一物一価の法則

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一物一価の法則(いちぶついっかのほうそく、英語:law of one price)とは、経済学における概念で、「自由な市場経済において同一の市場の同一時点における同一の商品は同一の価格である」が成り立つという法則。

概要[編集]

同一の市場においては、同じ商品に二つの価格がつくことはない。もし、同じ品質の商品に二つの価格がつくことが知られているならば、買手が安いほうを買おうとするか、売手が高い値段に合わせるかして、二つの価格は収斂するからである(裁定取引)。

つまり、別の市場として別の価格がついている場合、一物一価を成立させて市場を接続する効果を有する裁定取引の余地があることになる。

逆説的であるが、同一の価格が成立しているところを同一の市場と呼んでも差し支えない。

反例[編集]

一物一価に対しては様々な、「反例」が上げられる。

  • 日本では全国でガソリン価格が同一ではない。
  • あちらの自販機とこちらの自販機で同じ商品の値段が違う。
  • 自動車は顧客によって値引きの幅が違う。

などである。

しかし、一物一価の法則はこれらの「反例」では崩れない。むしろ経済学的な観点 から問題となるのは、法則を成立させるはずの前提条件の何が欠けているのかという点である。

以下に「反例」の説明をする。

  • 日本では全国でガソリン価格が同一ではない。

確かに、日本ではガソリン価格が高いところと、安いところがある。しかし、この反例は、「日本でガソリン小売市場が統一されていない」ということを説明しているに過ぎない。

例えば、A県B市でガソリンが100円で、X県Y市ではガソリンが150円であったとしよう。この場合、消費者がX県Y市でガソリンを買うのをやめてA県B市で買うようになれば、値段は収斂するだろう。しかし、実際はガソリンという商品の性格上、ガソリンと時間を浪費して他県にガソリンを買いに行くコストは割に合わないためそういう行動は起きない。かくして、別々の市場となる二つの町でガソリン価格は収斂しないであろう。しかし、「A県B市におけるガソリン小売市場」というように括れば、多少の誤差を捨象して一物一価が成り立つと期待される。

また、販売側からの視点で見れば、A県B市において販売するよりも、X県Y市で販売したほうが利幅が取れる。そのため、可能であればX県Y市において販売するようになり両市の価格差は縮小するだろう。しかし、現実には販売側の組織構造の問題から、これは実現しにくい。それは、法則における「自由な・・・」という文言にかかる問題である。

  • あちらの自動販売機とこちらの自動販売機で同じ商品の値段が違う。

これもありふれた事例である。この事例も消費者行動にかかっている。消費者が節約志向を高め、同じ商品を高い値段で買いたくなくなれば、こうしたことはなくなるだろう。しかし、消費者があちらの自販機では値段が安いことを知らないか、あるいはそちらまで歩くことを面倒に思うならば、二つ自販機は別々の市場となるのである。同じ自販機に同じ商品がならんで違う値段がついている事例は作業ミス以外では有り得ないだろう。また、節約志向の状況においても、調整までの過程で存在する可能性はある。

  • 自動車は顧客によって値引きの幅が違う。

このことを、「一物百価」とか「個価」と呼ぶこともある。この反例においては、それぞれの自動車が別々の商品となっている、ということが理由になる。自動車は高額商品であり、相対販売がほとんどである。また、個別に契約しオプションも幅広い。このような高額商品を買う例としてビル建築が挙げられる。ビルはたとえ似たような構造でも、それぞれが別個の商品である。そのため価格も異なる。おなじように、バラエティにとんだ自動車市場ではすでに同じ商品が存在しない。そのため、一物一価の法則の対象外である。

もし、T型フォードのみの店でオプションも何も無く、アフターケアの類も無いとすれば一物一価が成り立つだろう。また、高額でなくオプションも無いおもちゃのミニカーは消費者によって値段が変えられることはない[1]

歴史[編集]

近代に至るまで、世界規模で価格の平準化がなされることは無かった。産業革命以後、特に交通革命がおきてからは世界規模の市場が成立可能となり、各国の商品市場は融合。自由貿易のなかで各国の商品価格は次第に収斂した。

脚注[編集]

  1. ここまでの反例を認めた場合、そもそも「同一の市場」というものが存在するかという点が議論になるとの見解もある。

関連項目[編集]