土佐丸

提供: Yourpedia
2017年9月21日 (木) 00:40時点における由亜辺出夫 (トーク | 投稿記録)による版 (野間(2008),松井(2006),日本郵船(2005),日本郵船(2004)により新規作成。)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

土佐丸(とさまる)は、日本郵船が所有していた日本初の5千トン級貨客船。1896年3月に開設された同社の欧州航路に、第1船として就航した。

建造[編集]

  • 1892年に英国で建造された[1]

船主・船名[編集]

  • 建造当初の名称は「イスラム号」[2]
  • 日清戦争直前の1894年6月に日本郵船が購入[1]
  • 同社の創設と関係の深い岩崎弥太郎の出身地にちなんで「土佐丸」と命名された[3]

性能[編集]

船種
貨客船[2]
総トン数
5,402トン[1]。日本初の5千トン級貨客船だった[4]
最高速力
14ノット[2]
船客設備
1等20名、2等8名、3等100名、計128名[1]
船型
やや後方に傾斜した細長い煙突、4本檣、5船艙[2]
船体材質
鋼船[2]

欧州航路就航[編集]

  • 1896年に、日本郵船は日清戦争によってもたらされた利益をもとに、欧・米・豪の三大遠洋定期航路を開設[5]。欧州航路用に12隻の新船の建造を発注したが、開設の時期に間に合わないため、在来船を使って開業することになり、土佐丸が欧州航路の第1船となった[1]
  • 1896年3月15日横浜を出港[6]神戸下関香港コロンボボンベイポートサイドを経由して、ロンドンアントワープ港に至った[2]
  • 出港に先立ち、同月8日に、イギリス波止場(2005年現在の大桟橋)に繋留中の土佐丸の船上で、政治家や各国の公使・領事、省庁関係者、実業家など約1千人を集めて、欧州航路開設の祝典が開催された[7]。式典で挨拶をした近藤廉平・日本郵船社長は、土佐丸に乗船して神戸に至った[7]
  • 同月19日には、神戸で、関西の要人を土佐丸に招待して祝典が開催された[7]
  • 同年5月22日にロンドンに到着[8]
  • 就航当時、欧州航路には既にP&O、ドイツのNDL、フランスのMMなどが進出しており、欧州へ往来する日本人旅客の数は少なかったため、客船としてよりも、貨物船としての経営が主だった[8]

当時の逸話[編集]

  • 当時の日本では航洋船でも2,000トン程度の船が多く、5,000トンを超える客船の登場は話題となり、『萬朝報』に横浜港からの出帆を伝える絵入りの記事が掲載されるなど、新聞に取り上げられた[9]
  • 山下汽船の創設者・山下亀三郎は、土佐丸が欧州航路開設後の第1船として横浜から出港する様子を同市の伊勢山大神宮から眺めて、自分も船を持ってロンドンと横浜を繋いでみたいと思ったと述懐している[10]
  • 五姓田義松は日本郵船からの依頼で横浜出港当日の土佐丸と威海丸の絵を描いている[11]
  • 神戸での祝典では、新作手踊り「貿易繁盛愉快節」が披露され、当時の新聞で取り上げられた[12]

参考文献[編集]

  • 野間(2008) 野間恒『増補 豪華客船の文化史』NTT出版、2008年、ISBN 9784757141889
  • 松井(2006) 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年、ISBN 4303123307
  • 日本郵船(2005) 日本郵船歴史博物館(編)『日本郵船歴史博物館 常設展示解説書』日本郵船、2005年
  • 日本郵船(2004) 日本郵船株式会社広報グループ『航跡 日本郵船創業120周年記念』日本郵船、2004年。

外部リンク[編集]

関連文献[編集]

  • リチャード・ポンソンビー・フェーン『日本郵船・船名考』日本郵船、1931年[2]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 野間(2008)p.79、松井(2006)pp.5-6
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 松井(2006)pp.5-6
  3. 松井(2006)pp.5-6、日本郵船(2005)p.36
  4. 日本郵船(2005)p.36
  5. 日本郵船(2005)p.31
  6. 日本郵船(2005)p.36。松井(2006)p.5では、同月1日に出港したとしている。
  7. 7.0 7.1 7.2 日本郵船(2005)p.39
  8. 8.0 8.1 野間(2008)p.79
  9. 野間(2008)p.79、日本郵船(2005)p.36
  10. 松井(2006)p.71
  11. 日本郵船(2004)p.64
  12. 野間(2008)pp.79-80に3番までの歌詞が掲載されている。日本郵船(2005)p.39、日本郵船(2004)p.64にも言及あり。