東京都立足立新田高等学校

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東京都立足立新田高等学校(とうきょうとりつ あだちしんでんこうとうがっこう)は、東京都足立区新田二丁目に所在する都立高等学校

一人の校長が、最底辺高校から健全高校に再生させた奇跡の学校である。

概要[編集]

1979年に東京セロファン紙株式会社(現・三井化学東セロ株式会社)工場跡地に開校。学校名は「江南」となる予定であったが、地域住民の要望により「足立新田」が採用された。

以前は入試で定員割れが相次ぎ、また他校との対立抗争等で風紀が著しく荒廃し一時は中退率が5割を超えるなど学校全体としては惨憺たる状況であり、1997年に開始された都立高再編計画では他学区の底辺校同様に廃校を検討されていた。この状況を改善するために、1997年11月に校長に就任した鈴木高弘を中心として、大掛かりな改革を実施することとなった。その具体的な内容は以下の通りである。

  • 分割後期募集の実施、一般入試においての面接導入などの入試改革。
  • 3つの学系の設置(2年次以降に希望の学系を選択させる)。「スポーツ健康系」「福祉教養系」「情報ビジネス系」のいずれか1つに属し、選択した学系の科目群の中から興味のある科目や将来のために必要な科目を選択。また、現在では大学進学希望者に対しての支援も行われ、各学年につき1学級「進学特別クラス」を設置、受験対策の講習や勉強合宿を実施。
  • 制服選択制の導入。

結果的に入試倍率は急上昇、中退率が大幅に減少した事で学校全体が落ち着きを取り戻した。それに伴い部活動も活性化し、都立高校では唯一の相撲部や、2年連続3度目となるインターハイ出場を決めた陸上競技部などが好成績を収めている。また野球部は2006年選手権大会東東京大会でベスト4、2007年・2008年はベスト8、2009年ベスト16、2010年ベスト8の実力を持っている。

鈴木高弘氏の述懐[編集]

平成9年の11月に中途で着任しますが、前任者はあまりの困難さに体調を崩して休職になったためでした。

入学する生徒について申しますが、最底辺の学校ですから、課題を抱える生徒が少なくないのです。当時は、中学3年生が一番荒れて指導が難しいのですが、足立区内でこんな話しがありました。

3年生のワルに担任が「おまえにも高等学校に入るチャンスがある、大丈夫だよ、都立高校に入れる」と言うわけですよね。「じゃあどこに入れるんだよ」と聞いたときに、担任から出た学校は「足立新田」です。その途端、生徒がおとなしくなってしまったと言うのです。「あそこだけは行きたくない」とワルが思うほどひどかったのです。

最底辺ですから、とにかくオール1の子たちでも集団で入ってくるような学校、まさしく偏差値輪切りの指導のもとで、最底辺に位置した子供たちが投げ込まれてくるのです。

総数720人。学年定数が40人×6クラス=240人ですから、一学年240人の生徒たちが輪切りされて入ってくる。体力、気力、知力、更には経済的な事情もままならないという生徒たちです。

当然ながら、放任されて育ち、我がまま放題に行動する。校舎内をバイクで走った、校舎や施設を壊した、教師に暴力を働く、盗難や喫煙行為などは日常的に起こります。そんな実態がありました。

足立新田高校には課題のある子が多数入って来ますから、退学率はどんどん増加してほぼ半分が中途退学していました。定時制に流れるケースもあるのですが、多くはそのまま高校中退生になります。

半数が退学し、しかも卒業生の半分が進路未決定ですから、足立新田に入った240名の入学生のうちの75%、4分の3がフリーターになって社会に投げ出されるのです。進路決定どころではない、フリーターの大量放出校なのでした。

沿革[編集]

交通[編集]

著名な卒業生[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]