花岡事件

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花岡事件(はなおかじけん)は、1944年8月から1945年10月頃までに、中国の河北省山東省などから日本に連行され、秋田県北秋田郡花岡町にあった鹿島組花岡出張所の土木工事現場で使役されていた華人労務者約1,000人のうち、400余人が死亡した事件。1945年6月30日または7月1日に華人労務者による暴動事件が発生し、鎮圧時・鎮圧後に数十人が殺害されたり死亡したりしたが、同出張所の華人労務者の死亡率が高い状況は暴動の前後も続いており、差別的な待遇による過酷な労働・生活環境や、出張所責任者の物資横流しによる食糧の不足、出張所の輔導員(監視員)による日常的な暴行などの非人道的な取扱いが、暴動事件や高い死亡率の原因になったとみられている。

1948年にアメリカ軍による戦犯裁判で同出張所の関係者や地元の大館警察署の関係者が虐待・虐待致死容疑で有罪判決を受けた。1949年頃から1960年代前半にかけて、花岡に残された事件犠牲者の遺骨を発掘し、中国に送還する運動が行なわれた。1995年に東京地裁に鹿島建設(旧鹿島組)に対する損害賠償請求訴訟が提起され、2000年に東京高裁で和解が成立。鹿島が5億円を中国紅十字会に信託し、2009年12月末までに花岡平和友好基金から「受難者」約1,000人のうち、和解に応じた約480人に補償金が支払われたが、10数人が和解を拒否した。2015年に大阪地裁日本政府に対し損害賠償と謝罪を求める訴訟が提起された。

背景

華人労務者の内地移入