幸区

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幸区(さいわいく)は、川崎市を構成する7区のうちのひとつである。かつてはの名所として知られ、明治天皇御幸があり、これを記念して御幸村(みゆきむら)と名付けられたのが区名の由来となっている。

地理[編集]

  • 川崎市東部にあり、東側を流れる多摩川の下流域に位置する。西側には鶴見川やその支流の矢上川が流れる。
  • 全般として平坦な地形であるが、西部の夢見ヶ崎地区などは丘陵地になっている。

隣接している自治体・行政区[編集]

神奈川県
東京都

沿革[編集]

川崎市の歴史 も参照

近代以前[編集]

  • 4世紀 夢見ヶ崎に古墳群が造成(-7世紀)
  • 江戸時代 多摩川沿いに農村が点在し、東海道川崎宿の助郷村としての役割を負う
  • 1872年 区域の東側に川崎駅が開業(当初は西口は存在せず)
  • 1884年 明治天皇が小向村の梅林に行幸
  • 1889年4月1日 塚越・古川・戸手・小向・下平間・南河原・上平間・中丸子(上平間・中丸子は現在の中原区)の8村が合併して橘樹郡御幸村が成立。この他、現区域の一部は日吉村住吉村(後に該当区域は日吉村へ)へ編入される。
  • 1906年 川崎駅西口に横浜製糖(後の明治製糖、現在の大日本明治製糖)川崎工場が開業
  • 1908年 横浜製糖工場の隣に東京電気(現在の東芝)川崎工場(1945年から堀川町工場)が開業
  • 1912年 御幸村大字中丸子・小向の多摩川左岸地区が東京府荏原郡矢口村に編入され、代わりに矢口村大字古市場の多摩川右岸地区が御幸村に編入される。
  • 1914年 アミガサ事件(多摩川堤防建設に対し御幸村民等が神奈川県庁へ大量請願を実施)
  • 1923年 関東大震災で明治製糖の工場が倒壊、後に新工場を建設
  • 1924年7月1日 同郡川崎町大師町と合併して川崎市が成立
  • 1927年 南武鉄道(後の国鉄南武線)川崎駅-登戸駅、同矢向駅-川崎河岸駅(1972年廃止)が開業
  • 1929年 新鶴見操車場が建設され、区域が分断(跨線橋を建設)
  • 1937年 橘樹郡日吉村のうち、大字北加瀬・鹿島田・小倉の全域と矢上・南加瀬の一部を川崎市に編入(残部は横浜市神奈川区に編入)
  • 1945年 空襲を受けて工場などに被害

現代[編集]

経済・産業[編集]

明治末期以降、東京と横浜の中間点という立地に注目して電気・機械・食品などの大規模工場が多く進出した。 しかし、昭和末期以降は経済構造の変化に伴い、大規模工場の閉鎖(市外移転)と新たなハイテク産業の立地が進んでいる。また工場の移転跡は川崎駅西口のように商業施設や高層住宅地となる場所も多く、今後の繁栄が期待されている。

工場・事業所他

オフィスビル

本社を置く企業

教育[編集]

大学・短期大学[編集]

高校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

※かつては、河原町小学校があったが、児童数減少により廃校となった。

交通[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

観光
音楽
レジャー
  • 川崎リバーサイドゴルフ場
旧跡
その他

幸区出身の有名人[編集]

外部リンク[編集]