張乃文

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張 乃文(ちょう ないぶん、拼音:zhang1 nai3wen2、- 1996年1月10日

経歴[編集]

国民党参謀本部付大尉[1]

1946年7月9日に、GHQからの要請を受けて、花岡事件戦犯裁判の検事として、南京中華民国国防省から東京のSCAP法務局に派遣され、中国課[2]に勤務[3]

花岡事件の戦犯調査にあたり、中国人証人の聴取や事実関係の調査を行った[4]

1948年のアメリカ軍横浜裁判では検事を務めた[5]

判決後も日本に留まって東京で暮らし、日本に帰化[6]

1996年1月10日に死去した[7]

付録[編集]

関連文献[編集]

  • 張乃文(著)石飛仁(構成)「花岡裁判46年目の真実」『潮』No.390、潮出版社、1991年9月、pp.142-151、NDLJP:3368002/73 (閉)

脚注[編集]

  1. 石飛(2010)p.377
  2. 中国課は、丸の内明治生命ビルにあった(石飛,2010,p.377)。
  3. シンプソン(1998)pp.260,270、NHK(1994)p.184。
  4. シンプソン(1998)p.270
  5. シンプソン(1998)p.260。NHK(1994,p.184)は、張乃文は判事を務めた、としている
  6. 石飛(1998)p.298、シンプソン(1998)p.270
  7. 石飛(2010)p.377

参考文献[編集]

  • 石飛(2010) 石飛仁『花岡事件「鹿島交渉」の軌跡』彩流社、2010年、9784779115042
  • 石飛(1998) 石飛仁「解説 日本語版発刊によせて」シンプソン(1998)pp.296-301
  • シンプソン(1998) ウィリアム・B・シンプソン(著)古賀林幸(訳)『特殊諜報員』現代書館、1998年、4768467369
  • NHK(1994) NHK取材班『幻の外務省報告書−中国人強制連行の記録』日本放送出版協会、1994年、4140801670