神道悪玉論

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神道悪玉論(しんとうあくだまろん)とは明治政府により作られた「国教」たる国家神道が第2次世界大戦敗戦以前の憲兵特高といった国家権力による厳しい宗教・言論弾圧、更には、特に太平洋戦争での日帝の侵略、悲惨な戦禍を招いたのだとする主としてハト派リベラル系の一連の言説の総称である。「神道悪玉説」とも呼ばれる。

厳格な意味での教義や理論を持たない「土着信仰」(学術面で言われる『古神道』とは異なる)としての日本神道と明治維新以降急速に形成され国内のみならず外地へも布教を目指したいわば「人工宗教」の国家神道を峻別すべきか否かではその解釈に争いがあり前者の解釈では神道側からも明治維新以降の神社境内地の無主地(国有地)名目での接収、小規模な祠堂の取り潰し、外地で土着の神々を否定する形で天照大神明治天皇といった日本固有の祭神しか認めなかった帝国主義的姿勢を、国家に従わざるを得なかったとはいえ神道内部の過ちとして自己批判すべきという意見が存在する。

一例として、天理教が明治14年(1881年)以降官憲からの厳しい取り締まりを受けるようになった背景として従来特に米ソ冷戦下日本国内でも激しいイデオロギー対立があった1960~70年代には「プロイセン・ドイツを模範とした近代天皇制に反抗したため迫害を受けた」という分析が主に革新系の研究者側から積極的になされていたが後にこれは誤りで当時の天理教が保持していた「ビシャッと医者止めて、神さん一条や」という教義が明治7年(1874年)に教部省から出された俗信追放、近代化を目指した「禁厭祈祷ヲ以テ医薬ヲ妨クル者取締ノ件」の布達に違反したための取り締まりであったという事実が判明している[1]

また国家神道に対抗する「第3極」を目指した新宗教諸派が皆リベラル系、人間主義であって国家主義や全体主義に命を賭して反対したという歴史観全般にも解釈上多くの誤りがあり、同様に天理教側から見た「異流儀」の一つだったほんみちの教義の中に「超国家主義」的な要素がありGHQから取締りを受けている[2]

脚注[編集]

  1. 島田裕巳『日本の10大新宗教』39頁、幻冬社新書。
  2. 『実録日本占領』学研歴史群像79、学習研究社。