江戸英雄

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江戸 英雄(えど ひでお 1903年 - 1997年)は、日本実業家茨城県筑波郡作岡村(現つくば市)に生まれる。

来歴・人物[編集]

下妻中学正則英語学校を経て、旧制水戸高等学校を卒業し、東京帝国大学法学部に入学。卒業と同時に三井財閥の本部機構である三井合名会社に入社。以降、三井総元方三井本社では文書課長であり、子会社三井化学の文書課長で、後の日本社会党委員長の成田知巳と面識があると自著で語っている。

1947年三井不動産に入社。1955年、代表取締役社長に就任。1974年三井不動産代表取締役会長、三井ホーム取締役会長、三井不動産建設取締役会長。三井銀行小山五郎らと共に戦後解体された三井グループの再結集にも尽力し、70年に渡り三井に奉職。戦前戦後の日本の経済史と共に歩んだ。

財界の実力者だが、世話好きの評価が高い。どんな人間にも分け隔てなく接し、独自のコネクションを形成したとされる。ユダヤ資本が絡んだ三井不動産乗っ取り(俗に謂う三信不動産事件)の時に三浦義一の紹介で銀座の与太者の頭だった高橋輝男と会い、以後、交際を持つ。後にインタビューでは「挨拶の時だけ、それ流の挨拶をしたが以降は普通の男だった」としている(「銀座遊侠伝」梶山季之徳間文庫)。

妻はピアニストの江戸弘子、長女の江戸京子小澤征爾の元妻。江戸はこの時代の小澤に金銭的な援助を行っていたと言われる。

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