角館美人女子高生毒殺事件

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草彅憲子さんと恋人の男性はカーセックス中に襲われた

角館美人女子高生毒殺事件(かくのだてびじんじょしこうせいどくさつじけん)は1982年8月秋田県仙北郡角館町(現仙北市)で起きた農薬殺人事件である。

事件発生

1982年8月19日未明、秋田県仙北郡角館町の路上に停車中の乗用車の中で秋田県立角館南高校女子校)3年生の草彅憲子さん(18歳)と恋人男性21歳)がカーセックスをしていたところ、何者かが車の窓から農薬を浴びせた。発生した毒ガスが車内に充満し、憲子さんと男性は車外に転げ出た。午前1時半に救急隊が到着したとき、憲子さんは全身を震わせながら全裸で泣き叫んでいたという。2人は大曲市内の病院に収容されたが、憲子さんは午前4時40分に死亡、男性は一時重体となった。

この農薬はクロルピクリンという土壌消毒剤で、普段は液体だが空気に触れると毒性ガスを発する劇薬だった。秋田大学医学部での司法解剖の結果、草彅憲子さんの死因は毒性ガスを多量に吸い込んだことによる肺水腫とわかった。

全裸で死亡した草彅憲子さん

農薬を投げ込まれた白いチェイサー

草彅憲子さんは色白で背の高い典型的な秋田美人。姉と兄の3人兄弟で、家は水田、畑合わせて約1haを耕作する農家。

道で会うとまっ先にあいさつするなど明るい面ももち、言葉遣いも良かった。

近所の人

スカート丈も普通のおとなしい生徒で、成績は中の上。

角館南高校の教頭

もの静かで、よく働くし、レジも安心して任せておけました。Tシャツにズック靴の地味な服装で、男性から電話がかかってきたことは一度もありません。

憲子さんのバイト先の経営者

憲子は中学のころから看護婦保母になりたいと言ってた。

憲子さんの叔父

男友達は40人ぐらいはいたってサ。それも社会人ばっかりで、高校生は金がないから相手にしないって。

高校の男子同級生

憲子さん、角館では遊ぺないから、大曲まで出かけていたんです。駅前のゲームセンターで、うすいファンデーションをつけた憲子さんが、夜遅くまで遊んでいるのを、見たことがあります。

高校の女子同級生

全裸で死亡した草彅憲子さんは色白美少女だった

憲子さんと恋人の男性は1981年秋に知り合い交際していたが、男性が冬場出稼ぎに行ったため中断、1982年の春から再び交際が始まった。両方の両親とも2人が交際していることを認めていた。 しかも、結婚話まであったという。

憲子が高校出たらって話になってたわけだ。祝言は来年だなあといってたぐらいで、セックスフレンドなんかじゃねえんだよ。

憲子さんの恋人の知人

成績にしろ、生活態度にしろ校内では完全に模範生だった生徒が、深夜、男と車の中でデートしていたなんてねえ。今でも信じられないですなあ。

角館南高校の生活指導部長

2人が遅くまでデートしてたのはわかるような気がする。なにしろ、あのへんは何もないところだから家族も大目に見るんだよ。

憲子さんの叔父

2人は8月14日からほぼ毎日、深夜のカーセックスを繰り返していた。事件のあった19日も白いチェイサーの車内でシートを倒し、で愛し合っていたところを襲われたのだった。

草彅憲子さんの葬儀

美しい草彅憲子さんの亡骸は地元の風習により土葬された

草彅憲子さんの葬儀は21日午後1時から自宅でしめやかに行われた。制服姿の憲子さんの遺影と、を中心に花輪や生花などの飾られた祭壇そばに親族や高校の教職員、友人らが参列。読経が流れると、庭に整列していたクラスメイトたちからはすすり泣きの声がもれた。親族は突然の悲しみに、肩を落としながらも“犯人”への憎しみを募らせてか硬い表情。憲子さんが愛用していたスポーツバッグや、縫いぐるみ人形などが棺に納められると、悲しみのあまり友達に倒れかかる生徒も。間もなく棺ば自宅から30mほど離れた墓地に運ばれ、

あなたの死が、いまも信じられません。一緒に卒業できず残念です。安らかに眠ってください。

友人代表

という告別の言葉に送られ、静かに埋葬された。憲子さんの戒名は「心地院清風憲蓮大姉」。

犯人逮捕

犯人の佐藤勝助(当時50歳)

その後、憲子さんの元彼の会社員(22)が2日後に「わがままを許してほしい。憲子が一人で死んで淋しいだろうから、憲子のそばへ行く」との遺書を残して車内に排ガスを引きこんで自殺未遂。さらにその3日後には憲子さんの父(48)も「身の潔白を証明するため、憲子のところに参ります。憲子が死んだ時点で私の家は終わった。かわいい憲子のもとへ旅立ちます」といって服毒自殺するなど混迷を深めたが、1ヵ月後の9月19日、事件直前に現場付近をうろついていた佐藤勝助(50)を逮捕。自宅裏から農薬クロルピクリンの空き瓶が見つかった。

佐藤は草彅家から400メートルほどのところに住み、約20アールの田を耕作。若い頃には農事研究グループに入るなど仕事には熱心だったが、酒癖が悪く、酔うと家族に乱暴することも多く、そのため長男夫婦が家出したのに続き、6月17日にはと次男も家出した。以来ひとり暮らしでさびしい思いをしていたところ、8月19日の夜、ふと窓を見ると、道路に停車中の乗用車が目に入った。佐藤は日ごろのうっぷんを晴らそうと思い、自宅にあった農薬を持って車に近づき、いきなり農薬をまいて家へ逃げ帰った。

自供のあと佐藤は「2人には済まないことをした。どんな償いでも受けます」と泣きながら話したという。

関連項目