筑波研究学園都市

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筑波研究学園都市(つくばけんきゅうがくえんとし Tsukuba Science City)は、約300に及ぶ研究機関・企業と約1万3千人の研究者(博士号取得者は約5千600人)を擁する世界有数の学術・研究都市であり、田園都市である。1960年代以降に開発された。地理的な範囲は行政的に茨城県つくば市と同じと定義され、「研究学園地区(約2,700ha)」と「周辺開発地区」で構成される。

沿革[編集]

1950年代東京は急激な人口増加によって過密状態となっていた。このため政府は、1956年首都圏整備委員会(以下、委員会)を設置し首都機能の一部を移転することに関する検討を始めた。委員会は、都内のすべての大学を移転し70万人都市を建設する試案や、都内のすべての官庁を移転し18万人都市を建設する試案などを立案していった。

1961年9月、「都内の市街地になくても、機能上さしつかえない官庁(付属機関や国立学校を含む)の集団移転について、すみやかに検討する」とした閣議決定がなされ具体的な検討が始まった。委員会は、1963年に移転の候補地として富士山麓赤城山麓那須高原筑波山麓の実地調査をし、同年9月に筑波山麓(注:現在のつくば市と牛久市)に4,000haの研究学園都市を建設することが閣議了解された。筑波山麓の利点として、東京から距離が離れすぎていないこと、霞ヶ浦から十分な水が採取できること(水質汚濁1960年代以降)、地盤が安定した平坦地であることなどが挙げられる。翌月、委員会は基本計画としてNVT(Nouvelle Ville de Tsukuba:筑波ニュータウン)案を提案するが、激しい地元住民の反対にあった。その後計画面積を2,700haに縮小し、南北に細長くした案を提案、試行錯誤しながら建設の計画を進めた。

一方、1967年9月、6省庁36機関(その後43機関に増加)を移転することを閣議了解、1968年10月に旧科学技術庁防災科学技術センターが着工した。しかし多くの機関が工事に着工しなかったため、1970年5月に筑波研究学園都市建設法が施行され、その後着実に都市建設と機関の移転が進み1980年に機関の移転が終了した。

その後も都市機能などの整備が行われ、1985年には筑波の国内外における知名度の向上と民間企業の誘致のために国際科学技術博覧会を開催した。現在、約300に及ぶ研究機関・企業と約1万3千人の研究者を擁するに至る。

なお、計画面積の縮小に伴い最も影響を受けたことの一つが、共同利用施設の計画縮小である。そのため、省庁の枠を超えた研究機関同士の交流や、産官学の連携は不十分なものになったが、近年連携の強化が模索されている。

地区[編集]

研究学園地区[編集]

研究教育施設地区、住宅地区(主に新住民用)、都心地区の合わせて約2,700haからなる。田畑・人家をできるだけ避け赤松林などを造成して建設したため南北に細長くなっている。主幹線道路である東大通り荒川沖駅付近から筑波山の方角に南北に伸びる道路)や、それと並行する西大通り牛久学園線があり、それらを東西につなぐ平塚線、北大通り中央通り土浦学園線南大通り土浦野田線と呼ばれる幹線道路がある。また、赤塚公園からつくばセンターを経て筑波大学筑波キャンパスに南北につながる自転車歩行者専用道路「つくば公園通り」約5kmがある。

研究教育施設地区は、大学や公的研究機関からなる。これらは省庁別ではなく分野ごとに分散し、北部に文教系、北西部に建設系、南部に理工系、南西部に農林・生物系の機関を配置している。

住宅地区は、初期に計画的に建設された公務員住宅公団住宅公営住宅と、民間分譲地がある。特に前者は、ショッピングセンターや学校などと一体にしたものを分散して配置している。

都心地区(センター地区)は、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線つくば駅周辺にある。総延長約42kmのペデストリアンデッキが整備されるなど歩車分離を目指し、都市景観100選を受賞している。市役所以外の公的機関、西武百貨店ジャスコ、Q'tなどの商業施設、つくば国際会議場ノバホール、つくばカピオなどの公共施設が集積している。しかし広く分散する都市設計のため車社会となっており、大型商業施設に関しては安価で広い敷地が取れる研究学園地区外のほうが利点は大きい。また、地中には総延長約7.4kmの共同溝が埋め込まれ、上水道管、地域冷暖房配管、廃棄物運搬用真空集塵管、電力線、電話線、ケーブルテレビ(ACCS)線などが収容され、これらの工事の際に道路を掘り返す必要がないように配慮してある。

周辺開発地区[編集]

民間や公益の研究工場施設地区や当初の計画にはなかった新設の住宅・商業地区が存在する。研究工場施設地区も8箇所に分散し多くの民間企業の研究施設やハイテク部品の工場がある。公的研究機関と地理的に近いため、基礎研究を行う研究施設が多いのが特徴である。地価が安いことや将来的な拡充も考えて、研究施設や工場は広めの土地を取得して設置されており、分布は疎になっている。基本的に洪積台地上にあるが、台地と台地の間の沖積平野(主に水田として利用)にも、幹線道路沿いに住宅地や店舗が生まれている。

都市ゲート[編集]

風水に基づくといわれ、研究学園都市の入口には6本の柱からなる四神に見立てた配色の門が6箇所存在する。北には玄武門(国道408号 - 東大通り)、東には青龍門(県道24号 - 土浦学園線)、西には白虎門(県道123号 - エキスポ大通り)、南には朱雀門(国道408号 - 牛久学園通り)を設置し、その他、田園都市(県道55号 - 東大通り)と研究(県道244号 - 西大通り)を表すゲートをそれぞれ設置している。

学園[編集]

研究学園地区は「学園」と呼ばれることがある。これは、研究施設だけでなく東京に立地する多くの大学も移転する予定であったことや、周辺開発地区に相当するものは当初計画に存在しなかったことなどに由来する。ただし「学園」の範囲は、都心地区及びその周辺であると認識している者から、研究施設等が立地している地域全てであると認識している者までおり、必ずしもその範囲は明確なものではない。

暮らし[編集]

旧住民と新住民[編集]

筑波研究学園都市の建設に伴って研究者やその家族が移り住んできたが、移転初期の頃は未舗装の道路も多く、商業施設もまばらであるなど、移住前との生活環境の変化に惑う人たちも多く、また、地元の人たちからは「新住民」と呼ばれ、互いに疎遠であった。その後、公務員住宅が集中的に建設された地域などで、地元の農作物を扱う朝市や各種催し物も開催されるようになった。1981年から開催されている「まつりつくば」は、今ではつくば市最大の祭りとなっている。

外国人研究者[編集]

平成14年度に筑波研究学園都市にある試験研究機関等で、2週間以上滞在した外国人研究者(筑波研究学園都市研究機関等連絡協議会「平成14年度筑波研究学園都市の外国人研究者等調査結果」から引用)

研究者数:3781人   

  • 研究 1749人
  • 研修 691人
  • 教育 185人
  • 留学 1155人
  • 不明 1人

出身国数:131ヶ国

田園都市[編集]

高度に整備されたセンター地区や大学・研究機関など知的な環境と、筑波山を含む昔からある豊かな自然や田園が調和・共生する。これは日本国内では他にあまり見られない地域形態となっている。海外経験のある研究者など一部の層では、計画的な街並みや広大な施設などの環境に違和感を覚えていない人もいるようであるが、一般に他の都市から来た研究者などはこの環境に少なからず戸惑うことが多く、特に学生は人工的な娯楽が都心に比べ少ないことに不満を抱く人もいる。そのため、単身赴任や電車通勤する人も少なくない。しかし、つくばエクスプレス開通前後のセンター地区での分譲マンション建設ラッシュ時の購入者層などに見られるように、公務員住宅や民間賃貸住宅に住む人がマンションや一軒家などを購入して市内に永住することも多いなど、住環境は相当良好といえる。

科学技術関係機関[編集]

大学など[編集]

国立大学法人
学校法人
独立行政法人

国など[編集]

内閣府
文部科学省
厚生労働省
  • (独)医薬基盤研究所 霊長類医科学研究センター、薬用植物資源研究センター筑波研究部
農林水産省
経済産業省
総務省
国土交通省
環境省
外務省

公益法人[編集]

社団法人
財団法人

民間[編集]

化学
製薬
建設
情報技術
食品
その他

過去に立地していた研究機関[編集]

つくばWAN[編集]

つくばWANは、研究機関のスーパーコンピュータ等を10Gbpsの超高速ネットワークで結び、コンピュータの相互利用による計算機資源の遠隔利用や超高速ネットワークに関する共同研究を行うほか、大規模データベースの構築による知的資源の一体化などを目的としている。また、筑波大学を経由して学術情報ネットワーク(スーパーSINET)、情報通信研究機構つくばリサーチセンターを経由して研究開発テストベッドネットワーク(JGNII)、農林水産技術会議事務局筑波事務所を経由して農林水産省研究ネットワーク(MAFFIN)と接続している。

今後の発展[編集]

様々な理想を掲げ建設された本都市において、建設から30年以上が経過した現在、多くの課題が残った。これらに対処すると共に新たな理想を掲げて今後の方向性を明確にするため、1998年4月に本都市の総合的な計画書である「研究学園地区建設計画」と「周辺開発地区整備計画」が全面改訂された。要点は以下の通りである。

科学技術中枢拠点都市
多くの研究機関が集積する本都市において、その集積効果が十分に発揮されているとはいえない状況である。そのため、「つくばWAN」に代表されるような公的研究機関同士や産官学の連携、「つくば研究支援センター」などが推進している最先端の研究成果を社会に還元するためのベンチャー企業の創設・支援、「つくばサイエンスツアー」のような科学技術に対する理解を深める取り組みなどを行っている。また、国際的な研究拠点として、外国人宿舎の整備やインターナショナルスクールの誘致による外国人研究者の受け入れ強化、つくば国際会議場などのような国際コンペション開催能力の強化も進めている。
広域自立都市圏中核都市
2005年に開通したつくばエクスプレスにより、東京都心との交通アクセスが向上した事に関連し、都心地区(センター地区)周辺の道路や駐車場などの再整備を進めている。また、圏央道の整備により成田空港までの所要時間が約30分に短縮され、国際交流拠点としての利便性向上が図れる。
エコ・ライフ・モデル都市
本都市の建設にあたって、豊かな自然環境の中に科学技術と生活が調和した田園都市を理想に掲げた。今後この理念をさらに推進し、循環型社会の形成や緑豊かな住環境を育むと共に、国際色に豊み、かつ地域の伝統文化を生かした都市づくりを進めている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]