篠ノ井線

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篠ノ井線

篠ノ井線(しののいせん)は長野県長野市篠ノ井駅から長野県塩尻市塩尻駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。

事業基本計画および国土交通省監修『鉄道要覧』では篠ノ井駅を起点としているが、JR線路名称公告では塩尻駅を起点としており、また列車運行上は塩尻から篠ノ井へ向かう列車が下り、逆が上りとなっている。以下、路線データ・経路図を除き特記なければ、塩尻から篠ノ井へ下り方向に記述する。

概要[編集]

東京名古屋の両都市圏からの特急列車中央本線から当路線に直通しており、長野県中部の塩尻市松本市と同県の県庁所在地長野市とを連絡する役割も担う。日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。

途中、急峻な山間部を走るため、姨捨駅や2か所ある信号場のうち1か所がスイッチバックになっている。

ラインカラーオレンジ。ただし、路線図などでは松本駅以北がオレンジで、以南は中央本線と同じ青色で案内されている。

松本駅 - 塩尻駅間は旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「東京近郊区間」に含まれ、松本駅・塩尻駅でIC乗車カードSuica」が利用可能である[1]

路線データ[編集]

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)・日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
  • 区間(営業キロ):篠ノ井駅 - 塩尻駅 66.7km(線路名称公告では起終点が逆転)
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:15駅(起終点駅含む)
    • 篠ノ井線所属駅に限定した場合、起終点駅(篠ノ井駅は信越本線、塩尻駅は中央本線の所属[2])が除外され、13駅となる。
  • 複線区間:明科駅 - 田沢駅・松本駅 - 塩尻駅間(西条駅 - 明科駅間も路盤自体は複線対応だが現在は単線となっている)
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 保安装置:ATS-P(姨捨駅・桑ノ原信号場構内はATS-SN
  • 運転指令所:長野総合指令室(CTC
  • 最高速度:
    • 塩尻駅 - 松本駅間 優等列車130km/h[3]、普通列車110km/h
    • 松本駅 - 篠ノ井駅間 110km/h

全線が東日本旅客鉄道長野支社の管轄となっている。

歴史[編集]

関東と近畿を連絡する鉄道としては当初、平時には海路の便があり、戦時に敵の攻撃を受けやすい海岸を走る東海道本線ではなく、中山道を経由する路線が検討されていた。実際にこの路線は着工されたが、建設費が嵩むことや開通後の輸送力が制約されることなどから、工事がほとんど進まないうちに中止となった。この路線のための資材輸送線として建設が始まった直江津から長野を経由し上田へ至る路線はそのまま建設が続行され、さらに延長されて碓氷峠を越えて、高崎まで1893年(明治26年)4月に完成した。

一方、1892年(明治25年)6月には鉄道敷設法が制定され、後の中央本線にあたる路線の建設が決定した。これを受けて、長野県会では同年12月に中央本線と信越本線を連絡する「長野若シクハ篠ノ井ヨリ松本ヲ經テ塩尻又ハ洗馬ニ至ル線路」を第一期線に追加するように帝国議会へ要請する決議を採択した。これを中央連絡線と称した。

1893年(明治26年)3月から鉄道庁の技師が派遣されて路線の調査を行った。この結果6つの路線が候補として上がった。東側から現在の国道254号に沿って松本と上田を結ぶ三才山線、長野県道181号下奈良本豊科線に沿って松本と上田を結ぶ保福寺線、国道143号に沿って松本と上田を結ぶ二線路線、国道19号国道403号に沿って松本と篠ノ井を結ぶ篠ノ井線、国道19号や犀川に沿って松本と長野を結ぶ犀川線、国道147号長野県道31号長野大町線・国道19号に沿って大町経由で松本と長野を結ぶ大町線である。どのルートを選んでも険しい峠を長大トンネルで克服したり、地質の悪い区間を通過したりしなければならなかったが、距離が最も短い篠ノ井線が建設費や開業後の運営の点で有利と判断された。この報告を受けて1894年(明治27年)6月23日に帝国議会で「長野県下長野若ハ篠ノ井ヨリ松本ヲ経テ前項ノ線路ニ接続スル鉄道」が第一期線に格上げされ、また同時に提出された法案により起点は篠ノ井と確定された。1896年(明治29年)予算で建設費は3,597,470円とされ、明治28年度から31年度までの予定で施工されることになった。しかしその後工期の変更と予算の増額があり、明治35年度まで掛かって予算7,677,751円で施工された。

全線を11の工区に分けて、1896年(明治29年)10月に着工され、1900年から篠ノ井方より順次延伸され、1902年に塩尻まで全通した。1906年には八王子から伸びてきた鉄道が接続して、東京 - 長野を結ぶ第2のルートが完成した。1909年の線路名称設定の際には、中央東線に含まれたが、中央東線が塩尻以西へ延伸されるに及び1911年に篠ノ井線として分離された。

開業後は、急勾配の続く運転上の難所であり、また線路容量も限られることになった。そのため、昭和に入ると順次中間に行き違いの可能な駅や信号場を新設して線路容量の拡大が図られた。第二次世界大戦後も引き続き信号場の追加が行われ、このうち1961年(昭和36年)と1966年(昭和41年)の2回に渡って新設された潮沢・桑ノ原・羽尾の3つの信号場はスイッチバック式を採用した。これにより、元から存在した姨捨駅のスイッチバックと合わせて、1駅3信号場にスイッチバックを有する路線となった。

1970年(昭和45年)2月、篠ノ井線用にDD51形ディーゼル機関車30両が配置され、これによって無煙化が完了した。D51形蒸気機関車重連による「さよなら篠ノ井線の蒸気機関車」が運転された。さらに1973年(昭和48年)3月28日に全線で電化が完成した。同年7月10日には中央西線の電化も完成して381系振り子式車両により特急「しなの」の一部が電車化された。

潮沢川に沿う地すべり地帯を通過していた在来線を新線に切り替える工事は、1988年(昭和63年)9月10日に完成した。この際に建設されたトンネルや橋梁はいずれも複線対応であるが、単線での開業となっている。この際潮沢信号場が廃止され、またその後羽尾信号場が使用停止されたことから、2009年時点では1駅1信号場にスイッチバックのある路線となっている。

年表[編集]

  • 1900年明治33年)11月1日 - 篠ノ井線[4] 篠ノ井 - 西条間(17M64C≒28.65km)。稲荷山駅、姨捨駅、麻績駅(現・聖高原駅)、西条駅新設。
  • 1902年(明治35年)
    • 6月15日 - 西条 - 松本間(15M22C≒24.58km)延伸開業。明科駅、田沢駅、松本駅新設。
    • 11月1日 - 稲荷山 - 姨捨間改マイル(+32C≒0.64km)。
    • 11月12日 - 営業距離をマイル・チェーン表記からマイル表記のみに簡略化(33M38C→33.5M)。
    • 12月15日 - 松本 - 塩尻間(8.6M≒13.84km)延伸開業。村井駅、塩尻駅新設。
  • 1906年(明治39年)6月11日 - 岡谷 - 塩尻間延伸開業により、八王子 - 篠ノ井間全通。
  • 1909年(明治42年)
  • 1911年(明治44年)5月1日 - 中央本線全通に伴い、塩尻 - 篠ノ井間を篠ノ井線として分離。
  • 1927年昭和2年)11月3日 - 坂北駅新設。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(42.1M→67.9km)。
  • 1933年(昭和8年)7月10日 - 広丘駅新設。
  • 1937年(昭和12年)1月31日 - 麻績 - 姨捨間に冠着信号場新設。
  • 1944年(昭和19年)9月1日 - 南松本駅新設。
  • 1945年(昭和20年)4月1日 - 冠着信号場を駅に格上げし冠着駅新設。
  • 1961年(昭和36年)
    • 9月27日 - 明科 - 西条間に潮沢信号場、姨捨 - 稲荷山間に桑ノ原信号場新設。
    • 9月29日 - 塩尻 - 広丘間複線化。
  • 1963年(昭和38年)6月12日 - 広丘 - 村井間複線化。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月27日 - 村井 - 南松本間複線化。
    • 5月20日 - 塩尻 - 南松本間電化。
    • 9月27日 - 松本 - 田沢間に平瀬信号場新設。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月27日 - 冠着 - 姨捨間に羽尾信号場新設。
    • 12月10日 - 田沢 - 明科間複線化。
  • 1970年(昭和45年)2月 - 篠ノ井線用にDD51形ディーゼル機関車30両を配置して無煙化完了。D51形重連による「さよなら篠ノ井線の蒸気機関車」が運転される。
  • 1972年(昭和47年)2月1日 - 全線にCTCを導入。
  • 1973年(昭和48年)
    • 3月28日 - 松本 - 篠ノ井間電化。
    • 7月10日 - 381系振り子式電車による「しなの」が運転開始。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 麻績駅を聖高原駅に改称。
  • 1981年(昭和56年)6月6日 - 14時56分頃姨捨 - 桑ノ原信号場間で、新宿6時20分発長野行下り普通列車9両編成(三鷹電車区115系8両+事業用車1両)のうち4両目から9両目の計6両が脱線。乗客5人がけが。25時間後の7日16時に復旧[5]
  • 1982年(昭和57年)5月17日 - 塩尻駅移転、改キロ (-0.5km)。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる。
  • 1988年(昭和63年)9月10日 - 明科 - 西条間線路付け替え、改キロ (-0.7km)。潮沢信号場廃止。
  • 2007年平成19年)3月18日 - 平田駅新設。
  • 2008年(平成20年)3月15日 - 羽尾信号場使用停止。
  • 2009年(平成21年)3月14日 - 羽尾信号場廃止[6]
  • 2013年(平成25年)3月16日 - 塩尻 - 篠ノ井間の一部列車でワンマン運転開始。
  • 2014年(平成26年)4月1日 - 線内の一部駅(松本駅・塩尻駅)でICカード乗車券「Suica」サービス開始[1]

沿線概況[編集]

篠ノ井線は、塩尻から松本にかけての松本平と、長野市周辺の善光寺平を結ぶ路線で、線路は、同じく松本平と善光寺平を結んで流れる犀川の川筋ではなく、山越えのルートに敷設されている。これは、松本と長野の間が最近数十万年のあいだに激しく隆起・褶曲した結果、犀川が蛇行しつつ深い渓谷を形成して、川沿いに線路を引ける地形ではなかったためであった。姨捨付近の高所から見晴らす善光寺平は佳景で、日本三大車窓の一つに選ばれている。蒸気機関車時代は難所と呼ばれた冠着トンネルも技術革新のために苦もなく列車が通るようになった。

篠ノ井側から見ると、まず稲荷山駅から冠着トンネルへ向かって40分の1(25‰)の上り勾配がずっと続く。山腹に沿って曲線を繰り返しながら次第に高度を稼ぐ。千曲川(信濃川)の支流雄沢川と、同じ千曲川の支流犀川の支流麻績川の間の標高955mの尾根の下を、全長2,656mの冠着トンネルで潜り抜けると、この路線最高の標高676m地点にある冠着駅へ到達する。

冠着駅から坂北駅まではおおむね麻績川に沿って下る。そこで麻績川の支流の東条川の川筋に入って再び登り、西条駅へ到達する。

西条駅から明科駅までは、潮沢川に沿う区間が地すべり多発地帯であったことや、線路容量が限界に達していたことなどから1988年に新線に切り替えられた区間である。明治時代に建設された当初は、全長365mの御仁熊トンネルを抜けてサミットを通り、全長2,084mの第二白坂トンネルを通って半径300mのカーブを繰り返し25‰で潮沢川に沿って明科まで下っていく線形となっていた。1988年に切り替えられた新線では、新しく掘り直された第二白坂トンネルが1,780mとなり、さらに第三白坂トンネルが4,260mとなり、最大勾配は23‰とわずかながら改善された。また、この区間はトンネルや橋梁について複線化の準備がなされた設計で建設されたが、単線のままで開通している。

明科からは松本平に出て、おおむね犀川の右岸に沿って通っている。途中田沢 - 松本間は山と川に挟まれた狭隘な区間を通過する。

松本からは、市街化・工業化の進む平坦な田園地帯を南下し、やがて松本平の南端に位置する塩尻に達する。

ファイル:姨捨駅&しなの 2.JPG
善光寺平を見晴らせる姨捨駅に進入する特急「しなの」

運行形態[編集]

基本的に、途中の松本駅を起点・終着として中央本線東京方面、名古屋方面および信越本線長野方面と直通する列車を主体に運転されている。

優等列車[編集]

中央東線方面からは、特急「スーパーあずさ・あずさ」「はまかいじ」(土曜・休日のみ)が乗り入れ、ほとんどの列車は松本駅を起・終点としている。一部に大糸線方面への直通列車が設定されている。

中央西線方面からは、特急「しなの」が乗り入れ、すべての列車が信越本線長野駅に直通するが、臨時の「しなの」の中には大糸線乗り入れ列車や松本駅を起・終点とする列車も存在する。

また、平日の朝には塩尻駅 - 信越本線長野駅間に下り1本のみ183・189系使用の「おはようライナー」(途中村井松本田沢明科に停車、篠ノ井は通過、乗車整理券が別に必要)が運転される。

普通列車[編集]

塩尻駅ではなく松本駅が運用上の基点となっている。松本駅を始発・終着としている中央本線方面の列車は、上下線とも中央東線方面の列車のほうが多く、列車によっては立川駅まで運行される列車もある。また、中央西線方面の列車は多くが中津川駅まで運行されている。これらの関係で、松本駅 - 塩尻駅間は特急も含めて比較的多くの列車本数が設定されている。一方、篠ノ井駅を起点・終着としている列車はなく、すべて信越本線の長野駅まで(から)乗り入れる。長野駅を起点・終着としている列車も大半は中央東線方面と直通運転している。一部は松本駅までのものもある。篠ノ井線のみを走行する列車は2010年12月のダイヤ改正時点で塩尻→松本が2本、松本→塩尻・聖高原→松本・松本→明科がそれぞれ1本となっている。

快速列車は長野 - 松本間を朝夕に1往復(朝は長野→松本、夜は松本→長野)に限りE257系を使用するものがあり、この列車にはグリーン車の設定がある。このほか、長野駅または松本駅 - 飯田線飯田駅を結ぶ「みすず」(篠ノ井線内で快速運転をするのは松本発の1本のみ)、および午前中の長野→松本上り2本がある。これらは基本的に115系211系E127系長野総合車両センター所属)が使用されている。

313系(JR東海神領車両区所属)も、松本駅発着の中央西線方面の列車において2両または4両で使用されるほか、飯田線直通(岡谷経由)の普通列車にも1往復に3両で使用されている。このため、松本駅- 塩尻駅間はJR東日本の路線としては珍しく、転換クロスシート車両の普通列車が多く乗り入れる区間となっている。

2013年3月のダイヤ改正より、塩尻駅 - 長野駅間の一部の列車でワンマン運転が開始された。ワンマン運転の際に使用されるのはE127系のみである。

貨物列車[編集]

全線で貨物列車が運行されている。コンテナ輸送も行われているが、寒冷地の長野県への石油灯油重油ガソリンなど)輸送が盛んである。石油は、京葉地区京浜地区中京地区にある製油所から内陸の油槽所へ送られている。輸送の高速化のために、タキ1000形貨車で編成された高速貨物列車も設定されている。

牽引機は、EF64形電気機関車EH200形電気機関車である。また、篠ノ井線で列車の発着がある駅は村井駅南松本駅である。

使用車両[編集]

篠ノ井線はJR東日本の路線であるが、以下のようにJR東海の車両も乗り入れる。 以下において、気動車・客車などの車種が記されていないものは電車である。

現在の使用車両[編集]

過去の使用車両[編集]

駅一覧[編集]

下り方向(塩尻駅から篠ノ井駅に向かって)に記述する。なお便宜上、篠ノ井側の全列車が直通する信越本線篠ノ井駅 - 長野駅間も合わせて記述する。

  • 駅名 … ◆・◇:貨物取扱駅(◇は定期貨物列車の発着なし)
  • 停車駅
  • 線路 … ∥:複線区間、∧:これより下は複線、∨:これより下は単線、◇・◆:単線区間(◇は列車交換可能、◆はスイッチバック駅/信号場)
  • 全駅長野県内に所在
  • 標高の単位は m(メートル)
路線名 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 標高 みすず 快速 おはようライナ丨 接続路線・備考 線路 所在地
篠ノ井線 塩尻駅 - 0.0 715.8 東日本旅客鉄道中央本線岡谷方面)・中央本線支線(辰野方面)
東海旅客鉄道:中央本線(木曽福島方面)
(全方面と直通運転あり)
塩尻市
広丘駅 3.8 3.8 664.5  
村井駅 3.0 6.8 628.8   松本市
平田駅 2.0 8.8 609.0  
南松本駅 2.1 10.9 594.6  
松本駅 2.4 13.3 586.0 東日本旅客鉄道:大糸線(塩尻方面との直通運転あり)
アルピコ交通上高地線
平瀬信号場 - 17.5 568.9  
田沢駅 8.3 21.6 555.9   安曇野市
明科駅 6.6 28.2 525.5  
西条駅 9.0 37.2 661.9   東筑摩郡 筑北村
坂北駅 3.7 40.9 601.0  
聖高原駅 4.1 45.0 621.4   麻績村
冠着駅 3.3 48.3 676.0   筑北村
姨捨駅 5.9 54.2 551.2
[* 1]
  千曲市
桑ノ原信号場 - 58.4 458.2  
稲荷山駅 8.7 62.9 358.0   長野市
篠ノ井駅 3.8 66.7 356.2 しなの鉄道しなの鉄道線[* 2]
信越本線
今井駅 2.1 68.8 359.0  
川中島駅 2.2 71.0 362.4  
安茂里駅 2.1 73.1 360.3  
長野駅 2.9 76.0 360.5 東日本旅客鉄道:北陸新幹線長野新幹線)・信越本線(直江津方面)・飯山線[* 3]
長野電鉄長野線
  1. 駅観光案内標では海抜547m。
  2. 運転系統上は長野駅発着となっている。
  3. 飯山線の正式な起点は信越本線豊野駅だが、運転系統上は長野駅発着となっている。

廃止信号場[編集]

  • 潮沢信号場 : 1988年廃止、明科 - 西条間・旧線上(明科から4.9km、西条まで4.8km)
  • 羽尾信号場 : 2008年使用停止、2009年廃止[6]、冠着 - 姨捨間(冠着から3.7km、姨捨まで2.2km)

過去の接続路線[編集]

注釈[編集]

  1. 1.0 1.1 Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えますPDF  - 東日本旅客鉄道、2013年11月29日。
  2. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  3. 優等列車であっても、JR東海の車両を使う特急「しなの」は120km/h制限で運用されている。
  4. 当時「篠ノ井線」と呼称(逓信省鉄道局『明治33年度鉄道局年報』
  5. 信濃毎日新聞1981年6月7日朝刊、6月8日朝刊
  6. 6.0 6.1 小西純一「長野県内のスイッチバック信号場、駅」、『鉄道ピクトリアル』第882号、電気車研究会、2013年11月、 22 - 31頁。
  7. 1963年に「しなの」に統合され、愛称は信越本線の電車急行に転用


参考文献[編集]

関連項目[編集]