画家)|石川賢]]・[[安彦良和]]・[[大河原邦男]]、[[少女漫画]]界の[[24年組]]や[[池田理代子]]・[[一条ゆかり]]・[[大和和紀]]などが活躍し、[[1970年代]]以降の、漫画・アニメからなる新興文化([[サブカルチャー]])の隆盛を支えた人々である。 === ビートルズ世代 === 音楽では10代に[[ビートルズ]]やその影響下で現れた[[グループ・サウンズ]]の洗礼を受け、大学生は[[ジャズ喫茶]]やゴーゴー喫茶を溜まり場にしてアングラ劇団を楽しむという青春だった。このため'''ビートルズ世代'''とも呼ばれる([[朝日新聞]]「どらく」)が、ほとんどの者はむしろグループサウンズの方を好み、ビートルズ・サウンドに触れていたのは少数派であったという。 == エピソード == *[[ライブドア]]による[[フジテレビジョン|フジテレビ]]買収騒動の最中、当時のライブドア社長[[堀江貴文]]を支持するかというアンケートで他の世代を押さえ、「支持」と答えた割合が最も多かったのが団塊の世代であった{{要出典|date=2012年11月}}。 == 関連項目 == *[[合計特殊出生率]] == 外部リンク == *[http://www.hilife.or.jp/wordpress/?cat=5 ハイライフ研究所 団塊世代のライフスタイルに関する研究] {{先代次代|[[世代#日本の世代|日本の世代]]<br />'''団塊の世代'''<br />'''([[全共闘世代]])'''|1947年-1949年<br />|[[焼け跡世代]]<br />1935年-1946年|[[しらけ世代]]<br />1950年-1964年}} {{DEFAULTSORT:たんかいのせたい}} [[Category:日本の社会史]] [[Category:戦後 (日本史)]] [[Category:世代]] [[Category:1947年生]] [[Category:1948年生]] [[Category:1949年生]]