Mikomaid の真実 第5章

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この項目はMikomaid の真実 第4章の続きである。

Mikomaid似のイメージ絵画
Mikomaidイメージ画像

Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2013年11月23日にユアペディアの自身の利用者ページにおいて「 私が複数のアカウントで各種の書き込みをしてる様に書かれておりますが、私はMikomaid会話/履歴みんなで使おう公開アカウント会話/履歴以外は一切使っておりません」と言明している[1]。従って、以下で記述されているユアペディアのアカウントの多くはMikomaid会話/履歴/ログ/メール 自身が関与を明確に否定しているアカウントである旨を留意してもらいたい。

Mikomaid会話/履歴/ログ/メール は自身に関する編集をしたユーザーは「誹謗・中傷・個人攻撃・風説の流布」であると主張し、非難や投稿ブロック依頼をする一方、他の人物(例、Mikomade.大野晋吾は統合失調症)等について執筆した以下に記述してあるユーザー、アイサール会話/履歴/ログ/メール大野晋吾監視委員会会話/履歴/ログ/メール 等には沈黙を守っている不思議さがある。


4度目の投稿ブロック処分決定

Mikomaidイメージ画像

その後、2008年8月6日Mikomaid 本人への「コメント依頼 Mikomaid」 が提出されている中で、Mikomaid は投稿ブロック明け直後にもかかわらず、その後の編集が相変わらず個人の主観に走った出典の根拠の無い個人のサイトからの引用などのウィキペディアのルールを無視した編集を繰り返し続け、加えて、投稿ブロック処分復帰当日の2008年8月6日に論議相手に対して「節穴」と呼んだことは「あなたには散々振り回されてきたので、ちょっとくらいはいいかな、と思って[2]と、わざわざ加筆修正して投稿ブロック処分の言い訳とも思える暴言を交えた反論を繰り返し、その反省は微塵もなかった。ところが、翌日の2008年8月7日に「コメント依頼 Mikomaid」 が提出されると一転して、「こんなことになってしまい、大変驚いてると同時に、皆様に大変迷惑をかけてしまい、大変申し訳なく思っております。これまでの皆様の御発言を真摯に受け止め、今後は、軽率な発言や編集を慎み、文献やDVD等で確認可能な内容を書かせて頂こうと思っております[3]と手のひらを返したような態度となり、「付け焼刃的な反応」と管理者・海獺 から厳しく糾弾された[4]。 これまでの Mikomaid の行状で反省の意が全く無く、自己の正当性を主張し続けたたことで、反省の意は無いと判断されて、2008年8月28日に、同じく 「コメント依頼 Mikomaid」 を提出した Mizusumashi から Mikomaid の「投稿ブロック依頼 Mikomaid」 が提出された。Mikomaid は一転して、「皆様の大変厳しい指摘を頂き、本当に、心から反省しております」と殊勝な反省の弁を述べて、謝罪の意を示したものの、その内容の信用性を多くのユーザーから疑われ、「自作自演や議論撹乱を行っている」、「方針・ガイドラインへの理解欠如」、「編集姿勢の問題」、「議論撹乱」、「報復行動」との問題点が多くのユーザーから指摘された。結局、2007年12月11日の「ノート:ふんどし」のIP( 220.3.134.144 )による自己への賛成投票が決め手となって、投稿ブロックが決定された。投稿ブロックの投票結果は、一人の投稿ブロック反対者も無く、多くのユーザーから圧倒的な投稿ブロック賛成票が集まり、僅か、一週間の短期間で、管理者の Law soma から2008年9月3日より各種方針の熟読期間として 「投稿ブロック処分1年」が下された。ウィキペディアにおける Mikomaid4度目の投稿ブロック処分となった。

相手によって態度を豹変させる Mikomaid の卑屈なまでの姿勢から、その言動の信憑性に疑問が持たれ、ユーザーとの質疑を重ねる度にその虚言癖がある本性を他ユーザーに見抜かれ無期限ブロックを支持するユーザーが一気に増えたものである。しかし、Mikomaid の投稿ブロックに賛成票を投じた管理者・海獺 が無期限の投稿ブロックに反対したことから、1年間の投稿ブロックに留まった。それでも、Mikomaid の投稿ブロックが決まった日には多くの喝采のコメントが出されて、Mikomaid の言動に反感を持つユーザーの多さが伺われた。

以下の記述は 海獺 が2008年8月27日に利用者‐会話:Mikomaidで Mikomaid についての本質を述べたものである。

ウィキペディアという百科事典の、関連項目のリンク先として相応しいものは何かということと、その取り決めがなぜ作られたのかということをイメージできないのであれば、ウィキペディアの編集には正直に申し上げて向いていないと思います。外部リンクの選び方に対する理解が文章上のものだけであるなら、あなたの読解力は著しく不足しているか、ご自身のやりたい編集をしたいがための都合のよい解釈に基づくものです。
仮に「私のサイトでも詳細に解説しています」と書くことはあなたの中ではOKなのですか? 件の編集と質問はこの例と同様であることのイメージはあなたには無理なのでしょうか? もしくはイメージする前に、応答がないから編集をしてしまえという姿勢なのでしょうか? 
播州の秋祭りで議論なさっている方々を馬鹿にしている行為であると、私は感じましたし、あなたは反省の弁をあちこちで述べておられるようですが、それは口先だけの反省か、本質的に問題点を理解なさっていないかのどちらかだと思います。今回の件で、あなたはご自身がやりたい編集ならば、協調性やルールを無視しても、もしくは理解できないまま強行される方ということが良くわかりました。--海獺(らっこ) 2008年8月27日 (水) 05:12 (UTC)


海獺 から「問題点がわからない方」、「何度指摘されても改善されない方」、「自制が効かない方」と言われ、「百科事典の編集には向いていない」とあからさまに言われても[5]本人はその意味に気が付かず 海獺 を呆れさせる程、本人には自覚が無かった。また、本人は何ら痛痒は感じていない。 海獺Mikomaid を叱責したことは、年長者が一回りも、二回りも年下の若輩から公衆の面前で罵倒に近い厳しい叱責が行われたようなものである。常人では耐え難い「恥辱」と感じるようなことであっても、Mikomaid には馬耳東風の如く厚顔無恥の姿勢は後述する本人の精神構造に問題を抱えていることを伺わせていた。

このため、ウィキペディアで投稿ブロック期間中にもかかわらず、2009年2月9日に英語版の自分の利用者ページで Wikia で自分の活動を伝える編集活動を行っている。なお、前述したように、奇しくも、Mikomaid が英語版を編集を行った2009年2月9日の約10分後に Wikia で Achika.J.kuonji が 「この編集」と書き込み、そのまた10分後に A._J._Kuonji が「(Wikiaで)署名に久遠寺 阿知花 寿来」というものを使っているユーザーは私ではありません」[6]と記述していたのである。


Mikomaid の編集回数

最初にIPユーザーで初編集を開始した2006年2月11日から2008年9月2日の935日で、Mikomaid はIP220.3.132.253で2208回、Mikomaid 自身のアカウントの編集回数で1869回、IP220.109.217.128で631回、IP220.3.134.144で422回、IP121.116.191.14 で2回の計5132回の編集を行った。他に、投稿ブロックが決定した2008年9月2日までに別アカウントと噂されるA._J._Kuonji で599回、YANCHARIKA で471回、Jesudonbay で111回の編集活動を行っており、総計では6477回の編集を行ったことになる。一日当たりの平均編集回数は一日の休みなく、毎日編集を行ったと計算すると、935日間で一日平均約7回の編集回数となる。なお、その他の言語、Yourpedia、Wikia での編集活動の回数は換算していないので、総編集回数は総計を更に上回る。英語版の編集では2006年9月30日から開始して、投稿ブロック決定の2008年9月2日までに385回の編集を行い[7]A._J._Kuonji2007年11月26日から3回の編集が記録[8]されている。


Mikomaid の編集姿勢


この続きはMikomaid の真実 第6章を参照のこと。

関連項目

脚注


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