「韓流」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(概要)
17行目: 17行目:
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
{{言葉を濁さない}}
+
[[Image:韓国人 7.jpg|thumb||400px|韓国人 3]]
 +
[[Image:韓国人 8.jpg|thumb||400px|韓国人 4]]
 +
 
 
日本では、[[1970年代]]後半の韓国演歌ブームや、[[1988年]]の[[ソウルオリンピック]]開催の年、[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ]]共同開催の年に韓国に注目が集まっていたが、それらの時にはまだ韓流という言葉は存在していなかった。
 
日本では、[[1970年代]]後半の韓国演歌ブームや、[[1988年]]の[[ソウルオリンピック]]開催の年、[[2002年]]の[[2002 FIFAワールドカップ]]共同開催の年に韓国に注目が集まっていたが、それらの時にはまだ韓流という言葉は存在していなかった。
  
26行目: 28行目:
 
2004年からの日本における韓流は、他のブームと同じように韓流がブームとなったことで、各種メディアが更に積極的に取り上げてブームを加熱させた。やがて[[広告]]や[[コマーシャルメッセージ|CM]]にも韓国人俳優が起用されるようになり、メディアが韓流に乗り、同時にメディアが国民を韓流に乗せたことを示している。韓流という言葉や現象が認知され始めた頃、一方では韓国人俳優に反発する人も見られるようになる。
 
2004年からの日本における韓流は、他のブームと同じように韓流がブームとなったことで、各種メディアが更に積極的に取り上げてブームを加熱させた。やがて[[広告]]や[[コマーシャルメッセージ|CM]]にも韓国人俳優が起用されるようになり、メディアが韓流に乗り、同時にメディアが国民を韓流に乗せたことを示している。韓流という言葉や現象が認知され始めた頃、一方では韓国人俳優に反発する人も見られるようになる。
  
ブームについて韓国では「日本の自立的な動き」とする分析があり、文化評論家のキム・ジリョン博士は、日本では[[冬のソナタ]]以降、'''韓流'''がビジネスとして確立していると主張している。このビジネスに新規参入した日本の[[エンターテインメント]]会社が「四天王」という言葉を作り、人為的に韓国の男性俳優ブームを作り上げようとしていると解釈している(実際は[[韓流四天王]]という言葉を考えたのは日本の雑誌である)<ref>[http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/02/20050602000039.html 「日本の韓流ブームまだまだ続く」]、朝鮮日報、韓国の新聞「ヘラルド経済」2005年6月2日、2008年9月3日閲覧。 </ref>。 
+
ブームについて韓国では「日本の自立的な動き」とする分析があり、文化評論家のキム・ジリョン博士は、日本では[[冬のソナタ]]以降、'''韓流'''がビジネスとして確立していると主張している。このビジネスに新規参入した日本の[[エンターテインメント]]会社が「四天王」という言葉を作り、人為的に韓国の男性俳優ブームを作り上げようとしていると解釈している(実際は[[韓流四天王]]という言葉を考えたのは日本の雑誌である)。
  
2005年後半頃からは民放地上波では専用枠として放送されていた[[韓流アワー]]、[[ドラマチック韓流]]が打ち切られ、深夜帯の放送となった。映画では、ブームとしての韓流は終わったと報じられるようになった<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/165197/ 韓流“終焉”!?韓国映画界、上映作の9割が赤字]2008年7月29日産経新聞</ref><ref name=toshiba>[http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=7927 東芝エンタテインメント、07〜08年ラインナップを発表]2007年2月1日文化通信.com</ref>。2006年の「韓国映画やドラマを見る機会」についての世論調査によると、前年(2005年)より「見る機会が増えた」が12ポイント減の20パーセント、「見る機会が減った」が6ポイント増の9パーセント、「以前も過去一年間もほとんど見てない」が61パーセントという結果となっており、韓流ブームの衰えを示している。<ref>[http://s03.megalodon.jp/2008-1019-0610-53/www.nrc.co.jp/report/pdf/070517.pdf 日韓関係について国際比較世論調査(PDF)] 日本リサーチセンター2007</ref>
+
2005年後半頃からは民放地上波では専用枠として放送されていた[[韓流アワー]]、[[ドラマチック韓流]]が打ち切られ、深夜帯の放送となった。映画では、ブームとしての韓流は終わったと報じられるようになった。2006年の「韓国映画やドラマを見る機会」についての世論調査によると、前年(2005年)より「見る機会が増えた」が12ポイント減の20パーセント、「見る機会が減った」が6ポイント増の9パーセント、「以前も過去一年間もほとんど見てない」が61パーセントという結果となっており、韓流ブームの衰えを示している。
  
しかし、相変わらず中高年女性を中心に熱狂的な支持も存在し<ref>[http://www.asahi.com/culture/news_entertainment/TKY200703170148.html 韓流スターの「ファンミーティング」、中高年女性殺到]</ref><ref>[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99273&servcode=700&sectcode=700 ペ・ヨンジュン、日本人中高年女性に絶大の人気]</ref>、現在でもNHKなどでドラマは放映されている。また時代劇、とりわけ多数の女性俳優をメインキャストに据えた『チャングム』の人気で、これまで女性メインだった視聴者層が男性(特に50代)にも広がってきており、ファンタジー時代劇『太王四神記』は平均視聴率が6.6%(一話除く)と夜11時台としては善戦している<ref>http://www.chosunonline.com/article/20080827000064</ref>。
+
しかし、相変わらず中高年女性を中心に熱狂的な支持も存在し、現在でもNHKなどでドラマは放映されている。また時代劇、とりわけ多数の女性俳優をメインキャストに据えた『チャングム』の人気で、これまで女性メインだった視聴者層が男性(特に50代)にも広がってきており、ファンタジー時代劇『太王四神記』は平均視聴率が6.6%(一話除く)と夜11時台としては善戦している。
  
 
== ドラマ ==
 
== ドラマ ==

2010年8月21日 (土) 20:02時点における版

韓流
各種表記
ハングル한류
漢字韓流
平仮名
(日本語読み仮名)
片仮名
(現地語読み仮名)
ハルリュ
ラテン文字転写
ローマ字転写Hallyu
テンプレートを表示

韓流ハンりゅうまたはかんりゅうKorean wave )とは2000年頃から2005年頃にかけて起きた韓国大衆文化流行を指す言葉である。類義語として親韓がある。

韓国人 1
韓国人 2

1997年アジア通貨危機頃から始まった文化輸出国を目指す韓国の国策を背景に、2000年前後から韓国ドラマが東アジアの国々で放送されようになり、韓国の俳優や、韓国文化全般に対する人気が高まってブームが形成された。この現象が台湾で「韓流熱風」と言い表され、その後中国や日本でも使われるようになった。この言葉は韓国に逆輸入された。本文では特に断りが無い限り日本における韓流について述べる。

韓国では、韓流に対応する日本の大衆文化の流行を指す言葉として日流(イルリュ、일류)がある(華語文化圏では哈日という)。また日本で中華文化圏の大衆文化の流行を指す言葉は華流[1]と呼ばれる。

概要

韓国人 3
韓国人 4

日本では、1970年代後半の韓国演歌ブームや、1988年ソウルオリンピック開催の年、2002年2002 FIFAワールドカップ共同開催の年に韓国に注目が集まっていたが、それらの時にはまだ韓流という言葉は存在していなかった。

日本における韓流は、2003年4月〜9月、NHKBS2の海外ドラマ枠で『冬のソナタ』(通称「冬ソナ」)が放送されたことが発端である。2003年末頃から始まったとされる。同ドラマの主演ペ・ヨンジュンの愛称から「ヨン様ブーム」としても知られる。特に初期においては純愛ドラマが多かったこともあり、中高年の女性がブームの牽引役となった。それ以前の韓国ブームとの違いは、ヨン様ブームに特徴付けられるように、韓国で放送されたドラマが日本でもそのまま放送され、韓国人俳優に注目が集まるようになったことである。既に台湾や香港で広まっていた「韓流」という言葉が日本でも用いられるようになった。

2004年に入ると、テレビラジオ映画音楽新聞雑誌出版などの各メディアが競うように韓国の文化芸能情報を取り上げ、「韓流」という言葉の普及を推し進めた。また、当時の内閣総理大臣である小泉純一郎が、盧武鉉韓国大統領との会談の際に『冬のソナタ』に言及するなど、韓流が政治的な意味を持った。この年、民間調査機関の発表する各種のヒット商品番付では、「韓流」が上位にランクインした。

2004年からの日本における韓流は、他のブームと同じように韓流がブームとなったことで、各種メディアが更に積極的に取り上げてブームを加熱させた。やがて広告CMにも韓国人俳優が起用されるようになり、メディアが韓流に乗り、同時にメディアが国民を韓流に乗せたことを示している。韓流という言葉や現象が認知され始めた頃、一方では韓国人俳優に反発する人も見られるようになる。

ブームについて韓国では「日本の自立的な動き」とする分析があり、文化評論家のキム・ジリョン博士は、日本では冬のソナタ以降、韓流がビジネスとして確立していると主張している。このビジネスに新規参入した日本のエンターテインメント会社が「四天王」という言葉を作り、人為的に韓国の男性俳優ブームを作り上げようとしていると解釈している(実際は韓流四天王という言葉を考えたのは日本の雑誌である)。

2005年後半頃からは民放地上波では専用枠として放送されていた韓流アワードラマチック韓流が打ち切られ、深夜帯の放送となった。映画では、ブームとしての韓流は終わったと報じられるようになった。2006年の「韓国映画やドラマを見る機会」についての世論調査によると、前年(2005年)より「見る機会が増えた」が12ポイント減の20パーセント、「見る機会が減った」が6ポイント増の9パーセント、「以前も過去一年間もほとんど見てない」が61パーセントという結果となっており、韓流ブームの衰えを示している。

しかし、相変わらず中高年女性を中心に熱狂的な支持も存在し、現在でもNHKなどでドラマは放映されている。また時代劇、とりわけ多数の女性俳優をメインキャストに据えた『チャングム』の人気で、これまで女性メインだった視聴者層が男性(特に50代)にも広がってきており、ファンタジー時代劇『太王四神記』は平均視聴率が6.6%(一話除く)と夜11時台としては善戦している。

ドラマ

韓流の発端となり、韓流による変化が最も大きいのがテレビドラマである。

2002年

チャン・ドンゴン主演の『イヴのすべて』が連続ドラマとしてはじめて地上波キー局のテレビ朝日系で放送された。話題性を欠いていたためか、これは低調のうちに放送終了した。

それまでの韓国ドラマは日本語吹き替えでなく、字幕での放送であった事が、その後の冬のソナタなどと異なる。BS日テレ独立U局、またインターネットなどにおいて韓国ドラマの放映がはじまると、徐々に一部で人気のあるドラマも出てくるようになった。

2003年

ペ・ヨンジュンチェ・ジウ主演のKBS制作ドラマ『冬のソナタ』が、4月からNHK-BS2で放送開始される。衛星放送ながらも人気を集め、翌年の本格的なブームにつながる。

2004年

2004年4月から『冬のソナタ』がNHK総合で再放送された。これが週間視聴率のドラマ部門でベスト10にランクインし、「冬ソナ」や「ヨン様」が流行語となるなど社会現象になった。その後同枠で韓国ドラマが放送されているが、現在でも平均視聴率はこれまでの韓国ドラマ中トップである。また冬のソナタ関連の書籍が、2004年のベストセラー入り(13位)したり、ドラマのサウンドトラックや出演俳優のCDがランキング上位になる等、マルチメディア的に波及した。

冬のソナタのヒットを機に、民法の地上波キー局でも日本テレビではドラマチック韓流(関東ローカル)、フジテレビでは韓流アワーなどの韓国ドラマの放送枠が設けられるようになった。

韓流ブームによって、パク・ヨンハイ・ジョンヒョン等の韓国人俳優・歌手の来日が増えるようになり、ワイドショーやバラエティー番組などで取り上げられるようになる。

2005年以降

2005年初頭には地上波で64あった韓国ドラマが2006年には36に減った[2]。それ以後は韓国ドラマの放送は地方ローカル枠、BS/CS放送を中心に続けられている。前述の専用枠は打ち切られたが、民放地上波では深夜や再放送枠などで放送されている。NHK総合で放映されているドラマも『冬のソナタ』の視聴率には及ばないものの、同時間帯の他局の視聴率と比べても遜色のない視聴率である。新聞・雑誌等のマスコミにおいてはブーム時に比べると韓国芸能に関する報道は減っているが、専門誌や女性誌などで報道が続けられている。

2003年の『冬のソナタ』以降、NHK-BS2の木曜23時は韓国ドラマ枠、韓国ドラマシリーズとして続いてきたが、2007年春に一旦中国ドラマが編成された。このことは映画などの不振とあわせて一部ウェブサイト上で韓流ブームが終わったと報じられたが[3]、その後同時間帯は再び韓国ドラマに戻り、更に時間帯を木曜23時から日曜21時に移動して放送されている。

特徴

  • 日本で『冬のソナタ』がヒットした要因として、近来の日本ドラマのようにカット割りが多くなく、話数が多くストーリー展開が遅めであることが挙げられる。その結果、主として懐かしさを覚えた中高年の女性を中心にしたヒット作となった。この点において、アジア各国における韓流と日本での展開の異なりが見られる。
  • インターネットにおいては、数多くの韓国ドラマがストリーミングなどで配信されている。これには韓国の著作権法が一役買っている。ハリウッドや国内の映像ソフトには、いずれも権利の問題から再利用において厳しい制限があり、配信できるタイトル数、内容ともに貧弱といわざるを得ない状況であった。一方、韓国では著作権法が日本やアメリカとは異なり、ドラマや映画においては出演者や製作者には権利が一切存在せずに、放映する会社で一括して放映権の管理が行われている。そのために放映許諾を取ることが比較的容易なため、数多くのドラマが商用ウェブサイトで配信されている。
  • 衛星放送ではデジタル放送の開始に伴うチャンネル数の増加によってコンテンツ不足が叫ばれる中、韓国ドラマは全話で数千万円(日本ドラマ1話分の制作費に相当)という良好なコストパフォーマンスであったために積極的に編成された。一局で数本の韓国ドラマを放映することも珍しくなかったほどである。現在は韓流ブームが加熱したことによりネット配信、衛星放送ともに放映数の増加し、放映権の買い付け価格が高騰したため、ブーム時よりは放送数が減っているが、CS、BSの各チャンネルでは現在も多くの韓国ドラマが放送されている。その一方で、本来のコンテンツをないがしろにしていると言う批判も強い。

音楽

韓流という言葉が生まれる以前の日本でも『黄色いシャツ』や『釜山港へ帰れ』などの韓国演歌(トロット)や90年代半ばのポンチャックブーム、あるいはダウンタウンのごっつええ感じにおける『オジャパメン』などの韓国歌謡曲の流行が散発的にあったが、それは個々の作品のヒットであり韓国文化の流行ではなかった。近年では、1997年島野聡プロデュースによりS.E.Sがデビュー、2001年にはBoAが韓国出身の歌手として日本で活躍している。また、近年では、東方神起リュ・シウォンなども日本での活躍を見せている。

2004年ごろから韓国ドラマのブームの、韓国芸能全体のブームへの拡大が推し進められたため、各メディアによって韓国の音楽が盛んに紹介された。結果としてK-POPと呼ばれる音楽ジャンルが認知され、その影響から日本に進出する韓国人歌手も増えてきている。ただし、彼らの多くはJ-POPの歌手として活動している。また彼らは日本語での会話も学習している。日本の大衆的音楽番組は『うたばん』や『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』等のようにトークが多くの割合を占めるので、日本語で会話が出来ない韓国人歌手にはアピールする場が限られ、認知度を上げることが難しいためである。事実、BoAは日本でのデビュー当時から日本語をあやつることが出来たため、メディア露出も多く、紅白歌合戦にも出場するなどJ-POP歌手としての地位を確立したが、スヨンは韓国では既にトップ歌手であったにもかかわらず、日本語の会話が出来ないために上述のような番組に出演することがなく、認知度を上げることができなかった。その結果、複数枚の契約を締結したにも関わらず、シングルCD1枚で日本市場から撤退している。

現在のところ韓国語の音盤や韓国のCDの日本語盤などに日本国内での大きなヒットの例はない。BoAの韓国語楽曲のセレクト盤「K-POPセレクション」は全曲韓国語の楽曲の日本盤でチャートにランクインした珍しい例である。このアルバムは発売に際して、レコード会社や本人のTV出演等の宣伝が従来の日本盤アルバムに比べて消極的だったため、初登場週にオリコンウィークリーチャート13位/3万4537枚を売り上げたに留まった。他にはのアルバム『IT'S RAINING』の日本盤がウィークリー15位、シングルではRyuの冬ソナのテーマソングがウィークリーの23位であった。韓国の歌手が出す日本盤CDの中に、日本語に混じって韓国語の楽曲が入っている場合もある。

上述のように韓国人歌手にとってはハードルが高いにも関わらず、彼らが日本へ進出することの背景には、韓国における音楽の市場規模が縮小を続けているという事情が存在する。ネットを使ったコンテンツ配信事業は拡大を続けているものの、音楽CDの市場規模は2004年には1000億ウォン(当時の日本円でおよそ100億円)と最盛期の実に1/4以下と近年急激に低迷している。ネット配信と音楽CDの両者を併せた音楽市場全体を見ても最盛期に比べ20%以上の規模縮小となっている。その原因として、P2P等での違法音楽交換が日本以上にネット上で横行していること、その影響でアルバム単位ではなく楽曲単位で音楽を聴くスタイルの若者が増えていること(もともと韓国にはシングルという概念自体がほとんどなく、気に入った曲を聴くためにアルバムを買う必要があった)、などが挙げられる。単価の高いCDから単価の安いネット配信用の楽曲に市場ニーズが移っていった事が、韓国音楽市場全体の縮小につながったのである。またネット配信用の音源においては市場の成長を促すためという名目の下、著作権者に支払われる印税率が低く抑えられておりアーティスト側への還元率が低い。そのため韓国の音楽事務所の中には、国内ですでに人気のある歌手を日本や台湾その他アジア各国で活動させ、新たな市場の開拓に努めている。

HMV等の外資系CDショップの輸入盤ランキングでは、韓国のみで販売されているK-POPのCDが上位にランクインしている。輸入盤の中では欧米盤に次ぐ数であるが、一部に存在する日本進出歌手を目指す歌手を除けば、欧米歌手のように日本向けの音盤を出すことがほとんどないため、輸入盤以外には購入手段がないという事情もある。

映画

2004年

6月、いわゆる韓流四天王のうちウォンビンとチャン・ドンゴンの二人が兄弟役として主演した朝鮮戦争を題材とした作品『ブラザーフッド』が公開された。この作品は300館という洋画でも大規模にあたる数の映画館で上演された。興行収入15億円。

12月に封切りされた『僕の彼女を紹介します』は、韓国映画としては初めて日本で興行収入20億円を突破し、それまで最高だった『シュリ』(2000年公開)を上回った。この作品は韓国映画としては珍しい『猟奇的な彼女』からのシリーズ物であり、これも他の韓国映画と一線を画した要因である。興行収入では大きく上を行く邦画、ハリウッド映画等には及ばないが、韓国映画における対外向けプロデュースの進歩を見せた。

この年、冬ソナなどのドラマの影響から、例年になく多くの韓国映画が公開され、興行収入の全作品合計は約40億円となった。

2005年

9月にペ・ヨンジュン、ソン・イェジン主演の『四月の雪』が全国400館以上の映画館で公開され、公開初週末の興行収入ランキングで2位に入った。さらに10月にはチョン・ウソン、ソン・イェジン主演で日本のドラマ『Pure Soul~君が僕を忘れても~』をリメイクした『私の頭の中の消しゴム』が公開され、初週から2週連続で興行収入ランキング1位と健闘し、最終的に30億円を突破した。

2006年

韓国映画は前年比で公開本数が半減し、ヒットの目安とされる10億円を超える興行収入を得た映画はなかった。韓国では歴代観客動員記録の上位に入った「グエムル-漢江の怪物-」や「王の男」も日本では低調だった。

これまで韓国映画を数多く配給してきた東芝エンタテインメントの社長は「韓国映画は高騰しすぎている」として、現状のままでは買い付けをしていないことを言及し、「韓流ブームも終焉を迎えた」と明言している[4]。数多くの韓国映画を配給してきたアミューズは、2006年度の業績を下方修正せざるをえなかった[5]。そのもっとも大きな原因として韓国映画の興行成績、およびDVDビデオの販売低迷が挙げられている。ただし、東芝エンタテインメントとは異なり、アミューズはこれ以降も数は減ったものの韓国映画を配給している。

2007年以降

2007年に公開された韓国映画はさらに減少し、興行収入10億円を達成した映画はおろか、週末興行成績でトップ10にすら入ることができなかった[6]。週間興行成績の最高位は日本の漫画を原作とした『カンナさん大成功です!』の12位だった[6]。また韓国では歴代興行記録上位に入るなど大ヒットを遂げた『D-WARS ディー・ウォーズ』も当初は2007年の正月映画として500スクリーン規模での日本公開を制作者側は希望していたが[7]、公開時期は延び延びとなり2008年11月に100スクリーン規模での公開予定である。

近年の傾向

韓国映画は主に、純愛物や朝鮮半島での戦争を題材としたものなど、内容がやや国内向けの作品が多く、SFもあまり発達していないため、日本を含め他国でも普遍的にヒットできるような作品は少ないことから、一部の注目作を除いて、韓流は日本の映画界全体に拡大しているとは言えない状況である。

その一方で韓国映画の買い付け費用は2005年~2006年を頂点に高騰した。例えば韓流四天王と呼ばれるイ・ビョンホン主演の『甘い人生』は3億円以上、『誰にでも秘密がある』に至っては5億円以上(一説には5億7000万円)で、興行収入はどちらも6億5000万円である。現在のところ、買い付け額の最高金額はペ・ヨンジュン主演の『四月の雪』で8億7000万円とされている。日本における韓国映画は最大で興行収入10億円程度が多数派であり、拡大公開よりミニシアター系での上映が主であることは、1999年頃から続く傾向のまま大きな変わりはない。

また、韓国映画の興行権が高騰したために、以前からあった小規模の作品の買い付けが困難になっている。

TVゲーム

2006年

12月、イ・ビョンホンが主人公のゲーム機ソフトロスト プラネット エクストリーム コンディション」が発売された。

韓流の影響

語学学習では、例えばNHKハングル講座テキストの売り上げ数は、1984年に放送を開始した時点では9万部であったが、2004年には20万部にまで増えた。[8]

韓流が注目された2004年には韓国を訪れた邦人が前年比35.5%増の2,443,070人と、2001年以降は減少傾向にあり、2003年のSARS騒動でさらに激減した観光客数が、過去最高の2000年に迫る数字に1年で回復した。[9]しかし、2005年以降は再び一貫して減少に転じており、韓国への旅行者数が基本的な傾向として減少傾向にある(#韓流関連データを参照)[10]。その原因として為替などの影響とともに韓流ブームの弱まりが指摘され[11]、『冬のソナタ』ロケ地を回る観光ツアーは2004年中盤には月1500人ほどの観光客を集めたが、2006年初頭には50人にもならない状況となり、この観光ツアーは中止されるに至った。また『宮廷女官チャングムの誓い』の観光ツアーも月に100人未満、南怡島を訪れる日本人観光客も2005年1月の約1万5000人から同年12月には約4600人に急減した。このように「韓流観光特需」が減ったことで営業を諦める旅行会社も続出する状況となり、韓国の旅行会社は「韓流観光ツアーの競争力はもう失われた」と語るなど、日本の韓流ブームの衰えによる旅行会社への影響が出た。[2][12]

韓流の経済波及効果は幅広い分野においてみられ、永年両国に横たわっていた感情的なしこりや偏見を取り除き、友好親善に寄与したともされる。2001年と2004年の日本の世論調査を比較すると、韓国に「親しみを感じる」が増加、「親しみを感じない」が減少しており、2002年の日韓ワールドカップ共催や韓流(冬ソナ、ヨン様ブーム)の影響が出た[13][14]。しかし、2006年になると読売新聞韓国日報が共同で行った世論調査では、韓国に対して「悪い印象」を持つ日本人は51%、また日韓関係は悪くなったと見る日本人も59%と、1995年の調査開始依頼、過去最高となり、その原因として日韓の政治的な問題とともに韓国のドラマを中心に起こった韓流ブームが徐々に冷めているためと伝えられた[15]

アジアにおける韓流

1990年代末期、韓国のテレビドラマや映画は、まずアジア各国へと進出した。

中国の北京上海では、韓国ドラマの購入単価の安さなどを理由に、韓流以前から韓国テレビドラマが放送されてきた。韓国ドラマが受け入れられた背景には、中国から見れば韓国は先進国であるばかりか、当時の韓国の対中国投資は日本のそれと拮抗する規模にまで急成長しており、中国北東部への集中投資によって韓国人との接触の機会も増えており、このため、韓国の存在感が増していたことが挙げられる。

宮廷女官チャングムの誓い(原題『大長今』)が2004年に台湾で、2005年に香港で放送され、広東省でも大人気となり、韓流ブームが再発した。香港や広州では韓国宮廷料理ツアーなども盛況であるという。2005年5月に香港を訪問した主演女優イ・ヨンエ(李英愛)をひと目見ようと2万人の香港市民が押しかけた。2005年9月には、中国での全国放送が始まり、各メディアで盛んに宣伝されたために、大きな話題となった。一方で、中国のテレビドラマ制作関係者の間からは、安価な韓国ドラマに依存する各テレビ局の姿勢への批判が噴出し、宮廷女官チャングムの誓いについても、過大評価されているとの声が上がった。

中国では、2006年に入って、自国ドラマ保護の観点から、韓国ドラマを規制する動きが表面化している。2006年10月27日付の朝鮮日報によると、KBSの放送営造物の輸出は前年比67%減となった[5]。主な輸出先は日本、中国、台湾で、アジアに偏っていると指摘されている。

東南アジアでは、韓国の東南アジアへの経済的な進出を背景に、タイフィリピンベトナムで、韓国ドラマがしばしば放送され人気を得ている。歌手でもBoAは広く知られており、女性ボーカルバンドBaby V.O.X.がタイで絶大な人気を得、度々コンサート・ツアーを行っている。このバンド・メンバーはスマトラ沖大地震でもプーケットボランティアで救援に駆けつけている。

韓国国内における影響

韓流の影響を受けて旅行者が増えていることに着目した孫鶴圭京畿道知事が、2008年までに韓流テーマパークをソウル近郊の高陽市に建設すると表明している。米国のハリウッドにあやかって「ハルリュ(韓流)ウッド」と命名し、総額2兆ウオン(約2,000億円)を投じて映画撮影場や映画館、公演ホール、博物館、ショッピング施設、ホテルを建設するという。

韓流用語辞典

関連項目

韓流関連データ

日本→アジア地域への渡航者数(2000年-2007年)※赤背景は前年減
地域 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年
韓国 2,472,054 2,377,321 2,320,820 1,802,163 2,443,070 2,439,809 2,338,921 2,235,963
中国 2,201,528 2,384,500 2,925,500 2,251,266 3,334,251 3,389,976 3,748,882 3,977,479
台湾 916,301 971,190 996,834 657,053 887,311 1,124,394 1,161,489 1,166,193
香港 1,382,417 1,336,538 1,395,020 867,160 1,126,250 1,210,848 1,311,111 1,324,336
タイ 1,206,549 1,179,202 1,233,239 1,026,287 1,194,420 1,188,871 1,293,513 1,248,700
マレーシア 455,981 397,639 354,563 213,527 301,429 340,027 354,213 367,567
シンガポール 929,670 755,766 723,420 434,064 598,821 588,535 594,404 594,511
バリ島 362,270 1,356,774 301,380 185,751 326,397 310,139 255,767 351,604

脚注

  1. 台湾の大衆文化の流行は台流と称され、中華文化圏においても華流とは別の物として定義されているが、日本ではこの言葉は使われず、「華流」の呼称に統一されている。
  2. 2.0 2.1 バブルはじけた韓流観光 2006年3月23日 中央日報
  3. 「韓流」ブーム終わった 映画観客、旅行者がた落ち 2007年2月15日J-CASTニュース
  4. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「toshiba」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  5. アミューズが業績を下方修正 韓流ブームに陰り?-(asahi.comをWeb魚拓で保存)
  6. 6.0 6.1 2007/12/20朝鮮日報
  7. 2007/07/24朝鮮日報
  8. [1]イギリス ガーディアン紙
  9. [2]西日本新聞
  10. - ツーリズム・マーケティング研究所 日本人出国者数の統計データをダウンロード可能
  11. 韓流ブームの終わり?…韓日訪問者数が逆転2007.01.26 中央日報
  12. 韓流ブームの終わり?…韓日訪問者数が逆転2007.01.26 中央日報
  13. [3]朝鮮日報
  14. [4]asahi.com
  15. 韓日衝突で日本の韓流ブームが低迷2006年8月7日 中央日報
オリコンシングルウィークリー最高順位(2009年12月現在)
アーティスト名順位タイトル
東方神起1Share The World / ウィーアー!他全6曲
BoA1DO THE MOTION
リュ・シウォン2
イ・ビョンホン2いつか
SE7EN3スタートライン/Forever
BIG BANG3MY HEAVEN
SS5014LUCKY DAYS/Forever
K6over…
パク・ヨンハ7Truth/ほゝえみをあげよう
超新星7キミだけをずっと
スーパージュニア8U/TWINS
Rain(ピ)14sad tango
sg WANNA BE+17GET ALONG TOGETHER
Ryu23モーメント/最初から今まで※冬ソナのテーマソング
イ・ジョンヒョン26Heaven/ワ -come on-
TheTRAX28Scorpio
Sugar 32風と花束/Present/Heart&Soul
ソナ33会いたい
JEWELRY35胸いっぱいのこの愛を 誰より君に
火曜飛55Fly Again
キム・ボムス114逢いたい?ポゴシプタ?※天国の階段のテーマソング
Sunday120リラの片想い
スヨン125最後のわがまま
テ・ジナ128すまない
リナ・パーク172Fall