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| 戒名 = 日滝殿紅雲正清公大禅門
 
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'''村上 義清'''(むらかみ よしきよ)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。北[[信濃国|信濃]]の[[戦国大名]]。父は左衛門督[[村上顕国]](頼平・頼衝)。母は[[室町幕府]][[管領|三管領]]家の[[斯波義寛]]の娘。家臣の[[出浦国則]]の妻を乳母とする。正室は信濃[[守護]]・[[小笠原長棟]]の娘。
  
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天正10年([[1582年]])に[[武田勝頼]]が自害し、甲斐武田氏は滅亡する。義清の嫡男・国清は8月5日に[[海津城]]代に任命され、村上氏は旧領に復帰した。
 
天正10年([[1582年]])に[[武田勝頼]]が自害し、甲斐武田氏は滅亡する。義清の嫡男・国清は8月5日に[[海津城]]代に任命され、村上氏は旧領に復帰した。
 
== 人物・逸話 ==
 
*自ら先陣を切って敵に突撃するという逸話もあるほど武勇に長けており、家臣の中にも勇将が多かったといわれる。
 
*義清は長槍による槍衾戦法を得意とした。当時長槍を活用した人物はほかに[[斎藤道三]]がいるだけであるため、義清は槍戦術の創始者の一人に数えられている。
 
  
 
== 信濃村上宗家系譜 ==
 
== 信濃村上宗家系譜 ==
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2011年10月7日 (金) 11:42時点における最新版

村上 義清(むらかみ よしきよ)は、戦国時代武将。北信濃戦国大名。父は左衛門督村上顕国(頼平・頼衝)。母は室町幕府三管領家の斯波義寛の娘。家臣の出浦国則の妻を乳母とする。正室は信濃守護小笠原長棟の娘。

信濃埴科郡葛尾城主で、武田晴信(のちの信玄)の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ、家督相続時には佐久郡埴科郡小県郡水内郡高井郡など信濃の東部から北部を支配下に収め、村上氏の最盛期に当主となった。実質的には戦国大名としての村上氏最後の当主。

生涯[編集]

文亀元年(1501年)3月11日、村上顕国の子として葛尾城に生まれる。父の顕国の事蹟が明確でないため家督継承前後の義清の動静も明確ではない。永正14年(1517年)に、父より葛尾城を譲られ、永正17年(1520年)に病没した父の後を受けて当主となるとされることもあれば、父の顕国が死去したのは大永6年(1526年)という説もある。

当時の村上家は、北信濃では越後長尾氏と関係の深い名族井上氏水内郡高梨氏と争い、東信濃では関東管領上杉家を後ろ盾とする小県郡海野氏を押さえ込み、信濃の守護代であった佐久郡の大井氏を下して甲斐武田氏と抗争を続けていた。義清は佐久郡を武田氏に奪われるが、武田信虎諏訪頼重と結んだ海野平の戦いにおいて、海野棟綱真田幸隆(幸綱)らを駆逐して、小県郡を完全に掌握することに成功している。

信虎を追放した武田晴信(武田信玄)の攻勢を受け、天文17年(1548年)、小県南部へ侵攻した武田勢を上田原の戦いで撃退する。この戦いで義清は武田方の初鹿野伝右衛門を討ち取っている。また、村上方の安中一藤太の一槍で倒れた諏訪郡代・板垣信方は上条織部に討ち取られた。この他に武田方は、甘利虎泰才間河内守などの部将を失うことになった。

天文19年(1550年)、義清が高梨氏と戦っていて本領を留守にした隙に、晴信が小県の要衝砥石城に侵攻してくる。義清は高梨氏と和睦を結んで急遽反転し、晴信は義清の後詰に戦況不利を判断して退却を開始するが、義清は武田勢に追撃戦を挑み、大勝をおさめた(砥石崩れ)。この戦いで武田方は横田高松渡辺雲州を始め、1200名の死傷者を出した。村上方の死者は193名ほどであったといわれる。

晴信はこれ以降、家臣の真田幸隆に命じて、村上勢の武将切り崩し調略を強化する。その結果、天文20年(1551年)には幸隆の謀略により砥石城を奪われる。砥石城の足軽大将矢沢薩摩守(幸隆の弟)が幸隆に内通していたためであった。これにより義清の影響力は一気に低下し、天文21年(1552年)の常田の戦いで勝利を収めるも、家臣団の動揺は抑え難く、天文22年(1553年)、武田氏に通じていた大須賀久兵衛が謀反し、また室賀氏屋代氏石川氏など村上方の諸将が武田氏に降伏したため、義清は4月9日葛尾城を一時脱出。再度体勢を整え、4月22日には奪還に成功している。武田晴信は深志城に後退し、5月11日には甲府に引き上げた。

しかし晴信は7月25日に大軍を率いて甲府を出発、8月に義清は窮地に追い詰められた。抗戦能力の無くなった義清は長尾景虎(上杉謙信)を頼って越後に落ち延びていった。北信濃の独立勢力であった村上氏の没落により、武田家の勢力が越後長尾氏と関係の深い善光寺平にまで及んだことが、この後に続く川中島の戦いへの導火線となった。

その後、義清は根知城主となり、嫡男の国清とともに上杉家臣となる。国清は謙信の養子に迎えられて山浦姓を名乗り、上杉家第2位の地位を与えられている。永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦いにおいて、義清は信玄と名前を変えた晴信と再びまみえ、信玄の弟・武田信繁を討ち取ったとされる。

元亀4年(1573年)1月1日、越後根知城にて病死。享年73。仇敵・信玄の死の5ヶ月前。

日滝寺に葬られたという。その墓所については魚沼郡赤沢の説もある。坂城町田町の出浦家墓所中には後年(天正4年、慶長4年、没後百年など数説あり)分骨されたという墓所が残る。

天正10年(1582年)に武田勝頼が自害し、甲斐武田氏は滅亡する。義清の嫡男・国清は8月5日に海津城代に任命され、村上氏は旧領に復帰した。

信濃村上宗家系譜[編集]

村上氏清和源氏のひとつである河内源氏の初代・源頼信庶子源頼清を祖とする。家紋は「丸に上文字」。信仰していた宗教は真言宗である。村上義国以来信濃東部から北部にかけて勢力を広げた。

義清--国清--幸清--義豊--義眞--義教--泰国--義處--義輔--義暁--義信--彦四郎

父母
妻妾
子女

村上家臣家[編集]

井上氏高梨氏須田氏島津氏海野氏望月氏保科氏屋代氏、吾妻氏、室賀氏山田氏、小野沢氏、出浦氏、清野氏、村松氏、雨宮氏、石川氏、坂田氏、諏訪氏、横田氏、莪野氏、福沢氏、若林氏、村山氏、米持氏、窪氏、綿内氏、二柳氏、中牧氏、大倉氏、大蔵氏、小田切氏栗田氏

参考文献[編集]

  • 志村平治『村上義清伝 北信濃の武将』(新人物往来社、1991年) ISBN 4404018517
  • 笹本正治 監修・坂城町 編集『村上義清と信濃村上氏 坂城町信濃村上氏フォーラム記念誌』(信毎書籍出版センター、2006年) ISBN 488411048X

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
村上顕国
信濃村上氏当主
村上義清
次代:
断絶(村上国清