ニッタユカ

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「無期限ブロック。なお会話ページは編集できるようにしています」
~ ニッタユカ について、Bellcricket
「以降はメーリングリストでお願いします」
~ ニッタユカ について、海獺
「これ以上の議論や投票が無駄と考え、無期限ブロックとします。」
~ ニッタユカ について、Muttley

ニッタユカとは、2009年から2010年にかけて活動したウィキペディアおよびアンサイクロペディアの利用者。 反出典主義者。 主に野球に関する編集を行った。

個人情報は明かしていないが、書き込んでいた内容から推察すると首都圏に在住する40台女性だったと思われる。

ウィキペディアでの活動[編集]

「守護神」の野球記事化[編集]

参照: https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:守護神/野球部分の削除に関する議論

2009年のゴールデンウィークが始まった4月29日の午後、ウィキペディアの「守護神」のページにIPアドレス「122.22.103.206」の利用者が編集を行う。 もともと「守護神」は曖昧さ回避のページであったが、「122.22.103.206」により野球での「守護神」のみに関する解説が加えられた。 [1]

それから一月が経過した頃、他の利用者により「守護神」のノートで疑義が提出される。 曰く、野球での守護神はあくまでリリーフの一種でしかないので、野球に関する記述は「リリーフ」のページに移し、このページは「122.22.103.206」による加筆前の状態に戻すべきというもの。 [2]

それに対し「122.22.103.206」からアドレスが変わったと思われる「125.103.253.194」がノートに現れ真向から反対する。 曰く、守護神は他のリリーフ投手とは別格だから同列に扱うべきではない。そもそも日本語で守護神と言えば野球の事を指すのだから、この「守護神」のページも野球中心にすべきとの事。 なお、この時「125.103.253.194」は野球選手・松坂大輔の妻と同名の「松坂倫世」を名乗っている。 [3]

「125.103.253.194」による記述は出典を一切提示していないため、野球に関して加えられた記述は「リリーフ」への移動ではなく独自研究として削除すべきという提案が新たになされる。 [4]

実在の人物を騙る事を注意されていた「125.103.253.194」はようやく「ニッタユカ」の名でアカウントを取得する。 この名前は野球漫画「タッチ」の登場人物である新田由加の読みと同じ。 [5]

「ニッタユカ」は削除に対する反論を始めるものの、「独自研究」の意味が理解できずに話が噛み合わなくなる。 [6]

ウィキペディアの方針を全く理解していなかった「ニッタユカ」に対し、他の利用者から方針の確認を促されるものの、 [7] それらに目を通した気配はなく、ウィキペディアでは認められていない「アナウンサーのセリフ」を出典として主張する。 [8]

改めて出典に関する説明を受けても「ニッタユカ」は自説を繰り返す。テレビ以外の出典に関しては

「図書館とか探せば、多分それらしい資料が有るとは思います。ただ、このページを削除から守る為に、そのような労力を費やそうとは思いません。」
(ニッタユカ 「ノート:守護神」の版間の差分 - Wikipedia)[9]

と拒否を貫く。

その後も「ニッタユカ」は問題を理解できずにページの存続に固執し続けて議論にならなくなったため、相手方からコメント依頼が提出される。 [10]

コメント依頼によって議論の参加者が増え、完全に削除の流れが出来上がったところで更に「ニッタユカ」が疑問をぶつける。 [11]

それに対し、まず先に指摘されている問題点(下記)についての「ニッタユカ」の考えを答える様に要請される。 [12]

  1. 曖昧さ回避ページを辞書化することは公式方針で禁止されています。Wikipedia:曖昧さ回避#廃止された方式Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを辞書にしないを参照してください。
  2. しかし、野球用語としても「守護神」は「クローザー」を表す慣用表現の一つに過ぎない事から「守護神 (野球)」などのページは作成すべきではありません。もちろんクローザー (野球)などの表記であれば記事作成可能と思われますが、現状のリリーフリリーフ#抑え部分が肥大化している訳でもないので、Wikipedia:ページの分割と統合#分割すべき場合に照らし合わせても今すぐにそれをやる必要性はありません。
  3. そして野球部分に関する記述は完全に検証可能性に乏しい、出典なき独自研究です。
(オクラ煎餅 「ノート:守護神」の版間の差分 - Wikipedia)[13]

対する「ニッタユカ」の答え:

第1に、守護神(宗教)のページを作る事には賛成です。そして、守護神(野球)というページが有っても、問題無いと思います。クローザー同様、守護神はセーブ機会に登板する投手の慣用表現です。しかし、慣用表現をページのタイトルにしてはいけないという規則は何処にも無いからです(そもそも、セーブ機会に登板する投手に正式名称はありません。)。
第2に、独自研究に関してですが。何度も申し上げますが、この記事は独自研究に該当しません。そもそも、この記事は出典が不要だと思います。仮に出典が必要としても、テレビやラジオで検証可能だと思います。投稿禁止の独自研究の典型例は、メディアに乗っていない自作の小説をWikipediaに投稿することですよね。
第3に、削除の妥当性に関して。何度も申し上げますが、仮にこの記事がWikipedia的でないとしても、削除はやり過ぎだと私は思います。Wikipedia的でないなら、皆で協力してWikipedia的に成るように改善すればいいと思います。
(ニッタユカ 「ノート:守護神」の版間の差分 - Wikipedia)[14]

いくら論点を絞っても「ニッタユカ」にはうまく伝わらず、7月12日、本人にも問題が理解できないままに「守護神」から野球に関する記述が除去された。 [15]

自演発覚[編集]

参照: https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:タッグアップ

「122.22.103.206」が最初に「守護神」の編集をした翌日の4月30日、「リタッチ」という野球に関するページも新しく作成していた。 しかし内容が「タッグアップ」のページからの無断コピーだったため、このページに対する削除依頼が提出された。 [16]

削除依頼の場でも「リタッチ」の必要性を主張していた「122.22.103.206」だが、削除が不可避となった時点で改めて「タッグアップ」のノートにて「リタッチ」への分割を提案する。 [17]

なお、ここでの「122.22.103.206」は「渡辺京子」を名乗っているが、野球に関する別のページでは「佐藤太郎」、「吉田花子」を名乗っていた。 [18] [19]

「122.22.103.206」はこの提案を最後にウィキペディアに現れなくなるが、直後に「ヤマダ」を名乗る「121.102.40.198」が現れ、「122.22.103.206」(渡辺京子)による分割案を支持して消える。 [20]

更に今度はのちの「ニッタユカ」である「125.103.253.194」が「松坂倫世」を名乗って現れ、やはり「122.22.103.206」(渡辺京子)の提案に賛成する。 [21]

既にこの時点で周囲からは自演と見られていたが、その後再び「125.103.253.194」(松坂倫世)が現れ、この時に「通りすがりのIP」を名乗ったために自演行為が確定する。 [22]

他の利用者から追求され、「125.103.253.194」はアドレスが同じである「松坂倫世」と「通りすがりのIP」が同一である事は認めたが、「渡辺京子」、「ヤマダ」に関しては返答を拒んだ。

「松坂倫世と渡辺京子さんとヤマダさんの3人の中に同一人物は何人いるのか、ここで明言は避けたいと思います。ここでは、松坂倫世と通りすがりのIPと通りすがりの松坂倫世は同一人物で、Numさんと私は別人とだけ明言しておきます。私が少し疑問視しているのは、Numさんと渡辺京子さんとヤマダさんともう一人のIPさんの4人の中に同一人物がいるのか、それとも全員別人かということです。ただ、私には関係無い事ですし、プライバシーに関わる事なのでみだりに詮索する事は許されないと私は思います。まー、誰の発言なのか不明になって議論の混乱の原因になるといった意見も理解できますが、これに関して、私は明言したくありません。申し訳無いですが、ご理解頂戴したく存じます。」
(125.103.253.194 「ノート:タッグアップ」の版間の差分 - Wikipedia)[23]

なお、ウィキペディアでは自演行為が固く禁じられており、この時点で「ニッタユカ」はウィキペディアから追放されていてもおかしくなかった。 [24]

コメント依頼[編集]

参照: https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:コメント依頼/ニッタユカ https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:投稿ブロック依頼/ニッタユカ

7月18日、「ノート:守護神」での行為を主な理由としてニッタユカへのコメント依頼が提出された。

ニッタユカは

  • ウィキペディアの基本を軽視ではなく誤認していた
  • 投稿ブロックも止むを得ない
  • ブロックが免除されても活動を制限して基本事項を熟読する

と概ね反省の様子を見せていたが、[25] その二分前に依頼者のノートにて、自身がルールを理解できない責任を、依頼者がニッタユカにリンクを参照させる際に内容を抜粋して伝えない「不親切さ」にも求めていた事[26] などが批判され、ニッタユカも態度を硬化させて逐一反論を行う。 自身を「ヘナチョコで参加資格が無い」と卑下していながらも、理解力の無さを指摘されると、不当であると反発していた。[27]

8月12日、コメント依頼での改善が見られない事でブロック依頼が提出されるも、唯一の参加者が現時点でのブロック依頼に反対し、依頼は三日後に取り下げられた。コメント依頼も8月18日の書き込みを最後に放置された。

出典主義との戦い[編集]

それから暫くの間「ニッタユカ」は編集のペースを落として大過なく過ごしていたが、10月になってウィキペディアのコミュニティに現れ、出典の必要性に対する疑問を投げかける。 [28]

その後「ニッタユカ」はまた暫くの間ウィキペディアから離れていたが、2010年2月に再び戻ると、出典を一切提示しない「ウエストボール」のページを作成する。 [29]

後に内容に疑問を持った利用者から出典を求められると、協力の拒否を宣言する。

「この議論に私は参加したくないです。理由は自分でもよく分かりません。上手く言葉で表現できません。協力できなくて、すいません。」
(ニッタユカ 「ノート:ウエストボール」の版間の差分 - Wikipedia)[30]

また、コミュニティにも現れて出典に関する持論を展開し、出典を求める利用者を批判する様になる。 「ニッタユカ」の主張はかつて「ニッタユカ」のブロックに反対した利用者からも批判を受け、方針を理解できないのなら追放すべしという意見も出てくる。 [31]

この話題を一方的に修了させた三分後には、ウィキペディアの姉妹サイトであるインターネット辞典・ウィクショナリーの存在価値を疑問視する投稿を新たに行う。 [32]

この時期には「触球」のページでも軋轢を起こしていた。 [33]

出典の捏造[編集]

参照: https://ja.wikipedia.org/wiki/ノート:走者

「走者」の記事にて出典に関する事件が起きる。 始まりは昨年の4月、「走者」のページにて「122.22.103.206」(渡辺京子)が「走者の最大の役割は、盗塁することである」という書き込みを行った。 [34]

この主観的にも思える記述に対し、同年10月に出典が要求される。 [35]

ちょうど「ニッタユカ」は10月から暫くの間ウィキペディアから消えていたが、翌年2月に戻って来た際にこの記事も編集し、出典を書き加えた。 [36]

なお、「ニッタユカ」は自身が「122.22.103.206」(渡辺京子)と同一人物であるという事を認めていないので、「走者」の編集は今回が初めてという事になる。

しかしその出典とされる書籍(石井藤吉郎『野球教室』)を別の利用者が確認したところ、指定されていたページにその様な記述は無かったと指摘された。 [37]

版の確認を求められた「ニッタユカ」の答え:

「出典の版に関してはお答えできません。理由は2つ。
その本は借り物で既に手元に無く、提示者である私にも版が分からない。
仮に私の私物で即答できたとしても、答えたくない(何故かは自分でもよく分からない)。」
(ニッタユカ 「ノート:走者」の版間の差分 - Wikipedia)[38]

なお「ニッタユカ」は別の記事にて前年8月にもこの書籍を出典として用いているので、2月の時点まで手元にあったとしたら半年以上借りていた事になる。 [39]

昭和54年に発行された第9版『野球教室』では、「ニッタユカ」が指摘していた220ページには野球の練習方法しか書かれていない。 同書の210ページには盗塁に関する節があるが、そこでも「ニッタユカ」が主張する「走者の最大の役割=盗塁」という記述は確認できない。

本人の勘違いか改訂によって記述が変わったのでなければ「ニッタユカ」は出典を捏造した事になるが、「ニッタユカ」は確認を拒絶し、捏造の疑惑を晴らす機会を自ら放棄した。

削除への抵抗[編集]

「走者」での一件から日を置かず、「ニッタユカ」が作成した二つのページに対して立て続けに削除依頼が提出される。

「責任投手」は独自研究として削除が提案される。これは昨年の「守護神」と同じような状況であり、「ニッタユカ」は同じように反対し、同じように削除された。 [40]

「打球 (野球)」は他の二つのページを独断で統合した事が問題視された。 同意を得てから改めて作り直すべしとして他の利用者全員が削除を支持する中、「ニッタユカ」一人が、これを削除しなければならないというルールは存在しないとして執拗に食い下がる。 [41]

「ニッタユカ」がこの統合を行った際にはあらかじめウィキペディアのルールを調べた上で、後から文句を言われるだろうが削除される事は無いと高を括っていたのではないかと思われる。

投稿ブロック[編集]

参照: https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:投稿ブロック依頼/ニッタユカ_2010年4月

自身の削除問題で揉めている中、「ニッタユカ」はまたしてもコミュニティに対して出典主義に反対する自説を展開する。 [42]

今度は出典を必須とするルール自体を撤廃すべきというもので、反対する利用者はガイドラインを鵜呑みにしているだけだとまで言い放つ。

「皆さんのコメントは、出典の重要性の説明になってない気がします。ガイドラインに書いてあるから鵜呑みにしている様に感じます。」
(ニッタユカ 「Wikipedia:井戸端/subj/出典必須→出典推奨」の版間の差分 - Wikipedia)[43]

これが引き金となり、4月11日に二度目の投稿ブロック依頼が提出される。 今まで我慢を重ねていたであろう利用者達から厳しい意見が並べられる中で「ニッタユカ」が一度きりの弁明を行う。

「記事の品質よりも執筆者の善意を私は優先したいです。執筆者の善意を犠牲にした品質なんて認めたくないし、品質向上を理由に執筆者の善意を傷付ける事を正当化したくないんです。だって、ここはボランティアサイトじゃん。「定期試験赤点→落第」とか「営業成績不振→クビ」みたいな図式を、義務教育やボランティアで再現するつもりでしょうか。」
(ニッタユカ 「Wikipedia:投稿ブロック依頼/ニッタユカ 2010年4月」の版間の差分 - Wikipedia)[44]

これを書いた翌日の4月16日、「ニッタユカ」はウィキペディアから無期限ブロックとなった。

アンサイクロペディアでの活動[編集]

「ニッタユカ」がウィキペディアでブロックされる直前に起こしていた議論で、出典主義が弊害を招くとしてアンサイクロペディア(ウィキペディアのパロディサイト)に書かれたページを引き合いに出していた。 [45] [46]

なお、アンサイクロペディアではウィキペディアの事を争いに明け暮れる偏狭なサイトとして悪し様に書かれている一方、対するアンサイクロペディアはルールに縛られない平和なサイトとして書かれている。 [47] [48]

2010年4月29日、ウィキペディアから追放された「ニッタユカ」はアンサイクロペディアのアカウントを作成する。 [49]

ウィキペディアにて、記事の削除には散々抵抗してきていた「ニッタユカ」がブロックに対して抵抗しなかったのは、既に“自由で平和な“アンサイクロペディアへの移動が念頭にあったからだと思われる。

「ニッタユカ」はアカウント作成直後、自己紹介にて以下の様に述べていた。

「アンサイクロペディアだと真実も嘘も面白い記事もつまらない記事も全て歓迎されるべきと、ニッタユカは考えています。」
(ニッタユカ 利用者:ニッタユカ - アンサイクロペディア)[50]

実際のアンサイクロペディアは、つまらないと判断された記事は容赦なく削除されてしまうという厳しい世界であり、平和だという記述は冗談の一つに過ぎない。

野球記事の作成と削除[編集]

参照: http://ja.uncyclopedia.info/wiki/トーク:打球_(野球) http://ja.uncyclopedia.info/wiki/トーク:責任投手

新天地に移った「ニッタユカ」は早速「打球 (野球)」という記事を作成する。 これはウィキペディアで「ニッタユカ」が作成し、削除された同名記事を改変したものだが、ウィキペディアからの転載自体に問題があった上、内容が面白くないという事で削除が提案されてしまう。 その後、「ニッタユカ」は「打球」の文字を「脱臼」に置き換える駄洒落で起死回生を狙ったものの全く支持を得られず、結局この記事は削除されてしまう。

「打球 (野球)」に続いて「責任投手」という記事も作成していたが、これもウィキペディアで削除された同名記事の改変であり、転載として問題視される。 これに対し「ニッタユカ」は、ウィキペディアで削除された記事ももともと自分が作成したものだから問題は無いと主張を始める。

なおこのやり取りの際、本人である事を証明するためにウィキペディアの「ニッタユカ」個人のページにアンサイクロペディア宛のメッセージを書き込んだ。 [51]

ウィキペディアでは通常、ブロックされた利用者でも後に反省して復帰を願い出る時に備えて個人のページのみブロックから除外されているが、この書き込みは制度の悪用とみなされ、「ニッタユカ」はウィキペディアから完全にブロックされてしまった。 [52]

それでも問題は解決しなかったが、幸い他の利用者によって内容が改善されたため、「責任投手」の削除は部分的なもので済んだ。

自分の書いた記事がことごとく否定される状況に不安を感じたのか、アンサイクロペディアのコミュニティにて「ニッタユカ」が、削除される様なつまらない記事ばかり書く利用者がブロックされる事があるのかという質問を行う。 帰って来た答えは、あまりにつまらない記事を乱発したり、周囲に迷惑ばかり掛ける様な利用者はウィキペディアと同様にブロックされるというものだった。 [53]

ユアペディアへの誘導[編集]

アンサイクロペディアをウィキペディアの代用品と捉えている節のある「ニッタユカ」に対し、他の利用者は冷ややかな反応も見せていた。

「ニッタユカ」自身も“気軽にボランティアで投稿できる場所“が他に無いか尋ねていたため、 [54] 複数の利用者からユアペディアを勧められていた。 [55] [56]

謝罪要求[編集]

参照: http://ja.uncyclopedia.info/wiki/トーク:走点

「ニッタユカ」は「走点」という記事も作成していたが、これもまたつらないとして削除に諮られる。 その際、内容について他の利用者から「イラッとくる」という意見が出されたが、これを暴言だとして「ニッタユカ」が噛み付いた。 [57]

これはあくまで記事への感想であり、「ニッタユカ」が身勝手な主張を繰り返して周囲をいらつかせている事の指摘ではなかったのだが、「ニッタユカ」は相手に対して執拗に謝罪を求めると共に、これを問題視しない他の利用者へも批判の矛先を向ける。 [58] [59]

この辺りから「ニッタユカ」に対する周囲の態度が厳しくなって行く。

ちなみに「ニッタユカ」はウィキペディア時代、言葉遣いが失礼だと注意されても「失礼ではない」として改める事を拒否していた。 [60]

迷走[編集]

参照: http://ja.uncyclopedia.info/wiki/トーク:自殺ブロック依頼 http://ja.uncyclopedia.info/wiki/トーク:ロックオン

次に「ニッタユカ」は「自殺ブロック依頼」という記事を作成する。 記事の内容は、ウィキペディアかアンサイクロペディアにて依頼者本人に対する投稿ブロックが提出した場面を想定してのやりとり。

ここまで野球に関する記事ばかりを作って(そして消されて)きた「ニッタユカ」にとって、野球と無関係な記事を作るのは初めてだった。 3ヵ月前の「打球 (野球)」の頃は他サイトへ移る気を見せていた「ニッタユカ」だったが、「走点」でのやりとりで却って意固地になったと見え、本来の目的である野球を捨ててでもアンサイクロペディアにしがみ付く事態となった。

肝心の記事は「ニッタユカ」にとっては自画自賛できる内容だった様だが、結局はまた面白くないとして削除されてしまう。 [61]

次に「ニッタユカ」が作った「ロックオン」の記事は、ウィキペディアで自身を批判した利用者達への意趣返しともとれる内容だった。 こちらの記事は改善を求められて一旦、削除が見合わされたが、修正した結果、却って不評を招いて削除されてしまった。

この後には再び野球に関する記事として「ハーフスイング」を作るが、それも削除されてしまう。 アンサイクロペディアで「ニッタユカ」が作った野球関連の記事はこれが最後になった。 [62]

対立[編集]

参照: http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Uncyclopedia:投稿ブロック依頼/ニッタユカ氏 http://ja.uncyclopedia.info/wiki/トーク:オリペディア http://ja.uncyclopedia.info/wiki/利用者・トーク:ニッタユカ#.E8.B3.AA.E5.95.8F.E3.81.A7.E3.81.99

「ロックオン」の記事に関して議論していた頃、「ニッタユカ」に対するブロック依頼が提出されていた。 「ニッタユカ」に関する問題意識は皆が共有しているものの現在進行形で問題を起こしている訳では無かったので 今回は見送り、次に問題を起したらブロックという事になった。

なおこの事は本人にも通知されていたが、「ニッタユカ」が意見を述べる事は一度もなかった。 [63]

もう後がない状況で、「ニッタユカ」は「オリペディア」という架空のインターネット百科事典を考案し、それを記事にする。 これもまた、ウィキペディアで自身が作った記事が削除され、ブロックされた事に対する意趣返しだった様だが、ユーモアすら含まない妄想だとして削除されてしまった。

「オリペディア」でのやりとりで「ニッタユカ」が被害妄想をこじらせている事を感じたのか、「ニッタユカ」に対しウィキペディアでブロックされた理由をどう考えているのか質問が寄せられた。 [64]

ニッタユカの返答は、記事の向上に務めている利用者を見下しているとも取れる内容だった。 [65]

それを受けて追加された質問への返答は

  • ウィキペディアの出典主義はジミー・ウェールズの暴挙
  • 「風が吹けば桶屋が儲かる」[66](アンサイクロペディアで秀逸とされている記事の一つ)はつまらないのに削除されない
  • ブロックは管理者の満足の為

という逆恨みにしか見えないものだった。 [67]

上のやりとりの間に作った「コミュニティ」もまたウィキペディアを罵る様な内容だったが、その矛先は寧ろ、自身のユーモアを理解しないアンサイクロペディア利用者達に向けられている様に見えた。 この記事は他の利用者によって改善されたために削除はされず、現在でもアンサイクロペディアで「ニッタユカ」による初版が確認できる数少ない記事となっている。 [68]

この「コミュニティ」を見た利用者から「ニッタユカ」に対し、楽しくないなら少し休むように提案される。 [69] [70]

「ニッタユカ」はこれにも反発し、楽しいから続けると宣言する。 [71]

逆恨みで記事を作るなという苦言に対しても、身に覚えがないと言い切っていた。 [72]

投稿ブロック[編集]

次いで、またもウィキペディアの中傷を目的とした「黙認」、「投稿」の記事を連続して作る。 この二つも他の利用者により削除を免れたため、「ニッタユカ」による版が確認できる。 [73] [74]

「黙認」、「投稿」を確認した利用者から「ニッタユカ」に対し、アンサイクロペディアの方針を示した上で、ウィキペディアに対する中傷は止める様に注意される。 [75]

これに対し「ニッタユカ」は、自分は中傷などしていないと突っ撥ねた上でアンサイクロペディアに対する批判を展開した。 [76]

これが引き金となり、その日のうちに「ニッタユカ」の投稿ブロック依頼が提出される。 [77]

今まで関わってきた利用者全員から無期限ブロックを投じられた「ニッタユカ」は、自身のブロックは冤罪だとした上で不満をぶちまける。

「ボランティアサイトの冤罪ブロックなんて微々たる問題にしかならないし、関心も薄いです。また、誰も責任を負いません。罰金や懲役や退学とは違い、ブロックになったところで私は何も失いません。前科や離婚歴が付く訳でもないです。所詮はママゴト裁判で、気の緩みが許されますから、どうぞリラックスしてブロックボタンをクリックして下さい。ただ、他の冤罪ブロック被害者を不快にさせないように配慮して欲しいです。
これでも私は皆で八百科事典を創ろうとする意志が人一倍強いと自負しています。私独力で理想の八百科事典は創れないし、共同作業だから成せるプロジェクトだと思っています。しかし、勘違いした共同作業なんかに協力する気は無いし、コミュニティは貴殿方パワーユーザ党だけではありません。説得力絶無の方針に基づきNRVタグ貼って削除する事は破壊行為であり、この作業が八百科事典の成長を目的とした手段で且つ必要不可欠だとは絶対に認めません。」
(ニッタユカ 利用者・トーク:ニッタユカ - アンサイクロペディア)[78]

この書き込みを最後に2010年11月27日、「ニッタユカ」はアンサイクロペディアから追放された。 ウィキペディアでの追放からおよそ7ヵ月目の出来事だった。 アンサイクロペディアを利用してウィキペディア叩きに熱を上げていた「ニッタユカ」だったが、その最期はウィキペディア時代よりも悲惨なものだった。

その後の「ニッタユカ」の行方は知れない。

外部リンク[編集]