貞登

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貞登(さだののぼる、生没年不詳)は、平安時代前期の賜姓皇族仁明天皇の皇子で、母は更衣三国氏(三国町)。文徳天皇光孝天皇らの異母兄弟。

生年は830年代後半と推定されている。母は仁明天皇の寵愛を受け「三国町」と呼ばれた女官だったが、仁明天皇の寵臣だった藤原有貞と密通した罪により承和12年(845年)に更衣の身分を剥奪されて後宮から追放された。

彼自身も承和年間の初めに朝臣の氏姓を賜って臣籍に降下していたが(源氏時代の名は不明)、母のこの過失によって属籍を削られ、出家して深寂と称した。それから20年余経過した貞観8年(866年)に還俗し清和天皇から朝臣の氏姓と登の名を賜り、正六位上に叙位され、平安京の右京一条一坊に貫せられた。同9年1月、従五位下に昇進。同19年1月に従五位上に昇り、のちに正五位下まで昇進したが、この間に大和権守・備中守・越中介・紀伊権守などを務めた。

没年は不明だが、正五位下に叙された寛平6年(894年)には存命していたことは判明している。

勅撰和歌集では『古今和歌集』に1首の歌が残る。

  • ひとりのみ ながめふるやの つまなれば 人をしのぶの 草ぞおひける(古今和歌集0769)