イトーヨーカ堂

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株式会社イトーヨーカ堂(イトーヨーカどう、英称:Ito-Yokado Co., Ltd.)は、関東地方を中心に24都道府県に店舗をもつゼネラルマーチャンダイズストア (GMS) 「イトーヨーカドー」を運営する会社。セブン&アイ・ホールディングスの子会社であり中核企業である。

概要[編集]

社名は「イトーヨーカ」だが、店舗名では「イトーヨーカドー」あるいは「Ito Yokado」と表記しており、報道などの略称では「ヨーカドー」とも呼ばれることがある。上場されていた頃は証券市場では「イトヨーカ」と表記されることが多かった。英語表記の頭文字を取って、「IY(アイ・ワイ)」とも呼ばれる。

出店方針としては、セブン-イレブンと同様にドミナント戦略をとっており、全国展開を優先しているイオンや以前のダイエーと対照的である。このような効率的な経営が他社より高い利益率を生んでおり、特に南関東エリアには1都3県ではザ・プライスアリオも含めると121店と多数の店舗を持つ。一方、その1都3県と北海道以外、10店舗以上出店している府県はない。

北陸3県富山県石川県福井県)、山陰地方四国地方九州・沖縄地方には店舗が存在せず、出店予定も白紙である。また首都圏および北海道以外は各府県で数店舗しか出店していないため、関東地方とそれ以外の地域とで、知名度に大きな開きがある。特に近畿地方以西の23府県では2府4県に計14店舗、人口規模の大きい大阪府兵庫県でもアリオを含めても9店舗しか出店しておらず、かつ近畿地方進出が1986年昭和61年)で比較的遅かったことから、西日本での知名度は低い。だが、日本テレビの情報番組「ZIP!」にてサントリーと7時台中盤隔日スポンサーを務めていることから、当番組が放送されない佐賀県(ただし殆ど福岡放送で視聴可能)・宮崎県沖縄県を除く全国でイトーヨーカドーのCMが放送されている。

2014年(平成26年)9月現在、新潟県内の株式会社丸大の店舗を含めて日本国内に183店舗を展開している。そのうち田無店では衣料品のみの取扱いで、小型店舗や食品館、一部のザ・プライスでは食料品日用品のみの取り扱いとなる。また南松本店と新百合ヶ丘エルミロードのテナントである新百合ヶ丘店は、衣料品および住関連商品をイトーヨーカドーが取扱い、食料品については、南松本店ではアルピコグループの食品スーパー「アップルランド[1]、新百合ヶ丘店では小田急グループ小田急商事が運営するスーパー「Odakyu OX」が取り扱う[2]

独立系企業だが、かつての三井銀行(現・三井住友銀行)と縁が深い。三井物産とは物流などの面で提携関係にあり、共同でダイエーの再建に名乗りをあげた。また、2005年にはショッピングセンター (SC) 開発会社「株式会社モール・エスシー開発」を三井物産と共同出資で設立し、従来あまり注力していなかった大型ショッピングセンター事業を本格展開、「Ario(アリオ)」として各地で開業している。

創業の歴史[編集]

創業は1920年(大正9年)。現名誉会長・伊藤雅俊の母親・伊藤ゆきの弟にあたる吉川敏雄が、東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)に「羊華堂洋品店」を開業したのが始まり。吉川が未年生まれであることと、当時、銀座で繁盛していた日華堂の華の字から命名した。この羊華堂が非常に繁盛したため、吉川と14歳の差がある伊藤譲が手伝い始め、浅草、千住荻窪に3店舗あるうちの浅草の一店をのれん分けされる。 譲の弟・雅俊は、市立横浜商業専門学校(現:横浜市立大学)卒業後、当時の三菱鉱業(現:三菱マテリアル)に就職。入社後すぐに、陸軍特別甲種幹部学校に入校し陸軍士官を目指したが、敗戦を迎え三菱鉱業に復帰。空襲で焼け出されたゆきと譲は、足立区千住で羊華堂を再開。1946年(昭和21年)、雅俊も三菱鉱業を退社し、羊華堂を手伝うことになる。

1948年(昭和23年)、譲が「合資会社羊華堂」を設立して法人化した。1956年(昭和31年)、気管支喘息の持病を患っていた譲社長が死去し、雅俊が経営を引き継いだ。1958年(昭和33年)、「株式会社ヨーカ堂」に移行(後の株式会社伊藤ヨーカ堂)。1971年(昭和46年)3月1日に、株式の額面変更のために「川越倉庫株式会社」(1913年(大正2年)設立)から改称した「株式会社イトーヨーカ堂」が「株式会社伊藤ヨーカ堂」を吸収合併した。ハトの図柄のコーポレートアイデンティティ (CI) も同時に採用した。

この法人(旧法人)による事業が長く続いた後、旧法人と持株会社の資本関係適正化のため(セブン&アイ・ホールディングスに詳しい)、旧法人が会社分割(新設分割)を行い2006年(平成18年)3月1日に当社が設立、旧法人のほぼすべての事業を承継した。

  • 資本金 400億円(2010年(平成22年)2月現在)
  • 店舗数 191店(2010年(平成22年)5月末現在)

持株会社への移行[編集]

GMSの中ではトップの利益率だったが、2003年(平成15年)度、2004年(平成16年)度ともにイトーヨーカ堂本体の売上高・営業利益がイオンに抜かれた。また、子会社だったセブン-イレブン・ジャパンに収益力・株式時価総額で逆転されていた。グループ全体では依然として流通業界トップの売上高・営業利益だったため非常に買収の標的にされやすい状況にあった。この時期、同様の状況にあったニッポン放送ライブドアによる買収の標的となっている。

これらの改革として、2005年(平成17年)9月1日にセブン-イレブン・ジャパンおよびデニーズジャパンと共同で「セブン&アイ・ホールディングス」を設立し、持株会社傘下でそれぞれ対等な子会社となった。これによってセブン-イレブンからの配当収益が受けられなくなり、単独での収益改善を迫られることとなる。最高経営責任者鈴木敏文は、この経営統合はイトーヨーカ堂の改革のためだと、持株会社発足時の会見で述べている。

また店舗看板も「セブン&アイ・ホールディングス」の図柄に変更された。イトーヨーカ堂のCIとしての鳩マークも廃止されておらず、公式サイト内やチラシでは現在も引き続き併用されている。

日本国外への展開[編集]

2010年(平成22年)5月現在、中華人民共和国北京市に2社10店舗、四川省成都市に1社4店舗を展開している。2005年の中国における反日活動の際に店舗が被害を受けたものの、現地人などから「腐った商品が陳列されていない」という理由から人気が高い。1店舗当たりの年間売り上げは、約80億円と国内店舗に肩を並べ今後も急成長する可能性がある。

2008年(平成20年)4月には出店拡大の会見をした。2009年(平成21年) 内に新規出店分であっても日本国内の店舗のようにセブンアンドアイホールディングスのロゴではなく、鳩のロゴが吊り上げられている。

沿革[編集]

  • 1920年(大正9年) - 「羊華堂洋品店」が東京府東京市浅草区(現:東京都台東区浅草)に開業。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 株式会社に改組、株式会社ヨーカ堂設立。
  • 1965年(昭和40年)6月 - 社名を株式会社伊藤ヨーカ堂とする。
  • 1970年(昭和45年)10月 - 株式額面変更の準備として川越倉庫株式会社の社名を株式会社イトーヨーカ堂に変更する。現社名と同じ社名だが、この法人は2006年(平成18年)3月1日に被合併会社として消滅している。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 株式会社イトーヨーカ堂が株式会社伊藤ヨーカ堂を吸収合併して、株式額面変更完了。
  • 1972年(昭和47年)9月 - 東京証券取引所市場第2部に上場する。
  • 1973年(昭和48年)7月 - 東京証券取引所市場第1部に指定替えを受ける。
  • 1977年(昭和52年) - 新潟県百貨店丸大と業務提携。後にイトーヨーカドー丸大となり現在に至る。
  • 1986年(昭和61年) - 近畿地方初進出の店舗、店を出店する。
  • 1997年(平成9年)11月21日 - 中国四川省に成都伊藤洋華堂有限公司の第1号店として「成都イトーヨーカドー店」を開業[3]
  • 2001年(平成13年)3月1日 - ネットスーパー「アイワイネット」を開設[4]
  • 2005年(平成17年)9月1日 - イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの3社で株式移転により持株会社セブン&アイ・ホールディングス設立。これに伴いイトーヨーカ堂は8月26日に上場を廃止し、新持株会社の100%子会社となった。
  • 2006年(平成18年)3月1日 - グループ再編手続きでイトーヨーカ堂に交付されたセブン&アイ株をセブン&アイに移転させるため、従来のイトーヨーカ堂をセブン&アイに吸収合併した。これに先立ち、同日に事業会社たる新会社の「株式会社イトーヨーカ堂」を会社分割により設立。
  • 2006年(平成18年)6月1日 - これまで神奈川県厚木市内の生鮮センターで扱っていた神奈川県・静岡県全店舗と八王子市内店舗における生鮮・青果部門の輸送を分割し、横浜市中央卸売市場南部市場内に「横浜青果センター」を開設。
  • 2007年6月 - 東京都・埼玉県内店舗における生鮮・青果部門の輸送を分割し、大田市場内に「大田青果センター」を開設。
  • 2007年9月 - 総合スーパーが運営するネット通販では最大規模となる、約10万点の商品を取り扱うショッピングサイトを開始。注文した商品については、全国のセブン-イレブンで送料・手数料無料で受け取れる。同サイトは2010年(平成22年)12月8日にセブンネットショッピングに吸収合併された。
  • 2008年(平成20年) - nanacoを各店舗に順次導入。
  • 2010年(平成22年)8月18日 - 神奈川県警察本部が2005年に輸入した中国産冷凍ウナギ蒲焼の食品衛生法違反事件で社員数名を逮捕[5]
  • 2010年(平成22年)10月1日 - 東京都杉並区阿佐ヶ谷駅前に小型スーパーマーケット1号店を開店。2010年(平成22年)度中に駅ビル居抜き出店で東京23区内に約10店舗を開店させる予定と発表した[6]
  • 2011年(平成23年)12月16日 - 「エスパ松本」が「アリオ松本」に改装変更された[7]
  • 2012年(平成24年)3月1日 - エスパ昭島・我孫子・川崎の3店舗がイトーヨーカドーに転換[8][9]。これによりエスパは消滅し、旧我孫子店は我孫子南口店と改名。

店舗[編集]

現在の店舗[編集]

2012年(平成24年)3月現在、日本に179の店舗がある。

現行店舗については、イトーヨーカドー&ザ・プライス&アリオ共通店舗の案内を参照

過去に存在した店舗[編集]

×は現在建物が解体された店舗。

「ザ・プライス」に転換し、営業中の店舗[編集]

ファイル:ザ・プライス北千住店.jpg
ザ・プライス千住店外観。イトーヨーカドーの看板も残っている

ザ・プライス」転換後の店名はイトーヨーカドー時代と同一である。(川口駅前店を除く)

東京都[編集]

  • 西新井店(足立区[10]、2008年8月24日閉店、同年8月29日変更[10][11]
    新生「ザ・プライス」の一号店[10]。 - アリオ西新井開業後は自社競合していた。
    売り場面積約3,300m²[10]
  • 千住店(2009年7月20日閉店、同年7月25日変更) - イトーヨーカドー第一号店ということで、転換後もイトーヨーカドーの看板も残している。

埼玉県[編集]

  • 川口駅前店(→ザ・プライス川口店)(川口市[10]、?開店 - 2008年(平成20年)11月閉店、同月14日変更[10]) - アリオ川口店と自社競合していたが、こちらは食品館と専門店中心だった。
    売り場面積約1,590m²[10]
  • 西川口店(川口市[10]、2009年(平成21年)3月22日閉店、同年3月26日変更[10]
    売り場面積約1,580m²[10]
  • 蕨店(蕨市[10]、?開店 - 2009年(平成21年)4月12日閉店、同年4月17日変更[10]
    売り場面積約5,390m²[10]
  • 東松山店(東松山市[10]、?開店 - 2009年(平成21年)4月19日閉店、同年4月24日変更[10]
    売り場面積約6,780m²[10]
  • せんげん台店(?開店 - 2006年(平成18年)1月15日閉店、2009年(平成21年)11月20日建替開業) - 旧敷地と周辺敷地に、セブンタウンせんげん台を開設。
    既存店の建物を利用した業態転換ではなく店舗の新築で開業したことと顧客が自ら精算する「セルフレジ」はザ・プライス業態では当店が初めてである[12]
    売り場面積約2,770m²[12]
  • 越谷店 2011年ごろ~2012年ごろにかけて、店舗の解体工事が行われ、その後Mr Max越谷店が建った。

千葉県[編集]

  • 五香店(松戸市常盤平[13]、?開店 - 2009年3月23日閉店[13]、同年3月28日変更[13]
    売り場面積約5,410m²[14][10]

神奈川県[編集]

  • 滝山店(2009年(平成21年)7月12日閉店、同年7月17日変更)

「ザ・プライス」に転換した後、閉店した店舗[編集]

北海道[編集]

  • イトーヨーカドー専門店館(札幌市、(初代)琴似店→ザ・プライス、 ?開店 - 2003年(平成15年)8月31日閉店)
    ザ・プライス[15]
    近隣の琴似駅南口に1993年(平成5年)10月1日に開店したジョイフルプラザの核店舗であるエスパ琴似店が[16]、後にイトーヨーカドー琴似店に転換している。

千葉県[編集]

  • (初代)鎌ヶ谷店×(鎌ヶ谷市、?開店 - 2009年(平成21年)3月16日閉店、同年3月20日変更[13]
    イトーヨーカドー→閉鎖→食品館→ザ・プライスと変遷していた。2012年(平成24年)4月20日をもって、「ザ・プライス」が入居していた「鎌ヶ谷ショッピングプラザ」自体が建物の老朽化を理由に閉鎖。
    建物は解体し、同じ場所に「食品館イトーヨーカドー鎌ケ谷店」や100円ショップ「ダイソー」、衣料品店「ファッションセンターしまむら」などが入居する「ショッピングプラザ鎌ヶ谷」が2013年(平成25年)11月22日に開業した[17]

神奈川県[編集]

  • 鶴ヶ峰店(横浜市旭区鶴ヶ峰1-7-10[10]、1984年(昭和59年)3月開店[18]、2009年(平成21年)6月14日閉店[10]、同年6月19日変更[10]
    2014年(平成26年)2月23日をもって完全閉店した[19]
    売り場面積約5,400m²[10]

他のセブン&アイグループ店舗に転換[編集]

ファイル:Ito-Yokado Akita branch 20070503.jpg
閉鎖前の秋田店(2007年5月3日)

秋田県[編集]

フォンテAKITA も参照

  • 1992年(平成4年)をピークに売上が減少し[20]、1998年(平成10年)以降は赤字が続いていることに加えて自動車社会になっている中で駅前で日用品などを売る業態が時代にそぐわないとして閉店となった[20]
    店舗跡は、商業施設フォンテAKITAとして2010年(平成22年)12月1日にまず約40店舗で開業し[24]、2011年(平成23年)4月1日に約60店舗が入居して全面開業した[24]
    地下1階にザ・ガーデン自由が丘[24]、 2階にロフトそごう・西武傘下の店舗が入居して集客の核の一つとなっている[24]

宮城県[編集]

  • 石巻中里店(石巻市南中里2丁目[25]、1982年(昭和57年)開店 - 2010年(平成22年)1月[25]17日閉店)
    1982年6月にイトーヨーカドーと地元スーパー「サンエー」を核とする「イトーヨーカドー石巻店」(ヨークサンエービル)として開業。その後市内蛇田地区に石巻あけぼの店が開業したのに伴い、石巻中里店に改称。
    建物は解体済みで、跡地にヨークベニマル(売り場面積約2,000m²)が「ヨークタウン石巻中里」(売り場面積約4,000m²)の核店舗として[25]2011年11月11日に開店した。なお、ヨーカドー時代とは店舗と平面駐車場の位置が逆になる。

栃木県[編集]

  • 鹿沼店×(?開店 - 2006年(平成18年)11月末閉店[26]
    帝国繊維が所有する土地・建物へを借り上げて出店していた店舗である[26]
    跡地は、所有する帝国繊維が再開発して2008年(平成20年)3月に鹿沼ショッピングセンターが開業した[26]ビバホーム鹿沼店内にヨークベニマル鹿沼睦町店で残る。

長野県[編集]

  • 松本店(1978年(昭和53年)4月[27]20日開店 - 1996年(平成8年)閉店)→エスパ松本店
    2011年(平成23年)12月16日にアリオ松本として新装開業した[7][28]

過去に存在したイトーヨーカ堂の店舗[編集]

北海道[編集]

  • 月寒店(札幌市、?開店 - 2001年(平成13年)6月[29]10日閉店)
    後継店舗としてカウボーイ月寒店(2008年(平成20年)10月26日閉店、店舗は解体されマンションになる予定)。後に近隣のエスパ福住店はイトーヨーカドー福住店に業態転換。
  • 北四十二条店(札幌市、1977年(昭和52年)10月27日開店[30] - 2007年(平成19年)1月[31]14日閉店)
    2007年(平成19年)5月にパチンコ店ガイアゲームセンターアドアーズが進出、同年7月13日ドン・キホーテが出店。
  • 新川店(札幌市北区新川2-7[32]、1990年(平成2年)2月15日開店[32] - 2013年(平成25年)9月16日閉店[33]
    鉄筋コンクリート造り地上2階・地下1階建て延べ床面積約21,730m²[34]
    近隣に競合店の出店が相次いで売上高が最盛期の1995年(平成7年)の約半分まで低下したうえ、店舗が老朽化しているとして閉店となった[35]
    店舗跡はドン・キホーテのグループ会社が取得し[34]長崎屋運営による「MEGAドン・キホーテ新川店」が2013年(平成25年)12月5日に開店した[36]
  • (初代)帯広店(帯広市西三条南9丁目[37]、1975年(昭和50年)4月26日開店[38] - 1998年(平成10年)11月9日閉店[37][39])

イトーヨーカドー帯広店 も参照

  • 帯広地方裁判所跡地に帯広市が建設した立体駐車場やバスターミナル[40]と一体的に設計された[41]鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階・地上6階建てのビルに出店していた[42]イトーヨーカドーの北海道1号店である[43]
    1970年代から1990年代にかけては当店は約100m離れた場所に立地している藤丸と共に中心市街地の商店街の核となり[44]、帯広市中心部の「歩行者通行調査」で当店北側入り口の通行量は毎年1位となる位の集客力を発揮し[37]、総合スーパーと百貨店という業態の違いから買い物客も使い分けて相乗効果を発揮しているといわれていた[45]
    このため、帯広市中心市街地の2000年(平成12年)7月の歩行者通行量は当店の閉店前の1998年(平成10年)7月から平日で18%、休日でも15%も減少するなど、当店の移転に伴う閉店は中心市街地の集客力を落とす大きな要因の一つとなった[44]
    後継店舗としてラルズニトリフクハラなどが候補に挙がったが何れも実際の出店には至らず、2014年現在も空き店舗のままである。
  • 江別店(1978年(昭和53年)開店[46] - 2007年(平成19年)1月[31]21日閉鎖)→イオンタウン江別ショッピングセンター
    店舗内にあるロッテリアと、前にある宝くじコーナーのみが営業を継続。同年11月30日マックスバリュ→ザ・ビッグを核テナントにした「イオンタウン江別ショッピングセンター」として再開された。
  • 大麻店(?開店 - ?閉店)
    店舗跡には1993年(平成5年)3月5日にラルズマート大麻店が開店した[47]
    ベーカリー・喫茶(ミニフードコート)などは早期に撤退。「専門店街アーサ」にも、かつては靴屋・薬局・エンパイアークリーニング・ファンシーショップ(麦ばたけ)・タニ書店・中華料理店・蕎麦屋・レストラン「サンマリノ」などがあったが、現在は美容室「ギャルソン」のみがテナントとして残っている。
  • 千歳店(千歳市勇舞[48](旧・北信濃841[49])、2000年(平成12年)11月1日開店[49] - 2009年(平成21年)2月28日閉店[50]
    JR千歳線長都駅に近い新興の市街地へ出店したが[49]、周辺人口が想定よりも伸び悩み、近隣に大型ショッピングセンターが進出したことから衣料品の売り上げの落ち込みが酷かったことからわずか8年ほどで撤退となった[51]
    敷地面積約41,077m²[49]。直営の売り場面積約10,520m²[51]。施設全体の売り場面積約15,500m²[48]
    店舗跡は『ちとせモール』(売り場面積約15,500m²)となり[48]、2009年(平成21年)4月24日に1階部分にアークスグループの「スーパーアークス長都(おさつ)店」(売り場面積約2,280m²)が開店した[48]
  • 苫小牧店(苫小牧市木場町[52]、1978年(昭和53年)6月6日開店[53] - 2010年(平成22年)1月11日閉店[53]
    JR苫小牧駅北口の[54]苫小牧市木場町に出店し[52]、最盛期の2002年(平成14年)には売上高約100億円を上げていたが[55]、2005年(平成17年)4月下旬にイオン苫小牧ショッピングセンターや千歳市のアウトレットモール「レラ」が開業した影響を受けて集客と売り上げが減少し[56]、2005年(平成17年)から4年間で約15億円の赤字となって2008年(平成20年)には売上高約42億円へ落ち込んだため閉店となった[55]
    敷地面積約14,794m²[52]、鉄筋コンクリート造り地上7階・地下1階建て延べ床面積約約35,346m²[52]。売り場面積約17,200m²[53]
    店舗跡は閉店前年にはビル管理運営会社の東京に本拠を置くジョーンズラングラサールとや札幌市に本拠を置くランドブレインが後継店舗の招致を進め[57]、家具と雑貨販売のスイートデコレーションを運営する長谷川グループが2階部分の核店舗となる方向で調整が進んでいたが[57]、実現せず空き店舗の状態が続いた[52]
    結局後継店舗が入居しないまま土地・建物の2011年(平成23年)9月2日に4300万円で大東開発へ売却されることになった[52]
    建物は大東開発によって取り壊され[54]ベガスベガスが出店することになった[54]

東北地方[編集]

青森県[編集]
  • 八戸店(八戸市十三日町[58]、1980年(昭和55年)4月19日開店[58] - 2003年(平成15年)2月[59][60]23日閉店)
    八戸第一市街地再開発組合が建設した青森県内初の市街地再開発ビルである八戸スカイビルの核店舗として出店していた[58]
    現在は映画館「八戸フォーラム」や洋品店「マルマツ」等をはじめとしたテナントビル「cino(チーノはちのへ)」として営業中。
    同店は1998年(平成10年)3月12日に八戸沼館店(直営売り場面積約10,540m²、ピアドゥ)を開店した[61]後もしばらくは営業を続けていたが、不採算のため閉店。
    八戸地区の店舗は八戸沼館店に移行した格好となった。
  • イトーヨーカドーマルキ(五所川原市、 旧:マルキ飛島
    1997年(平成9年)11月にイトーヨーカドー五所川原店(直営売り場面積約9,500m²)[62]が郊外の「エルムの街」に出店したため、移転という形で閉店[63]。後に解体され、現在は更地になっている。
岩手県[編集]
  • 北上店(?開店 - 2000年(平成12年)1月30日閉店)→テナントビル「おでんせプラザ ぐろーぶ」
福島県[編集]
  • (初代)郡山店×(旧店舗、1969年(昭和44年)開店[64] - 1988年(昭和63年)[65]1月20日閉店)→うすい第1駐車場
    1969年に同社が関東以外では初めての直営店舗として開店。地元の木工所・家具店「扇屋木工所」のビルのキーテナントだった。なお、食品売り場としてヨークベニマルが入居していた[66]。(地下1階)(第一号店である中町店)閉鎖翌年の1989年6月に郡山市西ノ内に西部ショッピングセンターの核テナントとして移転開業。
    売り場面積約3,965m²[65]。店舗跡は駐車場となっている[65]
  • 白河店(1971年(昭和46年)10月開店[67] - 2002年(平成14年)5月[68]26日閉鎖)→地元スーパー「主婦の店サンユー」(2003年(平成15年)9月3日開店 - 2005年5月31日閉鎖)→地元スーパー「わしお」(2005年6月17日開店 - 2007年10月17日閉鎖)→白河市のコミュニティ施設「マイタウン白河」
    食品売り場としてヨークベニマルが入居していた[66]。売り場面積約4,146m²[67]
    店舗跡は白河市が買い取って改装し、市民交流センター「マイタウン白河」となった[67]
  • いわき植田店×(1975年(昭和50年)[69]10月開店 - 2006年(平成18年)[69]9月18日閉店)
    植田ショッピングセンターの核店舗だった[69]。2002年(平成14年)に一旦は閉店して撤退することになったが[70]、この時は閉店せずに終わった。
    店舗跡は藤越他が入居(藤越は2008年(平成20年)8月末に撤退し、同年9月に運営母体の協同組合植田ショッピングセンターが民事再生法の適用を申請して事実上倒産した[71]。2009年(平成21年)に全館閉館し解体して更地にしてヨークベニマルに引き渡し、その代金で清算することになった[69]

関東地方[編集]

群馬県[編集]
  • 前橋店(前橋市表町2丁目[72]、1987年(昭和62年)9月開店[73] - 2010年(平成22年)8月16日閉店[74][75]
    JR前橋駅北口にある[76]敷地面積は約6,900m²に建設された地下1階・地上7階建て延べ床面積約42,400m²(約770台収容の立体駐車場を含む)に出店していた[73]。店舗の建物は地元前橋市の曽我製粉が75.81%で残りの24.19%を東武鉄道が区分所有する共同のビルとなっている[73]
    2007年9月25日で賃貸借契約が切れた際には契約が更新されたが[73]、中心市街地の空洞化や競合する相次ぐ大型ショッピングセンターの進出で売り上げが伸び悩み[73]、2010年(平成22年)8月16日に閉店となった[75]
    閉店直前の2010年(平成22年)8月にスズラン百貨店(1階の約1,500m²)とフレッセイ(地下1階の約2,640m²)という地場資本の百貨店とスーパーが出店する新たな商業施設が後継店舗となる構想が発表されたが[75]、採算面の問題から同年10月に白紙撤回となった[77]
    商業施設の再生を手がける「やまき」が[78] 、2012年(平成24年)5月に15年の定期借家契約を締結し[79]、「富士通フロンテックシステムズ」も入居する事務所と店舗などからなる複合施設「エキータ」として[77]同年11月15日に新装開業した[72]

エキータ も参照

栃木県[編集]
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閉鎖前の足利店(2006年5月3日)
  • 栃木店×(?開店 - 2000年(平成12年)2月13日閉店、跡地は駅前区画整理により解体)
  • (初代)宇都宮店(?開店 - 2004年(平成16年)9月26日閉鎖(現在はカルナ、ダイソーなどが入居する複合商業ビルである)
    (2代目)宇都宮店はシンガー日鋼工場跡地(宇都宮市陽東)を再開発して2004年(平成16年)10月5日に開業したベルモールの核店舗である[80]
  • 足利店(足利市田中町[81]、?開店 - 2006年(平成18年)9月[81]18日閉店)
    渡良瀬川の南側の国道293号沿いに出店していた[81]。1980年(昭和55年)10月オープン地上2階建て売場面積は14,000m²だった。当初この倍以上の売場面積を申請していたが認められず、中途半端な売場面積になってしまった。将来の増床を見越しエレベーターなども上層階まで設置されていたが実現しなかった。閉鎖後、建物は2009年5月半ばに解体作業に入った。
    跡地にはたいらや足利店を核店舗とする「アクロスプラザ足利」として2009年(平成21年)11月13日に開業した[82]
茨城県[編集]
  • (初代)土浦店×(土浦市大和町[83]、1973年(昭和48年)6月開店[83] - 1997年(平成9年)閉店[84]
    後の川口ショッピングモール505の近くに出店しており[83]、丸井や西友などと共に駅周辺の商業集積の中核となり[84]、1982年(昭和57年)には売上高約116億円を上げていたが[84]、1996年(平成8年)には約半分へ落ち込んだため[84]、(2代目)土浦店へ移転する形で閉店した[84]
    店舗跡は2001年(平成13年)5月から解体され[85]コインパーキングとなる。
  • (2代目)土浦店(土浦市大和町ウララ1内[83]、1997年(平成9年)10月2日開店[84] - 2013年(平成25年)2月17日午後8時閉店[86][87]
    約68億円で土浦駅前再開発ビル「ウララ1」の保留床を取得し[83]、地下1階から4階に[88]初代店舗から移転する形で開店し[83][84]、開業当初は売上高約89億円を上げた[83]
    しかし、自動車社会の進展やそれに合わせた郊外型ショッピングセンターの進出などの影響を受けて1998年(平成10年)に西友土浦店[86]、1999年(平成11年)に小網屋[86]、2004年(平成16年)に丸井土浦店と当店と共に駅周辺の商業の中核を担っていた大型店が相次いで閉店し[86]、当店が直営売り場を持つ最後の大型店となるなど商環境が大きく変化したため[87]、売上が低迷して閉店となった[86]
    当店の閉店と同時に同居していた「ウララ1」の専門店26店のうち18店も閉店している[86]
    店舗跡は土浦市が購入して[88]2013年(平成25年)2月28日に引き渡しをされ[83]2015年(平成27年)5月にも市役所の本庁舎移転をする計画が進められている[88]。(取得額14億8000万円)
    2013年(平成25年)7月15日から2014年(平成26年)2月末までの期間で1階部分にスーパーマルモ(店舗面積260m²)など38店舗が営業する『ウララマルシエ』(店舗面積2,240m²)が営業を行っているが[88]、市役所移転後にも食品売り場の設置を求めることが多いことから、商業施設も同居させる方向で調整が進められている[89]
  • 取手店× (?開店 - 2001年(平成13年)1月31日閉店[90]
    2001年(平成13年)4月27日にマルエツが地下1階に入り、他に衣料品や飲食店、100円ショップなどの専門店で構成する複合商業ビルが開業した[91]。2005年3月にマルエツ閉店後、2007年(平成19年)4月26日完全閉鎖となった。店舗跡にはマンションが建てられている。
  • 結城店(?開店 - 2004年(平成16年)7月25日閉店)→現在はコモディイイダが入居。専門店街「しるくろーど」は引き続き営業。
  • 高萩店×(1975年(昭和50年)開店[92] - 2005年(平成17年)6月[92]5日閉店)
    JR高萩駅前に出店していた敷地面積約5,600m²に建設された3階建て延べ床延べ床面積約19,000m²の店舗で最盛期の1980年代には売上高約75億円を上げていたが、郊外への相次ぐ大型店出店や地元の日本加工製紙の破たんの影響などで約半分まで減少したとして閉店となった[92]
千葉県[編集]
  • 稲毛店(千葉市小仲台[93]、?開店 - 1998年(平成10年)3月1日閉店)
    丸山製作所が所有する[94]丸山ビルに出店していた売場面積6,769m²の店舗であった[95]
    店舗跡の1階にはマルエツが入り[95]、2階から3階には家電量販店ミドリ電化が出店した[95]
  • 長沼店(千葉市長沼町93-1[96]、1992年(平成4年)2月27日開店[96] - 2003年(平成15年)2月2日閉店[93])→スマートコミュニティ稲毛
    国道16号線と県道浜野・四街道店・長沼線の交差点に開設された地元主導型ショッピングセンターの核店舗として出店していた[96]
  • 志津店(?開店 - 1997年(平成9年)5月5日閉店)→OKストア志津店等
  • 臼井店×(千葉県佐倉市染井野4-7-1[97]、1999年(平成11年)2月期下期に開店[61] - 2009年(平成21年)1月12日閉店)
    売り場面積約8,500m²[61]
    店舗跡には、2010年(平成22年)10月13日にヤオコー佐倉染井野店を核店舗とする近隣型ショッピングセンターのザ・マーケットプレイス佐倉が開店した[97]
  • 野田店× (野田市野田721-1[98]、1970年(昭和45年)7月4日開店 - 2003年(平成15年)6月15日閉店)→更地→ザ・プライス野田店
    閉店後建物は取り壊され、10年近く更地となっていた。後に同じ場所に新規建設され、2013年(平成25年)12月4日にザ・プライス野田店(売り場面積約2,082m²)が開業した[98]
  • (初代)四街道店(2005年(平成17年)3月21日閉店)→M2プラザ四街道
    (2代目)四街道店は四街道都市核北土地区画整理事業地内5街区に2005年(平成17年)3月30日に開店した[99]。(JR四街道駅近くの精工舎跡地)
  • (初代)市原店 (市原市五井中央西2丁目24-8[100]、1976年(昭和51年)6月開店[100][101] - 2010年(平成22年)5月9日閉店[101]
    JR・小湊鐵道五井駅西口から[102]北西約500mにあった[100]市原市役所跡地の市有地に開設された[102]市原ショッピングスクエアの核店舗として出店していた[100]
    最盛期には当社の店舗の中で全国1位の売り上げを記録するなど市原市を代表する商業施設となっていたが[102]、郊外への出店が相次いで売り上げが最盛期の約3分の1へ大きく落ち込んで10年間連続赤字となったため閉店となった[101]
    当店の閉店の翌年 2011年(平成23年)2月までに全テナントが撤退して完全に閉鎖となり[100]、同年建物を所有・管理している住友不動産など住友グループ3社が後継店舗の招致を断念した[102]
    店舗跡の建物は2012年3月に譲渡されて市原市の所有となり、同年市原市が利活用案の公募を行った[100]
    2013年(平成25年)11月28日に五井駅東口から約1㎞の場所に開業した[103]アリオ市原内の(2代目)市原店[104]とは別店舗。
  • 八幡宿店×(1983年(昭和58年)開店[105] - 2005年(平成17年)[105]4月17日閉店)→マンション
  • 君津店×(?開店 - 2006年(平成18年)1月22日閉店)→尾張屋君津店(2007年12月13日開店)
    2001年(平成13年)12月に2002年(平成14年)春に閉店との方針が打ち出されたが[106]、2002年(平成14年)3月に営業継続に方針転換され[107]、2002年(平成14年)5月29日に新装開店した[108]
埼玉県[編集]
  • 杉戸店(北葛飾郡杉戸町杉戸2-9-20[109]、?開店 - 2003年(平成15年)[110]1月26日閉店)
    地上4階建て[109]。店舗跡には2003年(平成15年)4月16日に1階にサンベルクス杉戸店、2階にパシオス(田原屋)、3階にダイソーが出店した商業施設が開業した[109]
  • 上福岡西店(?開店 - 2004年(平成16年)11月7日閉店)→ディスカウントスーパーギガマート上福岡店(2013年(平成25年)8月閉店、空き店舗になる)
    1999年(平成11年)10月1日に上福岡東店(上福岡市大原2-1-30)が開業している[111]
  • 北浦和店(1962年(昭和37年)開店[112] - ?閉店)
    売場面積5,137m²[113]
  • 越谷店×(越谷市[114]、1969年(昭和44年)6月開店[114] - 2009年(平成21年)5月10日閉店)→MrMax越谷ショッピングセンター(2010年(平成22年)12月16日オープン)
    売場面積4,155m²のヨークショッビングスクエア越谷店として開業した[114]
東京都[編集]
  • (初代)小岩店(1963年(昭和38年)開店[112] - ?閉店)
    現在の小岩店(旧小岩駅前店)は1980年(昭和55年)4月1日開店であり、別店舗。
  • (初代)曳舟店(東京都墨田区、1967年開店[115] - 2010年(平成22年)11月7日閉店[115]
    3階建ての建物に食料品や衣料・雑貨売場が配置された店舗で[115]、当社で初めて食品のマーチャンダイジングを行った店舗である[116]
    2010年(平成22年)10月24日に2階・3階部分を閉店、完全閉店までは食料品売場のみの営業となった。
    2010年(平成22年)11月27日に曳舟駅前再開発事業「イーストコア曳舟」II街区に(2代目)曳舟店を開店[115]
  • (初代)亀有店×(?開店 - 1996年(平成8年)1月7日閉店)→跡地はジャパンホームバリュー→建物解体)
    商店街奥から駅前の再開発ビル・リリオに移転。開店当時の店名は亀有駅前店で、数か月後に亀有店に改称した。さらに2006年(平成18年)には環七通り沿いにアリオ亀有が開店したことに伴い、亀有駅前店に再度改称している。旧店舗は存続されず閉鎖したが、亀有駅前店は店齢が10年強と浅いためアリオ亀有開店後も存続している。両店舗は数百メートルしか離れておらず、明らかな自社競合となっている。なお、亀有駅前店にあるスポーツ用品売場や電化製品の取扱いがアリオ亀有にないなど、売場の傾向が若干異なる。
  • 南砂町店
    1977年(昭和52年)にトピレックプラザのテナントとしてオープン。現在のトピレックプラザはイオン南砂店、ドイトを核としている。
    その後江東区内では深川ギャザリアの商業施設として2000年(平成12年)11月16日に木場店が[117]、2010年(平成22年)6月4日にアリオ北砂[118]がそれぞれ開業している。
  • (初代)大井店(品川区大井町 />[114]、1969年(昭和44年)5月開店[114] - 1997年(平成9年)4月6日閉店)
    1997年(平成9年)4月18日に2代目となる大井町店が近隣に開業した[119]。2代目となる大井町店の直営売り場面積は約12,000m²[62]
    ヨークショッビングスクエア大井店として開業した[114]売場面積4,176m²の店舗であった[120]当社初のテナントを導入したショッピングセンター形式の店舗であった[112]。初代店舗と2代目店舗ともオーナー同一であった。[120]店舗跡は「おおい元気館」
  • (初代)大森店
    旧:大森京成百貨店。1979年(昭和54年)に傘下に入れ[121]、「オーモリ京成」を経てイトーヨーカドー大森店に業態変更。2000年(平成12年)3月に閉鎖。
    現在はオオゼキ大森店などが入居する複合商業ビル。
    現在の大森店は大森海岸駅近くのアサヒビール東京工場跡地に2004年(平成16年)12月8日開店。
  • 蒲田店(東京蒲田文化会館内、1964年(昭和39年)開店[112] - ?閉店)
    店舗跡はつるかめなどが入店
  • 大山店(1964年(昭和39年)開店[112] - 1979年(昭和54年)11月9日に火災を起こして閉店[122]
  • (初代)東久留米店×都市計画道路建設の関係で建替えを行い同時に大型化(移転はしていない)。
  • 三鷹店
  • 恋ケ窪店(東京都国分寺市、1996年(平成8年)開店 - 2010年(平成22年)10月31日閉店)
    店舗跡は改装して2011年(平成23年)6月24日にドイト恋ヶ窪店として開業し[123]、2012年(平成24年)に改装してドン・キホーテホームセンター恋ヶ窪店となった[124]
  • 田無店×(旧店舗、田無駅北口再開発計画に伴い閉店し、建物を解体した。現在は西東京市道。
    現在の田無店は再開発ビルの中のテナントとして規模を縮小して営業(アスタビル2階の一部区画。同ビルのメインテナントは西友のLIVIN)。取扱商品は旧店舗同様に衣料品のみ。
  • 昭島店×(?開店 - 2003年(平成15年)10月17日閉店)→マンション。また同時期、近所に拝島店が開店した。
    モリタウン内にある現在の昭島店(旧エスパ、2012年(平成24年)にイトーヨーカドーに転換)とは別店舗。
  • 府中店(?開店 - 2010年(平成22年)8月22日閉店[125])→ROUND1。1階の一部にセブン&アイグループのセブン-イレブンが出店。
    JR府中本町駅前の「武蔵国府跡」に隣接地に出店していた[125]
神奈川県[編集]
  • 相武台店×→店舗兼マンション
  • 大和店(?開店 - 2002年(平成14年)7月閉店)→オリンピック→フィットネス&天然温泉施設
  • 中央林間店(?開店 - 2004年(平成16年)1月25日閉店)
    直線距離で約2km南にある大和鶴間店への一本化。
    2005年(平成17年)10月5日にサミット(売り場面積2,705m²)を核店舗とするラプラ中央林間が開業したが[126]、サミットは撤退した。
  • 希望ヶ丘店(?開店 - 2005年(平成17年)5月15日閉店)→希望が丘K−1ショッピングセンター(ライフノジマハックドラッグパシオス、ダイソーなどが入居)
  • (初代)橋本店(?開店 - 2008年(平成20年)5月18日閉店)×→店舗兼マンション
    橋本駅南口の日本金属工業跡地にアリオ橋本内に(2代目)橋本店が2010年(平成22年)9月17日に開店[127]

中部地方[編集]

山梨県[編集]
  • 韮崎店(1984年(昭和59年)10月開店[128] - 2004年(平成16年)8月[128]29日閉店)
    JR韮崎駅前のショッピングセンター「ルネス」の核店舗として出店し、開店当初から1992年度(平成6年)までは売上高約55億円から56億円を上げていたが、郊外型大型店の進出などで競争が激化して売上が低迷して閉店となった[128]
    店舗の跡には2004年(平成16年)9月にオギノルネス店が核店舗として出店したが、売り上げが伸び悩んだため2007年(平成19年)8月26日に閉店となった[129]
    2009年(平成21年)3月末でショッピングセンタールネスも閉店となった[130]
    ルネスの土地・建物は韮崎市が買収し[131]、2010年(平成22年)10月から改修工事を行って[132]2011年(平成23年)9月に韮崎市民交流センター「ニコリ」が開館した[133]
  • 富士吉田店(1975年(昭和50年)開店 - 2005年(平成17年)12月[134]31日閉鎖)→Q-STA
    当店閉店後に、ビルの所有者である富士急行グループの富士急百貨店がテナント32店舗のうち23店舗を引き継ぐと共に新たにテナントを追加で入居させ、48店舗で構成される大規模核店舗のない複合商業施設Q-STAとして2006年(平成18年)3月31日に新装開店した[134]
新潟県[編集]
  • 新潟木戸店(新潟市東区 (新潟市)[135]、1993年(平成5年)11月開店[136] - 2007年(平成19年)2月25日閉店)
    地下1階・地上4階建てで地下1階から地上3階に約14,679m²の売り場があり、4階と屋上は駐車場という店舗だった[136]
    敷地面積は約15,000m²に約400台を収容する駐車場を併設する延べ床面積は約32,200m²の建物で[135]、土地・建物を新潟市が東区役所として使用するために購入して[135]、2011年(平成23年)9月20日新潟市東区役所が移転・開所した。

イトーヨーカドー丸大については当該記事を参照

長野県[編集]
  • 岡谷店(1984年(昭和59年)開店[137] - 2001年(平成13年)7月8日閉店[138]
    駅前市街地再開発事業により完成したララオカヤの2階と3階に出店していた[137]。1階には地権者である諏訪バスと同じアルピコグループの食品スーパーのアップルランドが入居していた[137]
    当店閉店後もアップルランドは営業を続けたが[137]、当店退店後の後に入居した衣料品店や100円ショップなども販売不振で撤退するほど集客力が低下したため閉店となり[137]、2004年6月にララオカヤの大半を岡谷市が取得する補正予算が可決成立して市の所有になった[137]
  • 塩尻店(塩尻市大門一番町7-1[139]、1993年(平成5年)4月21日開店[139] - 2010年(平成22年)2月21日閉店[140]
    塩尻市の大門商店街の一角にある[141]市街地再開発事業で建てられたビルに出店。
    地下1階から3階までの店舗だった。開店してからは年々売り上げは減少していった。
    同じビル内に出店していたスーパーのアップルランドは当店の閉店後も営業を継続している[140]
    また、店舗跡の土地建物の約70%を塩尻市が取得して改装し、2010年(平成22年)6月下旬から「ウィングロード」として開業した[142]。イトーヨーカドーの時から入っていた専門店が並ぶ。なお、3階は市のカルチャーセンターになった。
  • (初代)上田店(1977年(昭和52年)3月[143]3日開店 - 2011年(平成23年)4月10日閉店[144]
    JR上田駅お城口前に出店していたが[145]、上田駅北西側の上田市天神にある日本たばこ産業跡地に大型商業施設「アリオ上田」に[145](2代目)上田店を2011年(平成23年)4月21日に開店する[144]のに伴い閉店することになった[145]
静岡県[編集]
  • 浜松駅前店(1987年(昭和62年)7月開店[146] - 2007年(平成19年)1月14日閉店)
    「浜松ショッピングプラザ」の核店舗として売り場面積は約16,700m²で出店していた[146]。郊外へ相次いで競合する大型店が出店したことなどで売り上げが伸び悩んだことから閉鎖になったと推測されている[146]かじ町プラザ
  • 富士店×(富士市富士町[147]、1976年(昭和51年)4月[147]24日開店 - 2010年(平成22年)1月11日閉店[148]
    JR富士駅北口の[147]JA富士市が所有する建物に出店していた[148]
    店舗の跡地は2013年(平成25年)6月中旬に東祥が定期借地権契約を締結し[147]、2014年(平成26年)8月1日に「ホリデイスポーツクラブ富士」が開業した[149]
愛知県[編集]
  • 小牧店(小牧市小牧3丁目555番地[150]、1995年9月21日開店[150] - 2007年(平成19年)9月2日閉店)→アル・プラザ小牧(平和堂)
    名鉄小牧線小牧駅の西側に市街地再開発事業で建てられた地下2階・地上5階建て延べ床面積約49,000m²の「ラピオ」のうち約15,940m²を約55億円で取得し、その核店舗として1階から4階の約8,243m²の店舗を出店していた[151]
    近隣にあるアピタ小牧店やジャスコ(現・イオン)小牧店との競合もあり、食品以外が苦戦して売り上げが伸び悩み、最盛期の1996年(平成8年)度に約76億円だった売上がその約60%に落ち込んだことなどから閉店となった[151]
    店舗跡には2007年(平成19年)11月8日に平和堂東海が愛知県内初出店となる「アル・プラザ小牧」を新たな核店舗として出店した[152]
  • 鳴海店 (愛知県名古屋市緑区、1997年(平成9年)9月13日開店[153] - 2010年(平成22年)10月17日閉鎖)
    地上3階建てで1階と2階が店舗のあるフロアとなっており[154]、1階が食料品売り場で2階が衣料品などの売り場となっていた[153]
    店舗跡には2011年(平成23年)3月16日に平和堂を食品の核店舗とするなるぱーくが開店した[154]
岐阜県[編集]
  • 各務原店(岐阜県各務原市蘇原青雲町[155]、1981年(昭和56年)3月開店[155] - 2011年(平成23年)1月16日閉店[155]
    当社の岐阜県下1号店として開業し、最盛期の週末などには郡上市や飛騨地域からも集客して年間約350万人の来店客を集めたが、施設の老朽化と土地・建物の賃借契約の期間が満了したため閉店となった[155]
    店舗跡には2011年(平成23年)11月24日にバロー各務原中央店が、同月30日にホームセンターバロー各務原インター店も開店した[156]

近畿地方[編集]

大阪府[編集]
  • 堺店×(大阪府堺市堺区戎島町2丁目[157]、1986年(昭和61年)9月開店[157] - 2011年2月13日閉店[157]
    南海堺駅前に出店していた[157]。1986年に関西一号店として開店、当初は大阪、奈良、京都などからの集客もあった。
    生活形態の変化や同市内への2004年(平成16年)4月22日にJR阪和線津久野駅西約500mのところにイトーヨーカ堂津久野店が開業し、同年10月28日にダイヤモンドシティ・プラウ(現:イオンモール堺北花田)が開業[158] 、さらに2008年(平成20年)3月31日にイトーヨーカ堂を核店舗とするアリオ鳳店が開業したほか[159]と自社を含む競合する大型店が相次いで出店したことから閉店となった。

関連会社[編集]

セブン&アイ・ホールディングス も参照 グループ企業

  • スーパーストア事業
    • 連結子会社(丸大、華糖洋華堂商業有限公司、成都伊藤洋華堂商業有限公司、サンエー、北京王府井洋華堂商業有限公司、メリーアン、オッシュマンズ・ジャパン、アイワイフーズ、赤ちゃん本舗、紹興吉儿奥本舗服装用品有限公司)
    • 持分法を適用する関連会社(撫順小宝宝梦衣有限公司)
  • その他の事業
    • 連結子会社(セブン&アイ出版、IYリアルエステート、ヨーク警備、テルベ)
      セブン&アイ出版は雑誌「Saita」の発行元である。
    • 持分法を適用する関連会社(モール・エスシー開発、ススキノ十字街ビル)

その他[編集]

  • 商品券についてはセブン&アイ共通商品券[160]に加え、2012年(平成24年)4月1日から、西武百貨店およびそごうが発行する1000円券も使用可能となった[161]
  • 毎月8のつく日(8・18・28日)は「ハッピーデー」の名称で各種サービスがあり、イトーヨーカドー店舗にてセブンカードアイワイカードを提示して現金支払いまたはカード支払いをするか、nanacoで支払うと商品価格が5%引き(一部商品除く)などのサービスを実施している[162]

CMキャラクター[編集]

脚注[編集]

  1. 店舗のご案内 南松本店 - 株式会社アップルランド
  2. Odakyu OX 新百合ヶ丘店 - 小田急商事株式会社
  3. “イトーヨーカ堂、中国1号店を四川省成都に開店 初年度80億円目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月1日)
  4. “イトーヨーカ堂がネットスーパー参入、最短3時間で配達”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年2月28日)
  5. 中国産冷凍ウナギ蒲焼に関するお知らせPDF 
  6. 〜10/1(金)JR阿佐ヶ谷駅前に第1号店をオープン〜 都市部で小型スーパー事業の展開を開始PDF イトーヨーカ堂ニュースリリース、2010年10月1日
  7. 7.0 7.1 “売る技術光る戦略 ヨーカ堂「アリオ松本」に"百貨店"、品ぞろえ差異化で平日集客”. 日経MJ (日本経済新聞社).(2012年1月25日)
  8. “人事、イトーヨーカ堂”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社).(2012年1月11日)
  9. 組織変更および人事異動のお知らせ 2012年1月11日
  10. 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 10.16 10.17 10.18 10.19 10.20 『衣食住の 生活応援型 ディスカウントストア、神奈川県に初出店 6/19(金)『ザ・プライス鶴ヶ峰店』開店』 イトーヨーカ堂、2009年5月28日。
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  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 “ザ・プライス五香店が開店”. 千葉日報(千葉日報社). (2009年3月12日)
  14. “セブン&アイ「ザ・プライス」、5号店開業、500人が列―総合スーパーを転換”. 千葉日報(千葉日報社). (2009年4月1日)
  15. “琴似の安売り店 ザ・プライス 4月にも閉店”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年2月19日)
  16. “ジョイフルプラザ きょうオープン JR琴似駅南口地区”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1993年10月1日)
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  19. [ザ・プライス鶴ヶ峰店のページ http://blog.itoyokado.co.jp/shop/119/](2014年3月25日閲覧)
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  83. 83.0 83.1 83.2 83.3 83.4 83.5 83.6 83.7 “イトーヨーカドー土浦店17日閉店 39年の歴史に幕”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年2月16日)
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  87. 87.0 87.1 長田寿夫 (2013年2月18日). “ヨーカドー土浦店が閉店 39年の歴史に幕 茨城”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
  88. 88.0 88.1 88.2 88.3 “商業スペース開店 土浦駅前再開発ビル、来年2月末まで”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年7月16日)
  89. “土浦市役所移転で市民意見 中心街活性化に期待 平面駐車場求める声も”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2013年1月23日)
  90. “イトーヨーカドー取手店1月末で閉店 茨城県取手市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年1月22日)
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  92. 92.0 92.1 92.2 “イトーヨーカドー高萩店 来年6月末に撤退の意向”. 茨城新聞(茨城新聞社). (2004年12月15日)
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  95. 95.0 95.1 95.2 “マルエツとミドリ電化 イトーヨーカ堂稲毛店あとの出店テナント”. 稲毛新聞(稲毛新聞社). (1998年5月1日)
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  97. 97.0 97.1 “ヤオコー佐倉染井野店オープン、新NSCの核に ペットフードを充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2010年10月20日)}
  98. 98.0 98.1 “オープン情報=イトーヨーカ堂「ザ・プライス野田店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年11月20日)
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  100. 100.0 100.1 100.2 100.3 100.4 100.5 “公募型プロポで利活用計画策定/旧市原ショッピングスクエアビル2.6万㎡”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2012年7月23日)
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  121. 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
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  125. 125.0 125.1 “国史跡へ追加申請 府中市 武蔵国府跡の隣接地”. 読売新聞(読売新聞社). (2010年8月20日)
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  128. 128.0 128.1 128.2 “ヨーカドー「ハトマーク」取り外し 駅前のシンボル消える−−韮崎”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2004年9月4日)
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  130. “ショッピングセンター:韮崎駅前「ルネス」、来月末で閉店”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2009年2月11日)
  131. “韮崎・旧ルネス 市が取得、再利用 委員会が意見集約 図書館核に検討”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2009年8月13日)
  132. “図書館や子育て施設整備 韮崎・市民交流センター、18日着工”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2010年10月15日)
  133. “「ニコリ」来館者100万人突破 韮崎”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2014年3月28日)
  134. 134.0 134.1 “富士急百貨店 ターミナルビル一新「Q-STA」31日オープン ジャンル別に48店入居”. 山梨日日新聞 (山梨日日新聞社). (2006年3月16日)
  135. 135.0 135.1 135.2 “ヨーカドー跡地新潟市購入へ” 新潟日報 (新潟日報社). (2009年6月20日)
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  137. 137.0 137.1 137.2 137.3 137.4 137.5 丸山美沙子・小林達也・ギギ=モセス・仁平尊明・手塚章. “岡谷市における工業の地域的特色”. 地域研究年報 第27号 (筑波大学人文地理学・地誌学研究会). (2005年3月25日).41-74ページ
  138. “イトーヨーカ堂岡谷店が七月八日で閉店! 長野県岡谷市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年5月21日)
  139. 139.0 139.1 “寿がきや、平成5年4月に塩尻店など3店を出店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年4月23日)
  140. 140.0 140.1 安藤孝憲 (2010年2月25日). “塩尻市とアップルランド、営業継続で合意 ヨーカドー閉店問題”. 中日新聞 (中日新聞社)
  141. 石井千絵(2010年4月9日). “商店街ルネサンス<3>夜も明るく 若手の挑戦”. 読売新聞 (読売新聞社)
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  144. 144.0 144.1 “セブン&アイ系、上田版の電子マネー、「アリオ」開業機に発行”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2011年4月8日)
  145. 145.0 145.1 145.2 “イトーヨーカドー上田店閉店へ 新商業施設開店で” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2010年11月21日)
  146. 146.0 146.1 146.2 “イトーヨーカ堂浜松駅前店が撤退”. 中日新聞 (中日新聞社). (2005年11月13日)
  147. 147.0 147.1 147.2 147.3 “旧イトーヨーカドー富士店跡地にスポーツクラブが進出”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2013年6月15日)
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  150. 150.0 150.1 “イトーヨーカ堂・鈴木社長、愛知の足下固める CVSは関西重点に展開など語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年9月27日)
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  152. “平和堂東海、「アル・プラザ小牧」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2007年11月19日)
  153. 153.0 153.1 “イトーヨーカ堂、13日名古屋に「鳴海店」開店 生鮮1番店目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年9月3日)
  154. 154.0 154.1 “平和堂、「なるぱーく店」オープン 名古屋市内2店舗目、テナント出店は初”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年3月25日)
  155. 155.0 155.1 155.2 155.3 “イトーヨーカドー各務原店、きょう閉店 29年の歴史に幕”. 岐阜新聞 (岐阜新聞社). (2011年1月16日)
  156. “バロー、「各務原中央店」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年12月5日)
  157. 157.0 157.1 157.2 157.3 山田英之 (2011年1月12日). “イトーヨーカドー:堺店、来月13日閉店 24年の歴史に幕、セール開催中”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  158. “「ダイヤモンドシティ・プラウ」内覧会開催 13・28日にグランドオープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年10月22日)
  159. “オイシス、「チェザート鳳店」オープン スイーツ店展開の基盤に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年4月4日)
  160. セブン&アイ共通商品券販売中
  161. 商品券・ギフトカードのご案内 - 西武・そごう
  162. 8の日ハッピーデー - イトーヨーカ堂

関連項目[編集]

外部リンク[編集]