失われた20年

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失われた20年(うしなわれた20ねん)とは、ある国、あるいは地域の経済低迷が約20年以上の長期にわたる期間を指す語である。主に日本経済安定成長期終焉後である1993年(平成5年)4月から約20年以上にわたり低迷した期間を指す。

概要[編集]

日本バブル景気1993年(平成5年)4月頃から後退し始め[1]バブル経済も崩壊[注釈 1]。それによって消費や雇用に悪影響を及ぼし、デフレーションになった。これにより安定成長期も終焉となった。

2000年代前半中頃から後半中頃に長期的に景気回復が続いた(いざなみ景気)ことから、かつては、1990年代から2000年代初頭までの経済低迷期間を指して「失われた10年」など[注釈 2]と呼ばれていたが[注釈 3]サブプライムローン問題をきっかけに世界金融危機へ発展し、世界同時不況へと陥った。このようにバブル崩壊以後、経済の低迷が改善に向かわなかったため[注釈 4]、いざなみ景気の期間を含め、失われた10年と2000年代以降の経済を併せて「失われた20年」と呼ばれるようになった[2]。なお、世界同時不況へと陥る前後の2006-2010年ごろには、「失われた15年」という表現も登場していた[3][4][5]

語源[編集]

「失われた10年」という言葉は、諸説あるものの『ゼミナール日本経済入門(1999年度版)』(日本経済新聞出版社)などから使われ始めたといわれている。「失われた20年」という言葉は、よく使われているものの、いつ頃から誰が使い始めたかよく分かっておらず、造語なのか外来語なのかも不明である。

経緯[編集]

デフレーションと失われた20年[編集]

バブル景気の後期から実体経済と資産価格のずれから経済に軋みが生じ始めていた。1989年4月1日から消費税が導入され、さらに日本銀行による急速な金融引き締め方針や総量規制を端緒とした信用収縮などから経済活動は次第に収縮に転じ、日経平均株価は1989年の最高値38,915円87銭をピークに下落、翌1990年には23,848円71銭にまで急落し、1990-1991年頃にバブルの崩壊を招いた。

1990年代[編集]

日本経済は1990年代初頭にバブル崩壊を経験して以来、デフレーションに片足をいれた状態のまま、低いながらも名目経済成長は続いていた。村山内閣で内定していた消費税の税率3%から5%への増税を橋本内閣1997年4月に断行。消費税にはビルト・イン・スタビライザーの機能は備わっておらず、増税による景気悪化が懸念されていた[注釈 5]。1997年当時米国財務副長官であったローレンス・サマーズは、第2次橋本内閣が予定どおり3%から5%への消費税を断行すれば日本経済は再び不況にみまわれるだろうと日本政府に対して繰り返し警告していた[6]

翌年の1998年度には名目GDPは前年度比約マイナス2%の502兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込み[7]失業率は4.1%に達し、これ以降日本は本格的なデフレーションへ突入し、「失われた10年」を経験することになる。1999年度には、1997年度と比べ所得税収と法人税収の合計額が6兆5千億もの税収減にとなり[8]、失業者数は300万人を超えた。さらに1997年には日本銀行法が改正され、内閣が日本銀行総裁の解任権を失うことになった。

日本の名目GDP等動向 1994-1999[9]
年度 名目GDP
(10億円)
名目経済成長率
(%)
失業者数
(千人)
労働力人口
(千人)
失業率
(%)
1994 486526.3 1.19 1920 66450 2.88
1995 493271.7 1.38 2100 66660 3.15
1996 502608.9 1.89 2250 67110 3.35
1997 512248.9 1.91 2300 67870 3.38
1998 502972.8 -1.81 2790 67930 4.10
1999 495226.9 -1.54 3170 67790 4.67

参考:名目GDPは2006年の価格で評価

2000年までの「失われた10年」においては、歴代内閣において以下のようないわゆるケインズ政策が取られた。

  • 1993年4月 - 新総合経済対策(13.2兆円)
  • 1993年9月 - 緊急経済対策(6.2兆円)
  • 1994年2月 - 総合経済対策(15.3兆円)
  • 1995年4月 - 緊急・円高経済対策(7兆円)
  • 1995年9月 - 経済対策(14.23兆円)
  • 1998年4月 - 総合経済対策(16兆円)
  • 1998年11月 - 緊急経済対策(24兆円)
  • 1999年11月 - 経済新生対策(18兆円)

本来であれば政府が景気対策に全力を挙げるべき時期であったが、当時は55年体制の崩壊、自民党分裂と非自民連立政権の誕生、その後の自社さ連立政権と政権の枠組みが次々と代わり、有効な景気対策が打てないまま時が過ぎて行った。それでも、カンフル剤注入政策効果で1993年頃を底として景気が緩やかに回復し(カンフル景気)、好転の兆しも見せていた。

この時代の経済思想は、宮澤喜一に代表される。宮沢は、1991年11月から1993年8月まで総理大臣として総合経済対策、新総合経済対策を推進したほか、1998年小渕内閣の大蔵大臣に返り咲き、「平成の高橋是清」と呼ばれた。宮沢ほかの経済思想は、財政出動を中心とする典型的なケインズ政策であったが、「失われた10年」と呼ばれたように、長い長期不況から脱出できなかった。

この原因については、さまざまな原因が上げられている。財政再建を急ぐ政府は、税収を確保する手段として消費税に活路を見出し、阪神淡路大震災の復興の為の財源を確保するため、国民の反発を押しきって踏み切った橋本政権の消費税増税は消費の急激な落ち込みを招き、同時期に発生したアジア通貨危機不良債権問題を処理するためのバランスシート調整に伴う金融機関の相次ぐ破綻などが重なり、経済情勢が悪化した。1995年には、兵庫銀行が破綻、これは戦後初の銀行倒産だった。その後、1998年12月までに北海道拓殖銀行日本長期信用銀行日本債券信用銀行、証券会社では三洋証券山一證券が経営破たんした。

小泉構造改革[編集]

その後のインターネット・バブルとその崩壊による景気の変動ののち、2001年4月、小泉旋風に乗って小泉純一郎が内閣総理大臣に就任すると、民間から経済学者の竹中平蔵を経済財政政策担当大臣に指名し、以後2006年9月まで、いわゆる小泉=竹中改革(聖域なき構造改革)を推進した。この間、日本銀行は2001年3月19日から2006年3月9日まで第一次量的緩和を推進した。また大規模な為替介入も行っている。 テイラー・溝口介入 も参照 この影響もあり、円ドル為替レートは弱含みに推移し(1ドル110円から120円)、輸出が増大し、リーマン・ショック直前まで緩やかな景気回復が続いた。これはいざなみ景気と呼ばれる。

小泉政権下で銀行の不良債権処理を進めて完了し、大企業は業績が改善した。処理成長率は2%前後で維持し続け、日経平均株価も上昇した。しかし、日経平均株価は20,000円を超えることはなく、2007年7月9日の18,261円98銭が最高であった。これは、1990年代の平均よりも低い値である。GDPデフレーターに関しても、1990年に100%を切りデフレへと陥って以降、そこから回復できなかった[10]

景気回復期間は、2002年2月からリーマン・ショック直前の2008年2月まで73ヶ月に及び、「戦後最長の景気回復」とも呼ばれたが、実質GDP成長率は、年1パーセントを超えることができず、また労働者の賃金が上昇しなかったため、「実感なき景気回復」とも呼ばれた。

リーマンショックと東日本大震災[編集]

2008年には、サブプライムローン問題をきっかけとする世界同時不況により、景気が急激に悪化。皮肉にも小泉改革の負の側面が一気に噴出し[誰?]、GDPがマイナス成長となった。2008年9月以降、円ドルレートは1ドル100円を切る円高に推移し、リーマンショックによる世界経済の冷え込みもあり、2009年以降3年間の民主党政権の間、景気低迷が続いた。このため、1990年代の10年間に2000年代の10年は、「失われた20年」と呼ばれる。また、リーマン・ショックやギリシャ危機により、ドルやユーロの価値が急落したため、円の価値が相対的に上がった。しかし、政府や日銀の対応の遅れから円高傾向を食い止めることができずに80円台半ばにまで上昇し、加えて原油の高騰などによって輸出の減少や企業の海外流出が進んだ。日本やアメリカ合衆国の経済はマイナス成長に陥り、中間層の没落(貧困層への転落)が急速に進んだ。

2010年には世帯所得が昭和62年並に低下した[11]帝国データバンクによると、2000年に比べ2010年の日本全体の企業の売上高は3.9%減少しており、減少額は13兆8482億円となっている[12]

2011年には、東日本大震災福島第一原子力発電所事故米国債ショックなどが起こり、経済に少なからず影響を与え、一時的に急激な株安、円高になった。

統計[編集]

1993年から2009年までの18年間の実質経済成長率は平均0.7%、名目経済成長率は平均0.1%、GDPデフレーターは平均-0.7%となっている[13]。1990年以降、OECD加盟国のほとんどは2%以上の実質経済成長率、4%程度の名目経済成長率を達成している(2010年時点)[14]

池田信夫は「2009年の日本の実質経済成長率は、1991年の水準を100とすると120程度である。アメリカの160、ヨーロッパの140と比べても低く、日本のGDPは20年で実現可能な水準と比べて20%以上低下した」と指摘している[15]

政治学者ジェラルド・カーティスは、こういった国内総生産の数字は誤解を招きやすく、国民1人当たりで見ると、失われた20年の成長もさほど悪くもなく、西欧諸国の平均と同じくらいと指摘している[16]

1998年末時点で日本の不動産の価値は2797兆円に及び、住宅・宅地の価値は1714兆円と不動産全体の約六割を占めていた[17]。バブル崩壊後の「失われた20年」で株と不動産の損失は1500兆円とされる[18]内閣府国民経済計算によると日本の土地資産は、バブル末期の1990年末の約2456兆円をピークに、2006年末には約1228兆円となりおよそ16年間で約1228兆円の資産価値が失われたと推定されている[19]

就職状況[編集]

有効求人倍率[注釈 6]も1991年頃をピークに急落に転じ、求人数よりも求職者数が上回るようになり、大卒生の就職率も7割前後にまで下落。就職氷河期と呼ばれるようになった。

1990年後半から2000年代前半にかけて状況はさらに悪化し、1999年には有効求人倍率が0.48(パートを含まなければ0.39)になり、大卒生の就職率も6割前後にまで下がった。また、2.5%前後だった失業率も5%前後にまで上昇し、自殺者数も1998年から3万人を超えるようになった[20]

2000年代中ごろ(いざなみ景気時)から、就職状況が好転し、有効求人倍率も1.06(パートを含まなければ0.94)にまで回復、大卒生の就職率も7割前後にまで回復、失業率も4%前後にまで回復したが、回復したのは都市が中心であり、地方では就職難が続いた。アルバイトや派遣労働者といった非正規雇用率も増え続け、2005年では女性は全世代平均が51.7%と5割を超えた状態を維持、男性は15から24歳で44.2%と高い状態のまま、25から34歳も13.2%と2000年の5.6%と比べて2.5倍近く増えた。

非正規雇用#日本での経緯 も参照

2000年代終盤(世界金融危機後)には、再び就職状況が悪化、失業率は5%前後に上昇、2009年には有効求人倍率も0.47になり、大卒生の就職率も6割前後にまで落ち、再び就職氷河期となった。

リベラル派による景気回復策[編集]

通貨発行権の行使[編集]

こうした日本の深刻なデフレ不況への対応策は、リベラルで実績があり世界的に影響力のあるアメリカニュー・ケインジアンの経済学者を中心として既に1990年代後半から議論が始まっており、ノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマン(当時MIT教授)は日本が流動性の罠に陥っている可能性[21]を指摘しつつも、日本経済を回復軌道にのせるための手段として、極めて初歩的ではあるが、お金を大量に刷ること(Print lots of money)で民間需要[22]増加に努めるべきと論じた。一般的には流動性の罠に陥った状況では通常の金融政策は効力がないとされるが、実際には短期国債と長期国債は完全に代替的とは言えず、中央銀行が新規に通貨を発行し、長期国債の購入を長期間継続することを宣言して市場に流動性を供給し続けることで間接的に有効需要の下支えができる[23]日本銀行が多額の日本国債を買い取ることに起因するインフレーションについては「人々の消費がその経済の生産能力(供給力)を超える状態のときに限り、紙幣増刷由来のインフレが発生する」と述べる。というのも流動性の罠に陥っている状況では、IS-LM分析でLM曲線がY-r平面でフラットになっているためにマネタリーベースの増加が実質金利上昇を喚起しないからである[24]。しかしながらそのような中央銀行のインフレ期待政策は長期にわたって継続させねばならない。

よりラディカルな政策はノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツコロンビア大学教授)によって提唱された。通貨発行権は中央銀行だけでなく政府それ自身も有しており、ゆえに日本経済を好転させるために日本政府が財政赤字を紙幣増刷によってファイナンスするように提言していた[25]。新規に発行されたコイン・紙幣を人々が持てば、それらの人々のいくらかが財やサービスの消費にお金を使おうとし、また銀行など金融機関が民間企業向けの貸し出しを増やし景気を刺激するからである。これはいわば政府が発行する紙幣、すなわち政府紙幣[26]のことである。これは無利子国債を中央銀行が買い取ることと実質等しい。流動性の罠のもとで金利がゼロバウンドで張り付いている状況では、紙幣と国債とは実質同じものであるために、この状況下で新規に国債を発行することは新規に紙幣を発行するのと同じである。またインフレは一度火がつくと暴走してその抑制に多大なコストがかかるという説は経済学的には理論面・実証面で根拠が乏しく、またそれに関連して中央銀行の独立性が必要だというの主張も神話であるとしている[27]

経済学者の井上智洋は「貨幣成長率の低下による恒常的な需要不足こそが『失われた20年』の主因である」と指摘している[28]

雇用の流動化に対しての批判[編集]

スティグリッツは著書で、雇用の流動化に対しての批判を述べている。「柔軟な労働市場が経済を強化すると言う説は、過去三十年間、経済学の通念の一つだった。此処で私は、労働者保護こそ経済の不均衡を是正すると主張したい。労働者を保護すれば、質の高い労働力が供給され、会社への忠誠度が向上し、自分自身と自分の仕事により大きな投資をする様になる。更に社会の絆も深まり、職場環境も良化する筈だ。世界大恐慌の間にアメリカの労働市場が上手く機能しなかったと言う事実と、過去三十年に渡りアメリカの労働者が困窮してきた事実を考えると、柔軟な労働市場の効能などももはや神話ではないだろうか」[29]。他にも同書で法人税の引き下げにも懸念を示している。

その後の展望と議論[編集]

20世紀以降の先進国で、20年もの長いあいだ、名目値で年率1%以下の低成長が続いたことは、世界的に見ても珍しいといわれる。しばしば1960年代からのイギリス病が引き合いに出される要出典が、イギリスの場合、GDP成長率は1960年代に3.2%、1970年代に2.4%であった。

高度経済成長期や安定成長期の頃のような経済成長率・景気拡大が起こらない場合、「失われた30年」になってしまう可能性もあるという声もあり[30][2][31]、既にそうなってしまったと述べている人たちもいる[32]。特に、日本経済団体連合会シンクタンク「21世紀政策研究所」は2012年4月、“「失われた20年」の状況がこのまま続いた場合、日本は2030年頃に、先進国でなくなる”とする予測結果をまとめた[33]

なお、2000年代末にはリーマンショックの影響からアメリカ合衆国や西欧諸国など他の先進国も、日本の後を追うように先が見えない景気後退に突入しており(日本化)、先進各国の不況は単なる景気循環では説明できず、成長の限界による構造的な経済停滞に突入したためであるという議論もある。ピーター・ティールは、20世紀における成長の原動力であったイノベーションが終わりを迎えたため、今後はアメリカ合衆国の大きな成長は望めないと論じる[34]

また、2011年の欧州金融不安により株価が暴落し、主力株の多くは30年前の株価に陥ってしまった。株関連では、この状況を「失われた30年」と呼ぶ者もいる[誰?]

アベノミクスは、このような推移を背景として、長期にわたる経済停滞を打破しようとして生まれた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. バブル経済とは、資産の価値が実体以上に高騰する経済現象。それにともなう好景気がバブル景気(1986年-1991年)であり、厳密には「バブル景気」は「バブル経済」の一側面・一形態であるといえる。
  2. 平成不況や複合不況とも呼ばれる。
  3. この間に周期上では景気回復とされる時期(カンフル景気(1993年-1997年)、IT景気(1999年-2000年))は存在するが、一時的な景気回復であり、完全に景気は改善されなかった。
  4. いざなみ景気(2002年-2008年)の期間は、景気回復していたが、成長率の低さと、実感が伴わない景気回復で、完全に景気は改善されなかったため、いざなみ景気の期間も不景気として扱う人もいて、このように表現されることがある。
  5. 景気自動安定化の例として、法人税の場合は景気悪化で企業収益が悪化すれば自動的に税率が下がるために収める税額は減り、企業の負担は減る。
  6. これはアルバイト、パートタイマーや派遣労働者といった非正規雇用を含むことに注意すべきである。

出典[編集]

  1. 岩田規久男 『日本経済を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2005年、75頁。
  2. 2.0 2.1 池田信夫エコノMIX異論正論 「「失われた30年」に向かう日本」(ニューズウィーク日本版 2010年12月23日
  3. (第28回)「失われた15年」で拡大した所得格差 | 野口悠紀雄の「震災復興とグローバル経済〜〜日本の選択」(野口悠紀雄の「経済危機後の大転換〜〜ニッポンの選択」) | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
  4. 政権交代の失われた15年 | 池田信夫 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
  5. 失われた15年からの覚醒、日米の持ち味は違う - ニュース - nikkei BPnet
  6. Slow-growth economics: some lessons from Japan Jeffrey Frankel, The Guardian, 13 Sep 2013
  7. 田村秀男『財務省「オオカミ少年」論』
  8. 田村秀男 (2010-06-15) 田村秀男 【経済が告げる】編集委員・田村秀男 カンノミクスの勘違い (1/3ページ) 日本語 産経新聞 産経新聞社 arch. 2010-06-16 2012-04-09
  9. National accounst of OECD countries detailed table volume 2a 1993-2004, OECD (2006)
  10. 日本のGDPデフレーターの推移
  11. 平成23年国民生活基礎調査。 (2012-07-05) 22年世帯所得は昭和62年並みに低下、平均538万円 産経 [ arch. ]
  12. 田中秀臣 『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉』 主婦の友社、2013年、84頁。
  13. 岩田規久男 『「不安」を「希望」に変える経済学』 PHP研究所、2010年、12頁。
  14. 飯田泰之 『世界一シンプルな経済入門 経済は損得で理解しろ! 日頃の疑問からデフレまで』 エンターブレイン、2010年、182-183頁。
  15. 池田信夫 『希望を捨てる勇気-停滞と成長の経済学』 ダイヤモンド社、2009年、89頁。
  16. ジェラルド・カーティス George Nishiyama (2014-12-5) ジェラルド・カーティス George Nishiyama 【特別企画】日本は5年後も日本のまま=ジェラルド・カーティス氏 ウォール・ストリート・ジャーナル [ arch. ] 2014-12-6
  17. 三和総合研究所編 『30語でわかる日本経済』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2000年、206頁。
  18. 経済・マネー 黒田日銀、“実弾”100兆円投入へ! 給料アップ、株価「年内2万円も」ZAKZAK 2013年3月19日
  19. 神樹兵輔 『面白いほどよくわかる 最新経済のしくみ-マクロ経済からミクロ経済まで素朴な疑問を一発解消(学校で教えない教科書)』 日本文芸社、2008年、236頁。
  20. 自殺者数の年度推移
  21. Paul Krugman"JAPAN'S TRAP" The Official Paul Krugman Web Page
  22. Paul Krugman"What's wrong with Japan?" The Official Paul Krugman Web Page
  23. Nobody understands the liquidity trap (wonkish) The New York Times, The Conscience of a liberal, Paul Krugman 2010年7月14日
  24. IS-LMentary The conscience of a liberal 2011年10月9日
  25. Lessons from Japan's economic malaise Joseph Stiglitz, Project Syndicate 2003年3月12日
  26. 関税・外国為替等審議会 外国為替等分科会最近の国際金融の動向に関する専門部会(第4回)議事録
  27. スティグリッツ教授の経済教室、Joseph E. Stiglitz, 藪下史郎、藤井清美 2007年(ダイヤモンド社)
  28. オピニオン 政治経済 国の借金は減っている アベノミクスに増税は必要ない教育×WASEDA ONLINE 2014年12月22日
  29. 『世界の99%を貧困にする経済』 119頁。
  30. 「「失われた30年」を避けるには」塩沢由典「「失われた30年」を避けるには」
  31. 「失われた30年」となる可能性も次の10年を考えて投資しよう MONEYzine「土居雅紹のeワラントコラム」
  32. いまこそ「失われた30年」をもたらした「中曽根政治」の総括が必要だ 広島瀬戸内新聞社主・佐藤周一、JANJANブログ
  33. 日本、先進国から脱落?…経団連の研究機関予測 読売新聞2012年4月16日
  34. ピーター・ティールの「未来の終わり」論

関連項目[編集]

外部リンク[編集]