香川・坂出3人殺害事件

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犯人の川崎政則
疑われた、父親の画伯こと山下清さん

香川・坂出3人殺害事件(かがわ・さかいでさんにんさつがいじけん)は、香川県坂出市で川崎政則死刑囚(享年68歳)が三浦啓子さん(当時58)とその孫の山下茜ちゃん(当時5)、彩菜ちゃん(当時3)の3人を2007年11月16日未明に殺害し、死体を遺棄した事件である。

事件の概要

無職・山下清さん(当時43歳)の長女・山下茜ちゃんと二女の彩菜ちゃん姉妹は11月15日の18時頃に隣の祖母・三浦啓子さんの家に泊まりに行き、翌日の16日の朝に母親が迎えに行ったところ3人ともいなくなっていた。

香川県警坂出署は11月16日未明から早朝までに何らかのトラブルがあったと見方を強め、捜査を行った。

父親の山下清さんによれば、寝室や玄関、浴室に血痕があり、さらに寝室のカーペットはL字形に切り取られ、血はカーペットの下の畳まで染みこんでいた。

香川県警坂出署捜査本部の任意取調べに対し、義理の大叔父(祖母の妹婿)である川崎政則容疑者が27日までに「3人を殺害し、山中に遺体を捨てた」と犯行を認める供述をし、11月27日夜に死体遺棄容疑で逮捕された。11月28日には、当初の供述通りに山中に向かったところ、川崎容疑者が「本当は港に捨てた」と一変し、捜査員らがその港に向かったところ、祖母と幼児姉妹の遺体が発見された。

11月30日、川崎容疑者の供述通りの坂出港海底で、遺棄された携帯電話を発見した。12月6日、川崎容疑者の供述通りの坂出港海底で、遺棄された自転車を発見した。同容疑者は12月18日には殺人容疑で再逮捕され、同日高松地検は死体遺棄容疑については処分保留とした。祖母は借金の返済に追われており、その関係上大叔母(祖母の妹で被疑者の妻、事件前に死去)から金を借りており、その怨恨と見られる。最終的に単独犯と断定される。

裁判

2008年(平成20年)7月17日、川崎被告の初公判が高松地方裁判所(菊池則明裁判長)で開かれた。ここで川崎被告の精神鑑定実施が決定し、以後の公判は一時中断。川崎被告は起訴事実を認めていることから、主な争点は川崎被告の刑事責任能力の有無に絞られた。再開は翌2009年(平成21年)3月9日で、ここからは4日間の集中審理が行われ3月12日に結審。3月16日の判決公判において裁判所は川崎被告の完全責任能力を認め、「身勝手な動機に酌量の余地はない」として検察側の求刑通り死刑判決を言い渡した。弁護側はこの量刑を不当として高松高裁へ即日控訴した。

この判決は高松地裁史上記録が残る1978年以降初の死刑判決となったほか、判決の2ヶ月後に始まる裁判員制度を見据えて第2回から結審までの公判を連日開廷方式による集中審理で行い、なおかつ結審からわずか4日後に死刑判決が出るという異例ずくめの裁判であった。

高松高等裁判所における控訴審(柴田秀樹裁判長)は同年9月10日に初公判が開かれ、即日結審。10月14日の判決公判で高松高裁は控訴を棄却し、高松地裁の第一審判決を全面的に支持、川崎に対し再び死刑判決を下した。弁護側はこの量刑を不当として最高裁へ即日上告した。

2012年7月12日に最高裁は上告を棄却し死刑判決が確定した。

香川・坂出の3人殺害、被告の死刑確定へ

香川県坂出市でパート従業員の三浦啓子さん=当時(58)=と、5歳と3歳の孫姉妹の計3人を殺したとして、殺人や死体遺棄などの罪に問われ、1、2審で死刑とされた三浦さんの義弟で無職、川崎政則被告(66)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は2007年7月12日、川崎被告の上告を棄却し、死刑が確定することになった。

同小法廷は「衣服に返り血が付かないよう雨がっぱを用意するなど周到な準備に基づく犯行。抵抗のすべも知らない、いたいけな幼児らを包丁で多数回突き刺すなど残虐で、3人を殺害した結果も重大」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。

1、2審判決によると、川崎被告は平成19年11月、金銭トラブルなどから自宅で寝ていた三浦さんを包丁で刺殺した上、一緒にいた孫の山下茜ちゃん=当時(5)、彩菜ちゃん=同(3)=も刺して殺し、3人の遺体を港近くの空き地に埋めた。

死刑執行(2014年6月)

谷垣禎一法相6月26日午前、2007年に香川県坂出市でパート従業員の女性とその孫娘2人が殺害された事件で死刑が確定していた川崎政則死刑囚(68)=大阪拘置所=の死刑を執行したと発表した。

死刑執行は2013年12月以来で、2012年12月の政権交代後では5回目。谷垣法相の命令により、計9人が執行されたことになる。

確定判決によると、川崎死刑囚は2007年11月、金銭トラブルなどで恨みを抱いていた義理の姉の女性(当時58歳)を殺害しようと女性宅に侵入。女性と、たまたま隣家から泊まりに来ていた女性の孫で当時5歳と3歳だった姉妹を刺殺し、遺体を坂出港近くの資材置き場に埋めて遺棄した。

川崎死刑囚は公判で起訴内容を認めていたが、1、2審で弁護側は「被告は心神耗弱状態にあり、死刑に処するのは酷に過ぎる」などと主張した。上告審でも「計画性は高くない」などとして死刑回避を求めたが、退けられた。

今回の死刑執行は、静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌元被告(78)が2014年3月に再審開始決定を受けて釈放されて以降、初めて。袴田さんを除くと、確定死刑囚は128人となった。

26日午前、記者会見した谷垣法相は「慎重な検討を加えたうえで執行しました」と述べた。

報道と遺族の反応

当初は「行方不明事件」と報じられた。家族は積極的にテレビの取材に答え「とにかく早く帰ってきてほしい」と訴えた。

だが、安否がなかなか分からず家族もいらだち始め、やがて川崎容疑者が逮捕されるまで電子掲示板の多くや、一部のテレビ・週刊誌報道などが、疲れからマスコミに憤る被害女児姉妹の父親の様子などを中心に扱うなど、父親の山下清さんに対し「犯人ではないか」とする報道姿勢などが目立った。

2ちゃんねるでは姉妹の父親を「画伯」と呼んでいた。

また、虚偽の自宅間取り図や行方不明の子供2人の顔写真に対し逆に名前が付されているフリップもあるなどの間違った報道内容にも不満を述べた。このように加熱するメディアの取材攻勢を受けて、香川県警記者クラブは総会を開き「節度ある取材を確認」する事態となった。前年の秋田児童連続殺害事件同様メディアスクラム状態になってしまった上、週刊誌ではこの事件との関連付けすら行われていた。

特にみのもんたは『みのもんたの朝ズバッ!』(TBS系)の11月19日の放送で

(行方不明になってから、通報に至るまで1時間かかったことについて)「普通すぐに電話しない?(略)警察署に行って届け出てる。普通だったらそのまま電話しないかねぇ?」

「不思議だねぇ」と被害者の家族をあからさまに犯人扱いするかのような発言をした。

被害女児姉妹の父親の山下清さんは取材に対し「みのもんたさんに聞きたかった。オレが殺したんか、と」と怒りを表明した。当初は問題発言をしたみのは沈黙していたが、2008年1月になってみのがTBSの幹部職員と共に被害者家族と対面し謝罪したと報じられている。しかし、番組内での謝罪は一切ない。

この事件で、女優の星野奈津子が犯人は山下清さんであるとの憶測や父親が犯人であってほしいとの会話を家族で交わしていると自身のブログに書き込んだ。星野のこのブログの記事に批判が寄せられ、11月20日に星野は所属事務所から1年間の謹慎処分を受け、問題のブログ記事も削除された。

父親・山下清さんのテレビ出演

坂出市3人殺人事件で衝撃証言「川崎容疑者は妻の枕元で啓子さんを口説いていた」

香川県坂出市林田町、無職山下清さん(43)の長女と二女、姉妹の祖母で隣に住むパート従業員三浦啓子さん(58)が殺された事件で、逮捕された川崎容疑者について渦中の山下さんがテレビ番組に出演し、衝撃的証言をした。

「川崎容疑者が自分の妻の枕元で三浦啓子さんを口説いていた」というもの。川崎容疑者は三浦さんを「執拗に口説いていた」ようで、これまで報じられてきた「金銭トラブル」以上のものが事件の背後にあるようなのだ。

「俺と一緒になったら、じいちゃん・ばあちゃんが喜ぶわ」

山下さんの証言は、2007年12月7日のフジテレビ系情報番組「とくダネ!」で、「番組単独インタビュー」というかたちで放送された。番組によれば、山下さんの証言は放送2日前の07年12月5日に収録されたという。

山下さんは、事件について「どういう理由にしろ、ちんまい子(小さい子)を殺しとんや!そういう人間が生きる資格はない!」と怒りを露にする場面もあったが、川崎容疑者については、

「俺の知っとる限りのこと言えば、妹の枕元で姉ちゃん口説くような男で、まぁ自分がギャンブルしよっても、家に(金を)入れんでも、生活は成り立つし、それで、癌になった雅子姉ちゃん(に)『掃除せい、ご飯の支度せい、弁当は?』(と言う)、そういう風にこき使う鬼の人間ですね」

と語る。ここでいう「妹の枕元で姉ちゃん口説く」とは、川崎容疑者の妻の雅子さんが癌で入院していた病院の枕元で、川崎容疑者が雅子さんの姉に当たる三浦啓子さんを口説いていたということだ。

「病院で啓子ばあちゃん(三浦啓子さん)を口説いていた。そうっすよ。はっきり言って(妻の)枕元で口説いてましたからね。『俺と一緒になったら、じいちゃん・ばあちゃんが喜ぶわ』と。執拗に口説いてたみたいですね。何べんも何べんも口説いてたみたいですよ。(三浦啓子さんが)帰ってくるたんびに言ってましたもん、『もうあんな気色悪いおっさんどうにかならんなー』言うて」

山下さんは、三浦さんに対して自分から川崎容疑者にそうした行為をやめるように言うと提案したが、三浦さんは「ややこしいことになる。自分から直接言う」などと述べたと言う。

川崎容疑者が三浦さんを口説いていたのは、妻が入院していた2007年3月中旬頃の話のようだ。山下さんによれば、川崎容疑者が妻の雅子さんへの見舞金を全部持っていくなどの行為に及ぶなどしたため、雅子さんは自身の希望で2007年4月初旬の病院退院後に三浦啓子さんの家に行くことになった。川崎容疑者は妻が自宅に戻ってこないことで激怒し、山下さんとも口論になったという。

財産を狙っていた?

では、なぜ川崎容疑者は三浦啓子さんを「口説いた」のか?山下さんはインタビューのなかで、

「財産を狙ってたんですよ。啓子ばあちゃんと一緒になったら、もう受け取る人間いないじゃないですか」と推測している。

川崎容疑者の妻と三浦啓子さんの両親の「遺産相続」を狙って、病気だった妻に代わって、三浦さんと結婚することを目論んだ、ということのようだ。

一方で、山下さんは2007年12月7日放送のテレビ朝日系情報番組「スパーモーニング」に対しても同様の証言をしているほか、

「金銭問題だけで人ころせるもんか。はっきり言って、金銭問題以上に恋愛感情あった人間を殺す、その分の方が強いんちゃうか(ということ)」

とも述べている。川崎容疑者は妻の雅子さんが三浦啓子さんにつくった借金の返済に困窮し、次第に恨みを募らせていった末の犯行という報道もあったが、山下さんに言わせれば、事件には別の背景があった可能性もあるようだ。

関連項目