登坂淳一

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登坂 淳一

登坂 淳一(とさか じゅんいち、1971年6月10日 - )は、NHKアナウンサー

人物・エピソード[編集]

登坂 淳一

保善高等学校を経て法政大学経済学部卒業後、1997年入局。

東京アナウンス室在籍中、2005年4月から2010年3月まで、正午・午後1時・午後6時の定時全国ニュースを担当、その他、緊急時特設ニュースや報道特番なども担当し、報道アナウンサーとしての経験を積んだ。

2006年12月(35歳時)に、それまで使用していた白髪染めを中止。理由は美容師から髪の傷みを指摘されたことと、「自然体でいこう」と決めたためとい。以降、短期間で急に白髪が増えたように見えたことが、視聴者に驚きをもって受け止められ、インターネット上で話題になったり、週刊誌に取り上げられたりした。

本人は白髪について、和歌山局在籍中の1998年7月(27歳時)に起こった和歌山毒物カレー事件の取材を担当し、非常に多忙でストレスも感じていたところ、自分でも驚くほど増えていったと述べている。

2010年度には札幌放送局へ異動。同時期に札幌から東京への異動が決まった森田美由紀アナウンサーに替わるビッグネームを、との要請があっての抜擢だったという。

インターネットの匿名掲示板などで広まった愛称は「麿(まろ)」。公家風な外見や、落ち着いたソフトな声の印象から付けられたと推測され、正午のニュースを担当し始めた2005年頃には既にその愛称が用いられていたと見られる。NHK広報局は2011年3月16日、震災応援で登坂が全国ニュースに出演したことを受けて、Twitter公式アカウントで「まろ…」とツイートした。

札幌放送局にて[編集]

  • 2010年度、札幌放送局では「NHK北海道が変わります」をキャッチフレーズに、「新NHK。」のコピーを冠し、笑顔の登坂が大写しになったポスターが制作され、札幌市営地下鉄大通駅構内に多数掲示されるなどのプロモーションが行われ、N局のホームページは、ポスターと同じ笑顔が大きく現れるほか、登坂のさまざまな表情が次々と移り変わる特別仕様となり、一アナウンサーを前面に押し出すというNHKらしからぬ演出や、それまでニュースリーダーとしてほとんど見せることのなかった登坂のやわらかい表情の意外性が話題を呼んだ。また、NHK札幌放送局の外壁には、3つの表情を並べた大きな垂幕も掲げられた。
  • 2010年3月29日にスタートした新番組「ネットワークニュース北海道」のメインキャスターに就任し、北海道のローカルニュースを伝えると共に、北海道各地へ取材に出かけ体当たりレポートをこなしたり、レポーターが出題するクイズに挑戦したりと、それまで見られなかった姿を披露している。
  • 札幌放送局では2010年度より、ローカル制作番組で様々な新しい試みを始め、その一つとして「アナブロ」という、札幌局アナウンサーの素顔に迫る番組も制作された。登坂は視聴者の質問に答えたり、北海道ならではのスポーツやレジャーに挑戦しており、2010年度制作分には27回放送中9回出演と、他のアナウンサーと比較して最多出演回数となっている。
  • 2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、NHKのニュース放送に特別体制が敷かれた。登坂は応援要員として駆り出され、2011年3月16日午前11時、東京のスタジオからニュースを伝え始めた。それから4月2日までの期間、ローテーションに組み込まれ、主に11時台、14時台、17時台で42回にわたって全国ニュースを担当した。ネット上で歓迎の声が上がったことを受けて、ネット媒体では記事が書かれた。

現在の出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

和歌山局時代
東京アナウンス室時代

関連項目[編集]

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外部リンク[編集]

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