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== 阿波海部氏 ==
 
== 阿波海部氏 ==
'''海部氏'''(かいふし)は[[阿波国]][[海部郡 (徳島県)|海部郡]]を拠点とした武士。
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'''海部氏'''(かいふし)は、[[治承]]年中、[[源仲綱|伊豆守仲綱]]の死後、[[阿波国]][[海部郡 (徳島県)|海部郡]][[浅川村 (徳島県)|浅川村]]を拠点とした一族{{Sfn|入谷|2000|p=196 - 『尾張藩士録』による。}}。
  
=== 概要 ===
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古代豪族である[[宍昨別]]の子孫とも、[[藤原氏]]の子孫とも言われ、代々海部[[郡司]]を継承したと伝えられる。
 
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古代豪族である宍昨別の子孫とも[[藤原氏]]の子孫とも言われ、代々海部郡司を継承したと伝えられる。
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[[室町時代]]には[[吉野城 (阿波国)|吉野城]]を本拠として阿波守護[[細川氏]]に仕えて、[[三好氏]]と婚姻を結んだ。
 
[[室町時代]]には[[吉野城 (阿波国)|吉野城]]を本拠として阿波守護[[細川氏]]に仕えて、[[三好氏]]と婚姻を結んだ。
  
[[天正]]10年([[1582年]])に[[海部友光]]は隣国[[土佐国]]の[[長宗我部元親]]の侵略を受けて没落した。
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[[天正]]10年(1582年)に[[海部友光]]は、隣国[[土佐国]]の[[長宗我部元親]]の侵略を受けて没落した。
  
=== 人物 ===
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==尾張海部氏==
* [[海部友光]]
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'''海部氏'''(かいふし)は、[[江戸時代]]の[[尾張藩]]士。その系譜は阿波国海部郡浅川村に居住した越前守親光の子・親政の子・正次に始まる。{{Sfn|入谷|2000|p=196 - 『尾張藩士録』による。}}
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親政は、[[豊臣秀吉]]の[[四国攻め]]の時、[[長宗我部元親]]軍に降った。その子・正治は[[長宗我部盛親]]に仕えたが、その弟・左近右衛門正次は、弓馬炮術をよくしたが、仕官しなかった。{{Sfn|入谷|2000|p=196 - 『尾張藩士録』による。}}
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正次の子・正直は[[蜂須賀家政|蜂須賀阿波守]]の小姓となり、その弟・定右衛門正親は[[寛文]]4年(1664)に[[尾張藩]]に鉄炮打として仕官した{{Sfn|入谷|2000|pp=109,196}}。『[[藩士名寄]]』によると、明治初まで尾張藩士・海部氏として続いた家系は6つあった(下表)。
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|+ 明治初期の旧尾張藩士・海部氏の家系
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! 通称 !! 始祖、人名 !! 主な事蹟・人物 !! 出典
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== 丹後海部氏 ==
 
== 丹後海部氏 ==
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'''海部氏'''(あまべうじ)は、[[丹後国]]を拠点とする氏族。
 
'''海部氏'''(あまべうじ)は、[[丹後国]]を拠点とする氏族。
  
=== 概要 ===
 
 
[[京都府]][[宮津市]]に鎮座する[[丹後国]][[一宮]]・[[籠神社]]の[[社家]]。
 
[[京都府]][[宮津市]]に鎮座する[[丹後国]][[一宮]]・[[籠神社]]の[[社家]]。
  
 
古代から現代に至るまで、籠神社の[[宮司]]を[[世襲]]している。[[天火明命|彦火明命]]を[[祖神]]とする[[神別]]氏族で、[[尾張氏]]と同系統である。
 
古代から現代に至るまで、籠神社の[[宮司]]を[[世襲]]している。[[天火明命|彦火明命]]を[[祖神]]とする[[神別]]氏族で、[[尾張氏]]と同系統である。
  
祖神から第32世当主までの[[家系]]を記した、[[国宝]]「[[海部氏系図]]」が伝わっていおり[[丹波国造]]家を自称しているが<ref name="kodaisi">[[#kodaisi|海部氏系図A]]</ref>、この系図には史料的価値への疑問が大きく丹波国造家も本来は[[丹波氏]]である<ref>[[宝賀寿男]]「[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/amabe/amabe-k1.htm 国宝「海部氏系図」への疑問]」『古樹紀之房間』、2006年。</ref>。
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祖神から第32世当主までの[[家系]]を記した、[[国宝]]「[[海部氏系図]]」が伝わっていおり[[丹波国造]]家を自称しているが{{Sfn|米子・山陰の古代史|2019}}、この系図には史料的価値への疑問が大きく、丹波国造家も本来は[[丹波氏]]である{{Sfn|宝賀|2020}}
 
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=== 人物 ===
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=== 関連項目 ===
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* [[籠神社]]
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* [[海部氏系図]]
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 付録 ==
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===脚注===
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== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
* 三好昭一郎「海部氏」(『徳島県百科事典』(徳島新聞社、1981年))
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*{{Aya|宝賀|year=2020}} 宝賀寿男「[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/amabe/amabe-k1.htm 古樹紀之房間 &gt; 古代及び中世氏族の系譜関係 &gt; 国宝「海部氏系図」への疑問]」最終更新 2020年11月30日、2021年1月29日閲覧
* <cite id="kodaisi">{{Cite web|url=http://houki.yonago-kodaisi.com/F-BG-amabe.html|title=海部氏系図A|米子(西伯耆)・山陰の古代史|accessdate=2019-10-9}}</cite>
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*{{Aya|米子・山陰の古代史|year=2019}} 著者不明「[http://houki.yonago-kodaisi.com/F-BG-amabe.html 米子(西伯耆)・山陰の古代史 &gt; 海部(あまべ)氏(海部氏系図A)]」最終更新 2019年2月18日、2021年1月29日閲覧
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*{{Aya|入谷|year=2000}} 入谷哲夫『名古屋コーチン作出物語』ブックショップ「マイタウン」、ISBN 4938341972
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*{{Aya|三好|year=1981}} 三好昭一郎「海部氏」徳島新聞社調査事業局(編)『徳島県百科事典』徳島新聞社、{{JPNO|83047019}}
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*{{Aya|藩士名寄|year=NA}} [http://www.tokugawa.or.jp/institute/pdf-shiryou/hanshi_nayose15.pdf 『藩士名寄 第15冊』]([[徳川林政史研究所]]蔵本)
  
 
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2021年1月29日 (金) 22:25時点における版

海部氏(かいふし)、海部氏(あまべうじ)は、日本の氏族

阿波海部氏

海部氏(かいふし)は、治承年中、伊豆守仲綱の死後、阿波国海部郡浅川村を拠点とした一族[1]

古代豪族である宍昨別の子孫とも、藤原氏の子孫とも言われ、代々海部郡司を継承したと伝えられる。

室町時代には吉野城を本拠として阿波守護細川氏に仕えて、三好氏と婚姻を結んだ。

天正10年(1582年)に海部友光は、隣国土佐国長宗我部元親の侵略を受けて没落した。

尾張海部氏

海部氏(かいふし)は、江戸時代尾張藩士。その系譜は阿波国海部郡浅川村に居住した越前守親光の子・親政の子・正次に始まる。[1]

親政は、豊臣秀吉四国攻めの時、長宗我部元親軍に降った。その子・正治は長宗我部盛親に仕えたが、その弟・左近右衛門正次は、弓馬炮術をよくしたが、仕官しなかった。[1]

正次の子・正直は蜂須賀阿波守の小姓となり、その弟・定右衛門正親は寛文4年(1664)に尾張藩に鉄炮打として仕官した[2]。『藩士名寄』によると、明治初まで尾張藩士・海部氏として続いた家系は6つあった(下表)。

明治初期の旧尾張藩士・海部氏の家系
通称 始祖、人名 主な事蹟・人物 出典
久(九)兵衛 正直 - 久兵衛 - 礼九郎 - 豊吉 - 久蔵 海部俊樹 入谷 2000 25-28,197、藩士名寄 NA 361-363
伝右衛門、左近右衛門 正親 - (三男)政義 - 政元 - 政幸 - 政久 - 政貞 - 良太郎(壮平) 海部壮平 入谷 2000 25-28,108-109,197、藩士名寄 NA 364-366
七兵衛 正親の四男・保正 - (二男)政高 - 市九郎 - 七兵衛 - 市郎 - 善次郎(正秀) 海部正秀(壮平の実弟。養嗣子) 入谷 2000 44-45,49,197、藩士名寄 NA 367-369
定右衛門 保正の四男・重政 - 又蔵 - 惣八 - 信吉 - □三郎 重政は、明和4年(1767)鉄砲奉行 入谷 2000 109 藩士名寄 NA 357-360
弥右衛門 弥右衛門 - 弥吉 - 房吉 - 善十郎 - 定吉 - 藩士名寄 NA 370-374
与左衛門・久右衛門 与左衛門 - 伝七郎 - 常八郎(久右衛門) 海部昂蔵 入谷 2000 92、藩士名寄 NA 375-377

丹後海部氏

テンプレート:日本の氏族 (古代氏族) 海部氏(あまべうじ)は、丹後国を拠点とする氏族。

京都府宮津市に鎮座する丹後国一宮籠神社社家

古代から現代に至るまで、籠神社の宮司世襲している。彦火明命祖神とする神別氏族で、尾張氏と同系統である。

祖神から第32世当主までの家系を記した、国宝海部氏系図」が伝わっていおり丹波国造家を自称しているが[3]、この系図には史料的価値への疑問が大きく、丹波国造家も本来は丹波氏である[4]

付録

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 入谷 2000 196 - 『尾張藩士録』による。
  2. 入谷 2000 109,196
  3. 米子・山陰の古代史 2019
  4. 宝賀 2020

参考文献